奇妙礼太郎、ニュートラルに紡いだ『1976』に宿る歌うたいの妙味 50年を生きた今の“自分っぽさ”が詰まった作品を語る

奇妙礼太郎の“一言で言えなさ”を体現した『1976』
ーー今の話を聞いててなるほどなと思ったんですが、これ、確かにスナックで散々歌ってきた感がありますよね。こなれているというか、奇妙さんの型がすでにできている。
奇妙:ああ。Billboardでやったときに思ったんですけど、普通に「カバーします」みたいな感じで、「じゃあ聴いてください、『いとしのエリー』」みたいな始まり方でもいいんですけど、前の曲が終わってブワーって盛り上がってるときに、「よし、みんな〈笑ってもっとBaby〉しようか」って言ったら、もうみんなそれでわかるんですよ。それがやっぱすごいなと思って。だから、この曲のことを「いとしのエリー」じゃなくて、「笑ってもっとBaby」って呼んでます(笑)。みんな「どうする? やる? 『笑ってもっとBaby』しちゃう?」って。みんなが知ってるって本当にすごいことだし、それは手に入れようと思っても入らないものなんで、素晴らしいですね。それを我が物顔で……(笑)。
ーー「いとしのエリー」から「陽炎」、「わたしの歌」のセルフカバーっていう流れがまたすごくいい。「陽炎」はこのアルバムの中では一番バンド感があって。
奇妙:そうですね。でもこれは一人でスタジオで作ってて、音自体は中込(陽大)さんと相談しながら、ドラムは神谷(洵平)さんに入れてもらって。ロックみたいなのやっぱやるの好きなんで、そういう面が出てるなっていう。
ーーほかの曲たちがわりとリラックスした雰囲気の中で、この「陽炎」は歌の力感みたいなものも違うじゃないですか。ちょっと違うスイッチで歌ってるような感じがするんですけど、奇妙さんの中ではどういう曲なんでしょう?
奇妙:作ってるときはそういうことばっかり考えてたわけじゃないんですけど、できあがって聴いたり、最近ライブでもバンドで初めてやったりしたんですけど、その後、一人でそのことを思い出したりしてたんです。そしたら、なんか急に「原子爆弾っぽいな、この曲」と思ったんです。そういう不思議さがありますね。今の空気とかを考えたらそう感じやすいのかもしれないですけど、そういう風に感じられるような曲が入ってるのが、自分としては良かったというか、なんかホッとしてるんです。何にも感じられないのも怖いことやなって思うんで。
ーーアルバム通してわりと生活感の中で歌っている感じがする中で――。
奇妙:そう、すごく個人的な感じですから。
ーーでもこの「陽炎」はまさにメッセージとなって響いてくる感じがします。
奇妙:そうですね。大概にしてほしいなっていう気持ちを持っているところはもちろんありますんで。そんな感じはありますね、確かに。
ーーこの〈どうにでもなれ〉っていう言葉は、歌詞を書いてる時の気分としてはどういうものだったんですか?
奇妙:最後にリフレイン欲しいなって思ってて。これもスタジオで一人でドラムマシーンとエレキギターで録っているときに勝手に出てきたんですけど、なんか、大事な場面とかいろんなものがかかってるみたいなときの方が「どうでもいい」と思ったりするっていうか。それは「その場がどうなってもいい」とかじゃなくて、自分が気にしてる小さいこととかはどうなってもいいっていう感じですね。自暴自棄というよりは、「全部なくなってもいいから、思いっきりやったらいいやん」みたいな気持ち。たとえば権力とかを前にしたときに、バカなふりしてめちゃくちゃやってしまうみたいなことが好きなんです。自分がそれをできてるかと言われたら、そういうのは考えてないですけど(笑)、見たりするのは最高なんで。そういうのが好きやっていうのが出てるのかもしれないですね。
ーーうん。奇妙礼太郎というアーティストの中にずっと息づいているパンク的な部分というのがアルバムの最後にバーンと出てきた感じがして嬉しくなるんです。かといって、じゃあ「陽炎」みたいな曲だけで埋め尽くされたアルバムだったらいいのかっていうと、たぶんそういうことでもないですよね。
奇妙:そうですね。自分もそうですけど、何かを好きになったりするときとか、何かをわかりたいと思ったときに、自分のわかるように単純化して理解するっていうことをしてしまうじゃないですか。それは自分の都合でやってて、本当はもっと複雑やったり、いろんな面があったりするんだけど、たぶんアーティストはみんな、ちゃんとそれを整理してパッケージして、見せやすい形にしてくれてると思うんです。それは必要なことやし、素晴らしいことで。自分もそういうものが好きなんですけど、自分にはきれいに整理する力があまりないから、自分のままやるしかない。だからわかりにくいものを作ってるかもなとも思うんです。実体があるようなないような、いろんな面があって。別にそれでいいんですけど。

ーーこれまでのキャリアを通じても本当にいろんなことをやられてきましたし、今もやってますし。それこそ、ソロアルバム作るにしたって、バンドでやることもあれば、二人で作ることもあれば、一人でやることもあるっていう。
奇妙:はい。
ーーその結果、一言では語れない奇妙礼太郎というのがいて、それが面白さでもあり、難しさでもある。ただ、この『1976』というアルバムは、その一言で言えなさみたいなのをちゃんとパッケージできた気がするんですよね。
奇妙:そう言われたら、なんかいろんなやつありますね。すごい個人的なやつも3分の1ぐらいあったりしますし。「silvers」とかも、録り直してないんですよ。僕は英語わからないんですけど、でたらめな英語でデモを録って、最初それを日本語にして歌ってみたりもしたけど、元のデモの方が自分は聴いてて好きやなと思って。だからデモのでたらめ英語を無理やりアルファベットに直して、後半にGoogle翻訳で訳した日本語を入れたんです。
ーーこれ、Google翻訳なんですね(笑)。
奇妙:それ見てみたら、なんか別にいいやんと思って。意味わからんけど可愛いなと。絵を描いたりするのと一緒なんで、わからなくてもいいし、そこに何を見るかは人それぞれだから。作品から何か受け取るとき、その人がその人自身を見てるっていう感じがするんです。富士山見て涙する人もいるし、もう飽き飽きしてる人もいるし。でも同じ富士山がそこにあるだけで、どっちもいいと思うし……何喋ってるんですかね(笑)。
ーーいや、すごくよくわかります。
奇妙:そんな気がするから別に何を作ってもいいし、これはすごい自分っぽいなと思いますね。クレジットに「Google翻訳」って入れようかな(笑)。




















