木村徹二、『日本レコード大賞』新人賞を経て新曲「みだれ咲き」で歌う覚悟とは 幼少期からデビューまでの道のり

木村徹二、演歌DNAの根源を語る

 昨年末の『第65回 輝く!日本レコード大賞』で新人賞を受賞した演歌界のサラブレッド 木村徹二が、待望の2ndシングル『みだれ咲き』をリリース。鍛えられたたくましい体つき、そして端正な顔立ち。父・鳥羽一郎、叔父・山川豊のDNAを受け継いだルックスと歌声が話題だ。大学を卒業後、約8年にわたって兄・木村竜蔵とのユニット「竜徹日記」で活動し、演歌歌手として2022年11月に『二代目』でソロデビュー、この一年でめきめきと頭角を現した。彼の演歌に対する思いや父である鳥羽一郎とのエピソードなどを聞いた。(榑林 史章)

父・鳥羽一郎、叔父・山川豊のDNA――デビューまで10年間の道のり

木村徹二(撮影=池村隆司)

――『日本レコード大賞』新人賞おめでとうございました。X(旧Twitter)では、「親の七光りのおかげ」とコメントされていましたね。

木村徹二(以下、木村):それが事実だと思っております。何かアンチのような意見をいただいたわけではないのですが、僕自身、演歌歌手としてデビューして、日々どこに行っても父の偉大さを感じています。何十年来の父のファンの方、スタッフさんからも「いつもお世話になっております」と言っていただくことが多くて、僕が今こうして活動していられるのは、父が何十年と頑張ってきたおかげでしかないなと実感しています。そんな父の顔に泥を塗ることのないように、毎日気を引き締めて活動していますね。それは子どもの頃からそうで、何か悪さをしたら表で謝るのは父になるわけですから、そういうことがないようにと、ずっと母から言い聞かされていました。

――著名人の家族という部分で、思春期に父親に反発するようなことはなかったのですか?

木村:今よりも多少は尖っていた部分があったと思います(笑)。でも、一般的な中高生の思春期の枠を超えることはなかったですね。両親の教育のおかげもあると思います。

――鳥羽一郎さんは自由で豪快というイメージがありますが、ご自身でそういった部分を受け継いでいるところもあると思いますか?

木村:テレビでは、その豪快さが面白おかしくキャラクターとして映し出されていますけど、家でも実際にああいう感じなので、家族としては迷惑極まりないです(笑)。それを反面教師としていた感覚もあるかもしれません。父のキャラクターが強烈だったぶん、母はしっかりしていて、父の行動の悪いところだけでなく、いいところも両方を教えてくれましたし、父の悪口は絶対に言いませんでした。なので、父は僕ら子どもたちにとってはたしかに怖い人でしたけど、ただの怖い父親ではなく、尊敬する父親でした。父の不器用さの裏にあった愛情も、大人になった今なら理解できます。

――徹二さんが演歌歌手としてデビューしたのが一昨年の11月で、31歳でした。それ以前はお兄さんの木村竜蔵さんとのユニット“竜徹日記”として活動していて、その一環でソロとして演歌歌手デビューしたことは、YouTubeの動画でも明かされていましたね。

木村:はい。“演歌歌手デビュー”ということ自体に僕自身の意思は反映されていなくて、ドッキリのようなかたちでした(笑)。兄はすごく頭の働く人で、大学を卒業してユニットを組んだのも兄からの誘いだったのですが、それだけではどうしても食べていけないという現実があって。アルバイトをしながら音楽活動をしていました。兄としては、誘ったからには弟のためにしっかりとした道筋を立ててあげたいといった思いがあったようです。そこで「お前は演歌を歌えるんだからやったほうがいい」と、いろいろな方に声をかけて道を切り拓いてくれました。

――そこでお父さんが何か手伝ってくれたりは?

木村:きっと裏では動いてくれていたのかもしれませんが、僕らに直接「話を通しておいたから」というような話はされたこともありませんでした。ただ、「鳥羽一郎の息子である」という事実は父がその場にいなくてもついて回るものなので、それが興味を持ってもらえるきっかけになったことは、絶対的にあると思います。

――ユニットではポップス系の音楽をやられていましたが、演歌はもともとお好きだったのですか?

木村:はい。小さい頃から好きでした。兄も演歌が好きだったのですが、簡単に言うと演歌が歌えなかったんです。「こぶしを回して歌い上げる技術がない」と本人は言っていましたね。兄は作るほうの感覚に長けていて、僕は演歌の節回しの技術はまだまだですけど、できてはいたので、兄が曲を作って僕が歌うという役割分担ができました。反対に、僕は作るほうの熱量はあまりなくて。互いに自分がやれることとやれないことをしっかり理解しているので、歯車がしっかりかみ合っている状態です。二人三脚といいますか。

