真島昌利:ロックに魅せられた日から変わらない芯、日本語表現への飽くなき探求 「今井智子 ロックスターと過ごした記憶」Vol.9

真島昌利を形作った少年期の原体験

 そんな取材の合間の雑談だった。当時のマーシーは友達が作ってくれたという中原中也のポートレートと詩の一節をプリントしたTシャツをよく着ていた。わざわざそんなデザインのものを着るのだから、よほど中原中也が好きなのかと思い聞いたら、前述の答えが返ってきたのだった。軽い口調でこんなことを言う彼を、面白いヤツだなあと思ったものだ。

 「未来は僕等の手の中」は冒頭が中原中也の『星とピエロ』を連想させ、花小金井で育ったことから武蔵の詩人といったイメージも頭をよぎる。「人にやさしく」のヒットで“やさしさロック”などと揶揄されていたTHE BLUE HEARTSをパンクバンドと捉えることに違和感を覚えていた私にとって、マーシーのこの言葉はそれを変えてくれた気がする。自分たちに向けられる眼差しへの反骨精神もあっただろうが、ウィットを含みながら歴史を俯瞰し自分に結びつける解釈力は新鮮で、彼らの曲が改めて自分の中にストンと落ちてくる気がしたものだ。「爆弾が落っこちる時」の〈いらないものが多すぎる〉というリフレインは、余計な情報に惑わされることへの警鐘に思えた。

【公式】ザ・ブルーハーツ「爆弾が落っこちる時」【アルバム『THE BLUE HEARTS』(1987/5/21)収録】THE BLUE HEARTS /Bakudan Ga Okkochirutoki

 THE BLUE HEARTS結成前にマーシーが組んでいたTHE BREAKERSを一度だけ観たことがある。揃いのスーツを着た4人組で、いわゆるマージービート系のロックンロールを演奏していた。一度しか観たことがないのによく覚えているのは印象が強かったからだが、だからTHE BLUE HEARTSのメンバーになったマーシーを観た時に随分と変わったと思ったものだ。けれどサム・クックの曲と同題の「チェインギャング」で〈ブルースにとりつかれた〉と歌うマーシーは、ファッションは変わったけれど彼の芯にあるものは変わっていないのだろうと思わせた。マーシーのロック体験はThe Beatlesから始まった。

「よく話すんですけど、友達んちに行って『何してたの?』ってきいたら、『レコード聴いてた。ビートルズって知ってる? かっこいいんだ』。僕は、かっこいいというのは、ゼロセンとか長嶋(茂雄)とかで、音楽に『かっこいい』なんて形容詞がつくわけないと思ってた(笑)。『なんだよ、かっこいいって?』と言ったら聴かせてくれたんだ。そしたら『かっこいい!』って言ってるんだ、この口が(笑)。それがビートルズの『Twist and Shout』だった。オリンピックゲームも何もかもすっ飛ばす、今までのと明らかに違う、かっこよさ。がーん!と突き抜けてくる、圧倒的な感じ。『なんだこれは?』って。ジャケット見せてもらったら、『ステレオ! これがビートルズ Vol.1』っていう日本編集盤。今は、そのアルバムすごく評判悪いの、ジャケットかっこ悪いって(笑)。でもその時は、何度もジャケット見て。何度か聴かしてもらって。テープにも録音してもらって。それで聴いて、即ギターとか買いにいって。それがロックンロールと僕の、素晴らしい出会いです」(※1)

 当時の多くの少年がそうだったように、野球やプラモデルにマーシーも夢中だったようだ。プラモデルには第二次世界大戦で使われた戦闘機や戦車が少なからずあった。そういうものを”かっこいい”と思う男子心は時代を超えているようだ。彼の書く曲に銃や爆弾がしばしば使われるのは少年期の名残なのかもしれない。またThe Beatlesが示した反骨精神や平和主義は少なからず影響を与えただろうし、ブルースから不屈の精神や希望の持ち方を学んだのではなかろうか。さらにSex PistolsやThe Clashの英国流シニシズムやユーモアも加わって独特の指針を培っていったのだろう。そして朔太郎や中也といった詩人や、太宰治や宮沢賢治などの作家から吸収した日本語としての表現を模索しているように思う。

