嵐 全史(前編):ジュニア黄金期に咲いた最大の花 デビューと5人の苦悩、ブレイクへの助走

 今月5月末で活動終了となる嵐。これを前に、その軌跡を3つの時代に分けて振り返りたい。まず初回は、1999年のCDデビューから模索の時期を経てブレイクのきっかけをつかんだ2007年頃までをたどる。

事務所をやめようと思っていた3人

 1999年の9月、ハワイ海上のクルーズ客船で嵐の結成とCDデビューがメディアを集めて発表された。メンバーの5人もその場にいた。相葉雅紀がその3日前に「パスポート持ってる?」とだけ聞かれ、「持ってるよ」と答えてよくわからないままハワイに向かったという逸話は有名だろう。「グループを組んでCDデビューをするのが夢だった」と言う松本潤は、今後に不安を感じながらも嬉しさに浸っていた(『アラシゴト』/集英社より)。

 ただ、二宮和也は違っていた。「1999年12月で全部やめて、アメリカに行くって決めた。お金もちゃんとためたんだよ」。事務所を退所してアメリカに渡り、映画製作の裏方の仕事を学ぼうと決心していたのである。

 櫻井翔も、「高校卒業したらやめようかな」と思っていた。短期の海外留学も視野に入れていた。ジュニア時代、試験のひと月前から仕事を休むなど学業を優先していた櫻井にとって、それは自然な流れでもあった。

 踊りは好きだったが、芸能界にはそれほど興味がなかったというのは大野智である。当時、「芸能界はもういいかな」と思うようになり、絵の関係の仕事に就くことを真剣に考えていた。事務所にも「やめる」と伝えていた。

 だが3人は、結局嵐という新グループに参加することを決める。二宮はこう語る。「大きかったのは、嵐の雰囲気のよさ。あのメンバーじゃなかったら、こうなってなかったかもしれないって思う。5人でいるときがすごく楽しかった」(以上、すべて同書より)。

 一度は芸能活動をやめようとしていた人間を思いとどまらせるほどの居心地のよさ。それは、私たちが嵐に感じる魅力にも通じているように思える。こうして、「世界中に嵐を巻き起こす」「“あ”と“A”という最初の文字から始まる名前で頂点に立つ」といった意味を込めて「嵐」と名づけられたグループは船出した。

デビュー曲「A・RA・SHI」発売

 発表の2カ月後、1999年11月3日に待望のデビュー曲「A・RA・SHI」がリリースされた。『バレーボールワールドカップ1999』のイメージソング。「オリコン週間シングルランキング」では初週で55万枚超のセールスを記録し、1位を獲得(オリコン調べ/※1)。上々の滑り出しとなった。

ARASHI - A・RA・SHI [Official Music Video]

 グループ名をタイトルにした同曲は、応援ソングということもあって軽快な曲調。キャッチーなメロディが印象に残る。櫻井を中心とするラップパートも特徴的だ。当時、まだ今ほどラップは馴染みのあるものになっていない。アイドルソングにおいてはなおさらである。ところが、「A・RA・SHI」では聴かせどころにもなっていて新鮮だった。ご存じの通り、櫻井のラップ(「サクラップ」と呼ばれるようになる)は、その後も嵐の楽曲に欠かせない要素になっていく。

 MVで目を引くのは、ジュニアが多く登場することだ。バックダンサーとしてローラースケートのパフォーマンスを披露するかと思えば、嵐のバックバンドにもなる。ダンス(舞台)とバンドというふたつの伝統が巧みに盛り込まれ、事務所の歴史を凝縮したような内容である。

嵐とジュニア黄金期

 背景には、当時のジュニア黄金期がある。

 1990年代の後半、まだメジャーデビューしていないジュニア全体が爆発的な人気を獲得した一大ブームがあった。ドームでコンサートを開催し、音楽番組にも出演。さらにテレビのゴールデンタイムに自分たちの冠番組を持つなどの華々しい活躍だった。前代未聞の現象である。

 滝沢秀明を筆頭に、のちに第一線で活躍する人材が数多くいたが、そのなかに嵐のメンバーとなる5人もいた。デビュー発表後、嵐がファンの前で初お披露目されたのも、1999年10月のジュニアの東京ドームコンサートでのことだった。

 このジュニア黄金期が、嵐にとってアイドルとしての実質的な出発点であり、ひとつのルーツだったと言っていい。嵐は「センターが固定されていない」というのは有名な話だが、櫻井がその理由として「確実なるそれこそセンターってタッキー(滝沢)がいるんだから」「センターなんておこがましく思ってる5人が集まったから」と説明したことがあった(『VS嵐』2018年9月13日放送回/フジテレビ系より)。

 事務所の歴史を振り返っても、ジュニア黄金期の意味合いは大きい。彼らが単なるアイドル集団ではなく、独特の歴史と仕組み、人間関係の上に築かれたひとつの文化であることを、ファン以外の多くのひとが知るきっかけになった。そして嵐は、このジュニア黄金期を土壌として咲いた最大の花だった。

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