木村竜蔵&木村徹二、兄弟対談! 「非常識感が強さなのかもしれない」――演歌界での役割、『風神雷神』に込めた意志

木村徹二が、新シングル『風神雷神』をリリースした。表題曲「風神雷神」は、風神と雷神をモチーフに、荒波に向かって船を出す男の覚悟と前進の意志を、骨太な演歌歌謡として描いた一曲だ。
作詞作曲を手がけるのは、兄の木村竜蔵。デビュー以降、兄弟で二人三脚の制作を続けてきたが、今作では木村徹二という歌い手の個性と進むべき方向性を、よりはっきりと打ち出している。2026年はライブでも動きが大きく、日本橋三井ホールでの単独公演や、鳥羽一郎、山川豊を含めた『木村家ファミリーコンサート 2026』も開催される、いわば節目の年だ。竜蔵はどんな狙いのもとに「風神雷神」を生み、そして徹二は何を意識して歌ったのか。兄弟対談で、新作に込めた思いと演歌の現在地に迫る。(川崎龍也)
兄弟で作り上げた木村徹二のディスコグラフィ、新作『風神雷神』

――まず、新曲「風神雷神」について伺わせてください。前作「雪唄」からの流れで聴くと、今作はより骨太な演歌歌謡へと踏み込んだ印象でした。制作の出発点には、どんな狙いがあったのでしょうか?
木村竜蔵(以下、竜蔵):僕らにとって「風神雷神」は4作目なんですけど、実は最初の3作は、自分たちの中でひとつのシリーズとして組み立てている感覚がありました。1作目の「二代目」は、かなり演歌に寄せて男臭く作ったんですけど、骨格にはポップスがあるんです。そこがどう受け止められるのか、ある意味で実験のような気持ちもありました。そこから「みだれ咲き」でポップスの要素を少し増やしていって、3作目の「雪唄」でもう一段広げていった。3年かけて、どういう曲がどう反応されるのか、どんな声をいただくのかを試してきたんですね。その中で、聴いてくださる皆さんや業界の方の反応が見えてきたので、ここからは木村徹二というオリジナリティを、よりはっきり作っていきたいと思って制作しました。
――その3作の試みは、狙い通りだった感覚はありますか?
竜蔵:はい、狙い通りだったと思います。現場の声も含めて、テツ(徹二)のフィルターを通して「どう受けているか」「どの世代に刺さっているか」みたいな話を聞くんですけど、おおよそイメージしていた通りでした。
――今作「風神雷神」を最初に受け取った時、徹二さんはどのような印象を持たれましたか?
木村徹二(以下、徹二):狙いがすごくわかりやすい、という印象でした。というのも、昨年「雪唄」を一年間かけて歌ってきて、「現場でどんな反応があったか」「お客さんは何を求めているか」といったことを、竜蔵がかなり丁寧にヒアリングしてくれていたんです。だから、その積み重ねを踏まえて「風神雷神」という形に着地したのだろうな、と感じました。僕らは王道の演歌から始まったので、そこから見ると「雪唄」はド演歌から外れた場所にあると思うんですけど、一年歌ったからこそ、お客さんが演歌を求めているものも痛感して、それをストレートに伝えました。
――ライブやキャンペーンでそういう手応えがあったんですね。
徹二:そうですね。お客さんの声は敏感にキャッチするようにしていたんですけど、歌唱の評価以上に「いい曲だよね」と言っていただくことが多かったんです。歌が上手いというより、曲そのものを褒めていただくことが多くて。あらためて、楽曲のパワーというか、曲の強さはその都度感じていました。正直、「雪唄」の人気がちょっと半端じゃなくて、ミスったかもしれないなと思っています(笑)。