THE BLUE HEARTSが世を席巻する中でソロ活動も活発に

 マーシーの楽曲はこうした分析をしたくなる面が多々あるのに対し、甲本ヒロトの曲はそうした分析など寄せつけない直観性といったものがあるのが、この2人の面白いところだ。初期のTHE BLUE HEARTSのシングルでヒロト作の曲が続いたのは、その直観性が強烈だったからだろう。けれど「未来は僕等の手の中」「終わらない歌」などライブで欠かせない曲をマーシーも多く書いている。

 マーシーの楽曲で最も異色なのは「チェルノブイリ」だろう。1986年のチェルノブイリ原発事故は世界を震撼させ、忌野清志郎は「ラヴ・ミー・テンダー」で〈放射能はいらねえ 牛乳を飲みてぇ〉と歌った。それに続くように〈チェルノブイリには行きたくねぇ〉とマーシーは書いた。この曲について明確な発言はしていないと思うが、曲を書かずにはいられなかったのではなかろうか。清志郎もそうだが、ロックが内包する反骨精神や率直な正義感、批評性といったものがこうした曲を生み出したのだと思う。異色と書いたが、これと通じるものはマーシーの曲には常に内包されているし、チョルノービリと発音が変わっても、ウクライナ紛争が続いていることもあり、忘れてはならない場所であることに変わりはない。

 この曲から間もなく、マーシーは初ソロ作『夏のぬけがら』(1989年)を発表する。THE BLUE HEARTSでは封印していた、THE BREAKERS時代の曲を発表したいというのが発端だったと当時のディレクターが言っていた。その中に近藤真彦に提供した「アンダルシアに憧れて」がある。ヒロトは「少年の詩」などTHE COATS(ザ・コーツ)時代の曲をTHE BLUE HEARTSで発表したが、マーシーはそうしなかった。新しいバンドを組んだらそのメンバーで演奏する新曲を作るのは当たり前のことだろうし、手持ちの曲は新しいバンドで演奏するには似合わないと思っただけかもしれない。『夏のぬけがら』にはTHE BREAKERS時代の盟友である篠原太郎(Gt/Ba)やマーシーが敬愛するシンガーソングライター 友部正人、またTHE BLUE HEARTSのサポートメンバーとなり↑THE HIGH-LOWS↓(ザ・ハイロウズ)に参加する白井幹夫(Key)などが名を連ねる。パンクでもマージービートでもないフォーキーなポップソングを訥々と歌っているのが初々しく、THE BLUE HEARTSとは違った顔を見る思いがする。ソロ2作目『HAPPY SONGS』(1991年)では躍動感のある曲が増え、小林旭の代表曲として知られる昭和歌謡「ダイナマイトが150屯」、浅川マキの日本語詞バージョン「ガソリンアレイ」をカバー。ソロ3作目『RAW LIFE』(1992年)は、THE BLUE HEARTSの2ndアルバム『YOUNG AND PRETTY』(1987年)をプロデュースした佐久間正英を迎え、マーシーの歌とギター、佐久間の鍵盤、そうる透のドラムでタイトなサウンドを作っている。前2作はパーソナルな心象風景を感じさせる曲が多いが、3作目に「俺は政治家だ」など尖った曲があるのは、ディレクターが尾崎豊を手がけた須藤晃だったからだろうか。ソロ4作目『人にはそれぞれ事情がある』(1994年)を同じ布陣で制作しているが、3作目がTHE BLUE HEARTSと近い印象を受けるのに対し、4作目はそこから離れた作品になっている。この作品でマーシーはソロ作の筆を置いた。同じ頃、THE BLUE HEARTSは解散を決めた。

ロックンロールを楽しみながら深く紐解いていった↑THE HIGH-LOWS↓

 ヒロトとマーシーが↑THE HIGH-LOWS↓をスタートさせたのは1995年夏。マネジメントもTHE BLUE HEARTSを擁したジャグラーを離れ、新たに自分たちだけでハッピーソングを設立した。マーシーがソロ2作目のリード曲で歌ったように〈HAPPYな歌を歌って 気楽にやろう〉(「HAPPY SONG」)という気分だったのだろうか。当初は「アマチュアの新人バンド」として夏フェスにサプライズで出演したりもして、文字通り身軽に新たなバンドを披露した。