――兄弟で違った才能を受け継いでいるのですね。

木村:顔はふたりとも父に似ていると言われますが、僕は体格的に父や叔父の山川豊さんを受け継いでいます。やはり体格は声に反映されるので、より色濃くその才能を受け継いでいるのかもしれません。兄は作り手として分析しながら音楽を聴くことができる人で、職人肌といいますか、作ることに関しては父の師匠である船村徹先生のエッセンスを持っていると感じます。30代で演歌を作れる作曲家はなかなかいないので、非常に貴重な存在になっていると思いますね。

――“体格”という部分では、デビュー曲「二代目」のMVでは、タンクトップ姿で上腕二頭筋を露わにして歌っているシーンがありました。もはや演歌にとどまらない、ダンスボーカル系グループのアーティストのようだとも思いました。

木村:ありがとうございます(笑)。数多くいる男性歌手のなかで、どうやったら違った色を出せるのかをデビューする時に考えました。皆さん、細身の方が多いんですよね。僕は小さい時からがっちりしたタイプなので、他の皆さんとは正反対のこのがっちり体型をプッシュしていこうと思いまして。ステージ映えもありますし、体も魅せていこう、と。

木村徹二「二代目」MUSIC VIDEO

――もともと体を鍛えることがお好きなのですか?

木村:そうですね。無理のない程度に毎日やるようにしています。ただ、やりすぎてしまうと免疫力が下がって風邪を引いたりするので。僕の場合は筋肉がつきやすいタイプで、やればやるほど体が大きくなるんです。一日がっつりやったら、翌日には「大きくなったな」と実感があるくらいなので、結果が目に見えてわかるのはうれしいしすごく楽しいです。筋肉が付きやすい反面、落ちやすくもあって、そうすると単なる脂肪になって太ってしまうので、日々トレーニングを怠らないように気をつけています。

――筋肉は、つける部位によって声に影響しませんか?

木村:多少影響はあると思います。腹筋や首周りは呼吸を支える部分なのでやってもいいと思うんですけど、腕や肩周りはつけすぎると重くなるので、あまり鍛えすぎないほうがいいと思って。意識しながら、無駄な筋肉はつけすぎないように気をつけています。でも、映画『トランスポーター』などで有名なジェイソン・ステイサムさんには憧れますね(笑)。ただ、あそこまで鍛えると声への影響が大きくなりすぎてしまいそうなので、バランス重視で筋肉をつけていきたいです。

――子どもの頃から体を動かすのがお好きなんですか?

木村:好きですね。小学校から中学3年まではサッカー、高校からバスケットボールをやっていて、大学の時は友達とチームを組んでいました。でも、あくまで部活の範疇で、プロ選手になりたいと思ったことはありませんでした。

――じゃあ部活終わりでチームメイトとカラオケに行って、いろいろ歌っていたんですか?

木村:はい。そう考えるとカラオケが原点だったのかもしれません。学校の近くにカラオケ屋さんがあったので、毎日のように通っていました。EXILEさんのヒット曲はひと通り歌っていましたし、CHEMISTRYさんやKinKi Kidsさんなど男性デュオのポップスが当時流行っていたのでよく歌っていました。

――演歌は歌わなかったのですか?

木村:輪を乱してしまうので……(笑)。でも演歌は本当に好きで、父や山川さんの曲は日常的に聴いていて、iPodに入れて通学の時にいつも聴いていました。

――演歌は、カラオケで歌っているようなポップスとはまた音楽ジャンルが違うと思いますが、演歌のどういうところに魅力を感じていましたか?

木村:演歌が好きだったというよりも、父や山川さんの声が好きだったんです。それがたまたま演歌だったというだけで。遺伝子的というか、子守歌を聴くような感覚に近かったのかもしれません。

――「兄弟船」が子守歌ということですか(笑)。

木村:はい(笑)。熱い曲なので気合いを入れる時に聴く方も多いと思いますが、僕にとっては心が安まる子守歌のような感覚なんです。実際に父の子守歌を聴いたことはありませんし、もし歌ってくれたとしても怖くて眠れなかったと思うんですけどね(笑)。でも、どこでも歌っている人なので、家でギターを弾きながら歌っている姿を小さい頃からよく見ていました。父が歌っている姿は好きでしたね。

木村徹二が本気で歌ってみた「 兄弟船 」(鳥羽一郎カバー)

――アルバイトもたくさんやったのですか?

木村:兄とユニットをやりながら、接客業の仕事をやっていましたね。そこで相手がどういう人なのか、口調や雰囲気でパッと感覚で感じ取ることができるようになりました。相手に合わせて、接客方法を変えたり。

――そういう部分が育っているからこそ、ライブでのお客さんの反応なんかはよくわかりますよね。

木村:そうですね。歌いながら、常にお客さんの表情を見ていますね。

――いろいろな経験が、全部今の歌の仕事につながっているんですね。

木村:その通りだと思います。31歳でデビューして今32歳。周りは21歳や22歳、20代前半でデビューして頑張っている姿を見ると、当時の自分にはできなかっただろうなと思います。デビューまでの10年の経験がなければ、ここまで器用には立ち回れてはいなかったでしょうね。

木村徹二(撮影=池村隆司)

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