――はははは。徹二さんは「風神雷神」を録るにあたって、歌い方や表現面で特に大切にしたポイントはありますか?
徹二:荒々しさというか、きれいにまとまっていない感じを残したいと思っていました。ジャケットに書かれた文字も筆文字で、しぶきみたいな余白まで写っているじゃないですか。歌も同じで、技術的にはピッチもリズムも整えられるけど、あえて余分な部分も残しておきたかったので、きれいに整えすぎないようにしました。
竜蔵:もともとほぼエディットしないですし、ピッチもほぼいじらないんです。曲によっては一発録りみたいな時もありますし、今作は特にライブ感があるかもしれない。
徹二:そうだね。ライブ感がいちばん近い表現かもしれないですね。
竜蔵:実はレコーディングの日、3曲とも同じ日に録ったんですけど、気合いが入りすぎて、1曲目に録った「赤提灯」が肩をブン回していて、一度録り直したことがあって(笑)。徹二は歌に関して、憑依型というか、貪欲さがすごい。そこは勝てないですね。
徹二:レコーディング前に歌ったことはほぼなくて、オケ録りで初めて仮で歌って、聴いて、本番でもう一度。歌唱で言うと数回目のものが入っていると思います。歌っていくとよくわからなくなっていくんですよ。答えが見えてくるから、余計なことをし始めちゃう。だから、余計なことをする前の、さらっと歌える状態を残したくて、あまり練習はしないようにはしていますね。
――以前、2024年のリアルサウンドのインタビューで、徹二さんは「竜蔵さんに曲の要望は一切しない」とおっしゃっていました。今回の制作過程でも同じでしたか?
徹二:まったく同じですね。完成したものを全曲受け取る、というやり方です。「風神雷神」も「赤提灯」も「太陽」も、途中段階で聴くことは基本的にないです。途中で「こんなメロディどう?」っていうやり取りをすることもあるんですけど、それが自分のソロの曲なのか、ふたりでやっている音楽の曲なのか、混ざっちゃって覚えていないこともあります(笑)。でも、今回はできあがったものをもらった感覚でした。

――ソロに関しては、いい意味で竜蔵さんに委ねている感覚でしょうか?
徹二:信頼ですね。僕が口出しする必要がないという判断です。歌い手が作詞作曲される方に意見すること自体、あまりないと思うので、その流れに乗っている感じです。逆に、現場で聞こえてくる声は、作るうえでの材料になるかなと思うので、伝えるようにしています。
竜蔵:僕も歌に関しては信頼しきっているので、口出しはしないです。ただ、3作連続で作って、僕の中では出し切っちゃった感覚もあって、「次、どうしよう?」って一年ほど悩みました。そこで徹二に「次はどういうのがいいと思う?」って聞いたんですけど、さっき言った通り、明確な答えは返ってこないんです(笑)。
徹二:厳密に言うと、何も返さないんじゃなくて、「いいんじゃない?」って言いました(笑)。
竜蔵:ヒントとしては「この曲は歌い手に人気がある」とか「テレビの人が『いい』って言っていた」とか、「現場ではこれがいい」みたいなのをくれるんですけど、聞くたびに迷う、みたいな。とはいえ、カップリングも表題曲ぐらい力を入れるので、どれを軸にするかは嬉しい悩みですね。
――竜蔵さんから歌のディレクションもほとんどされないんですか?
竜蔵:細かい節の入れ方とか、尺を短くするとかの微調整は言いますけど、表現をこうしてほしい、みたいなのはあまり言わないです。僕自身、昔シンガーソングライターとしてひとりでやっていたときに、アレンジやディレクションで意図しない方向に行く気持ち悪さを感じることがあって。だから歌い手さんが気持ちよく歌える状態を大事にしたい。彼の名刺になるわけですから。
――その荒々しさが、王道の演歌でありながら現代的に聴こえる要因にもつながっている気がします。ご自身のなかで、そういう“今っぽさ”は意図していますか?
徹二:聴いてきた音楽と、歌ってきた音楽の違いかなと思います。ふたりでやっていたデュオは演歌ではないですし、聴いていた音楽も演歌よりもポップスのほうが多かったんですよ。周りの演歌の先輩や後輩は、素で歌って演歌になる人たちなんですけど、僕は素で歌うとポップスになるので、演歌スイッチに切り替えているんです。その切り替えのなかにポップスの要素が混ざるんだと思います。



