【公式】ザ・ハイロウズ「Happy Go Lucky」【7thシングル(1997/2/14)】THE HIGH-LOWS / Happy Go Lucky

 結成の経緯をマーシーはこんな風に言っていた。

「ブルー・ハーツがなくなって、俺はまたソロでもやろうかなと思っていたんだけど、やっぱりバンドがやりたかったんだよね。ブルー・ハーツでもソロでもない、スモール・フェイセズとかみたいな、R&B風味のブリティッシュ・ロック・バンドを。で、『PAN』でも一緒にやった白井(幹夫)さんとドラムの大島(賢治)くんとバンドをやろうと思ったんだけど、歌える人がいなかったの。そうしたら、ちょうど暇そうな人が知り合いにいたんで、ちょっと歌ってもらったらぴったりだったんだ」(※2)

 ヒロトをボーカルに、白井が紹介した調先人(Ba)を迎えた↑THE HIGH-LOWS↓は、1stアルバム『THE HIGH-LOWS』(1995年)1曲目の「グッドバイ」で〈サヨナラする キレイサッパリ〉と歌った。そしてTHE BLUE HEARTSの曲は一切やらず↑THE HIGH-LOWS↓として発表した曲だけでスタートしたツアーは、テンポが速く短い曲ばかりなこともあり1ステージが1時間ほどに収まっていたけれど、観客を思い切り楽しませ汗をかかせて満足させるものだった。新作をリリースすると全国のライブハウスを一回りし、さらにホールでもう一回り。そんなスケジュールで彼らは活動を続けた。THE BLUE HEARTSのヒリヒリするようなストイシズムはなく、ヒロトとマーシーは本当にバンドを楽しんでいるように見えた。ヒロトもマーシーも軽快な曲を次々に発表、4人で鳴らすロックンロールという縛りを保ちながらも変化に富んだ曲が揃っていき、「スーパーソニックジェットボーイ」「相談天国」「月光陽光」などマーシー作の曲もライブの定番になっていった。

【公式】ザ・ハイロウズ「スーパーソニックジェットボーイ」【3rdシングル(1996/1/25)】THE HIGH-LOWS / Super Sonic Jet Boy
【公式】ザ・ハイロウズ「相談天国」【5thシングル(1996/6/24)】THE HIGH-LOWS / Soudan Tengoku
【公式】ザ・ハイロウズ「月光陽光」【8thシングル(1997/6/11)】THE HIGH-LOWS / Gekkou Youkou

 ↑THE HIGH-LOWS↓は3rdアルバム『ロブスター』(1998年)のマスタリングを、Led Zeppelinやジミ・ヘンドリックス、ポール・マッカートニーからNirvanaなど数多の作品を手がけた辣腕マスタリングエンジニアのボブ・ラディッグに委ねた。マーシーのソロ3・4作目を手がけた人でもあり、それゆえマーシーの希望でのことだったようだ。マーシーたちはボブのスタジオがあるメイン州ポートランドに赴いた。名物はロブスター。彼らはボブに全幅の信頼を置いたようで、この後の作品のほとんどを彼がマスタリングしている。初期の楽曲も彼に委ねたくてアルバム未収録曲集『flip flop』(2001年)を作ったのではないかと思う。

「実は『タイガーモービル』のマスタリングが気になっていたんですよ。僕の個人的なアレなんですけど。それでね、じつは僕、ソロの時にボブさんにやってもらってるんですよ。その時にマスタリングで変わるんだなっていうことがわかっていたんです」(※2)

 このあたりからヒロトとマーシーのレコーディングに対する探究心が深まっていく。プライベートスタジオを作り、エンジニアも使わず録音作業の全てを自分たちでやった『バームクーヘン』(1999年)が生まれた。続く『Relaxin' WITH THE HIGH-LOWS』(2000年)も制作は同様で、アルバムタイトルのアイデアとジャケットのイラストがマーシー。自分たちでやるようになってスタジオワークにさらに深い関心を彼らは持つようになり、『HOTEL TIKI-POTO』(2001年)、『angel beetle』(2002年)はアビー・ロード・スタジオでミックスを行った。The Beatlesが「Yellow Submarine」で使ったことで有名なエコーチェンバーの部屋を見たことを嬉しそうに話していた。The Beatlesがロックへの扉だったマーシーにとって、アビー・ロード・スタジオは聖地来訪のようなものだったに違いない。こうした過程で自分たちが心を震わせてきたロックのサウンドや楽曲が生まれた背景を紐解いているように見えたものだ。そうした追体験めいたものから生まれたと想像するマーシーの曲が「青春」だ。音楽室のピアノでブギーを弾き廊下でボコられる、まさに青春の1ページを描いている。ヒロトの「十四才」は、この曲への返答のように思えなくもない。

【公式】ザ・ハイロウズ「青春」【14thシングル(2000/5/24)】THE HIGH-LOWS / Seisyun

ザ・クロマニヨンズとましまろの相乗効果 経験を糧に前進し続ける現在地

 充実し安定した活動をしていた↑THE HIGH-LOWS↓は結成10年を経た2005年に活動休止する。だが半年後にマーシーはヒロトとザ・クロマニヨンズを組んだ。これ以前の曲は封印し、新曲のみで進めていくのは↑THE HIGH-LOWS↓と同様だが、楽曲の面白みはさらに増している。ブルースやクラシックロックにとどまらずルーツミュージックを掘り下げ、ロックンロールという枠の中での多様性を探り続けている。スタジオワークも同様で、3作目『FIRE AGE』(2008年)以後は基本的にモノラル録音になった。酔狂と言いたくなるような凝り具合で彼らは作品を作っているのだが、楽曲は自由度がどんどん高くなっているようだ。マーシーの曲で興味を惹かれるのはオノマトペ的なワードを効果的に使った「ギリギリガガンガン」、〈ひっぱって〉と繰り返す「くじらなわ」。最新作『JAMBO JAPAN』(2025年)では地球が主人公の「グルグル」がこのタイプだ。さらには〈あのね〉の1ワードだけで歌われ、恋人たちの会話のような1曲に仕上げた「恋に落ちたら」。はっぴいえんどの「愛餓を」(詞:松本隆、曲:大瀧詠一)をしのぎ、恋人たちが名前を呼びあう「ポールとポーラ」を超える名曲だと私は思っている。THE BLUE HEARTSでも円周率を歌詞にした「キューティパイ」があったが、言葉の意味を離れて歌にする技量は一筋縄ではいかないところに至っている。その一方で、団地からの風景を描く「紙飛行機」や中原中也を彷彿させる「散歩」などソロで歌いそうな曲もある。日本語でしか表現できない新しいロックをマーシーは作り続けているのだ。

ザ・クロマニヨンズ 『ギリギリガガンガン』

 ザ・クロマニヨンズが結成10年目を超えた2015年に、マーシーは旧知の仲間であるヒックスヴィルの真城めぐみ(Vo)、中森泰弘(Gt)と、ましまろを組んだ。2人とはTHE BREAKERS時代からのつき合いだが、共通の知人の冗談のような進言から組むことになった。マーシーはこんなイメージで始めたらしい。

「ロックンロールにもいろんなスタイルがある。クロマニヨンズのガーン!と行く感じも僕は大好きだけど、3人で始めた時に僕の頭の中にあったのは、初期のクレプスキュールとかチェリーレッドとか、あんな感じの音たちで。77年のパンク以降に出て来たロックンロールは、僕にとってはネオアコ・ムーヴメントなんですよ」(※4)

 アコギを弾いて3人で歌うスタイルだが、真城は多くのアーティストのコーラスを務めて定評のあるシンガーだけに、マーシーにも刺激になったのだろう。このバンド以後、ザ・クロマニヨンズもコーラスの腕を確実に挙げている。バンド外の活動をちゃんとフィードバックするところがマーシーだ。楽曲も、ましまろでソロに近い曲を演奏していたことが、ザ・クロマニヨンズにも反映されているのではと思う。自分が経験したことを、自分の音楽に取り込んでいく、そんな当たり前のことをコツコツと続けているのがマーシーなのだ。

 ましまろは結成翌年に2ndアルバム『ましまろに』を発表して活動はひと段落。マーシーはザ・クロマニヨンズで変わらず活動しているが、最新作『JAMBO JAPAN』で久々に2曲ほど歌っている。これも彼の中で新しい試みとなっているに違いない。彼がどんな風に音楽と向き合ってきたかは、“自伝的ディスクガイド”と称した『ROCK&ROLL RECORDER』(ソウ・スウィート・パブリッシング)に記されている。これを見ると、どれほどレコードを聴きあさりギターを弾いてきたかがよくわかる。ここに書いてきたことは、本質的にはこの著作と重なっていると言っていい。取材で音楽についての雑談もたくさんしてきたが、そんな時の彼は、ちょっと得意そうで嬉しそうな顔をする。それはロックが大好きで朔太郎や中也が好きだった少年の頃と変わっていないのだろうと思う。

※1:『smart』2007年10月号
※2:『FM fan』1995年9月25日号
※3:『WHAT'S IN?』1998年5月号
※4:『ミュージック・マガジン』2015年8月号

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