横浜銀蝿、会社員時代、大切な“先輩”との別れ――Johnnyが語る、ソロデビュー45周年に至る努力と継続の日々

Johnny、45年と『ヨコハマ・グラフィティ』

 横浜銀蝿のJohnny(Gt/Vo)が、ソロデビュー45周年を記念した最新アルバム『ヨコハマ・グラフィティ』をリリースした。1曲目「Highway Dancer」の冒頭〈やべえ 本気か マジかよ 俺を待ってたのかよ〉というフレーズで表現されているように、“待望の”という表現が相応しい40年ぶりとなるオリジナルアルバムである。

 そこでリアルサウンドでは、本作の制作背景に迫るべくJohnnyにインタビュー。制作の発端となった意外なキッカケ、今だからこそ届けたいメッセージ、そして横浜銀蝿デビュー秘話から解散後のキャリアを通しての学びまで、幅広く語ってもらった。(編集部)

ソロデビュー45周年アルバムで目指したもの

Johnny

――2023年5月に横浜銀蝿への完全復帰を発表したJohnnyさんですが、今回40年ぶりのソロアルバム『ヨコハマ・グラフィティ』をリリースすることとなった経緯を聞かせてください。

Johnny:今年5月で68歳になるんですが、まさかこの歳になってソロでニューアルバムを出せるなんて思ってもなかったですよ。今回のアルバムの始まりは、自分発信じゃないんです。俺は以前キングレコードで働いていたんですが、去年、当時の部下が「来年Johnnyさんが(ソロデビュー曲の)『ジェームス・ディーンのように』を出して45周年になるので、アルバムを出しませんか?」って言ってくれたんです。だからこのアルバムは、制作やデザインとかもみんなキング時代の部下や後輩たちが企画してやってくれたんですよ。サラリーマンって会社を引退すると元の上司なんて普通は煙たがるじゃないですか(笑)。そう思って当然の部下たちが、自分を慕ってやってくれたということが何よりうれしかったですね。だから、彼らが企画してくれたものを絶対に成功させなきゃと思って、今どんなに大変でも一生懸命やるようにしています(笑)。

――『ヨコハマ・グラフィティ』はどんな作品を目指したんですか。

Johnny:ソロデビュー45周年で「どんなアルバムにしようかな?」と思った時に、45年前に自分はどんなことを考えていたのかを思い返したんです。10代後半とか20代前半って、人間としては未完成で、だんだん歳を取っていろんなことを経験して成長して、成熟していくわけじゃないですか。だけど、若い未完成の時ってなんだかキラキラしていますよね。根拠のない自信があったり、他愛もないことに真剣に悩んだり、本気で女の子を好きになったり。きっとみんなそうだろうなと思って、「キラキラしていたあの時のかけらを集めたアルバムにしたいな」と思って曲を作っていったんです。そのなかで「あの頃の自分が将来なりたかった大人に今の俺はなれてるのかな?」「今の俺はあの頃の自分に恥じない生き方をできているのかな?」って、ちょっと真剣に考えちゃったんですよ。

――おっしゃられたことが、収録されている「Pure Mind」の歌詞に表れていますね。

Johnny:そう。たとえば、すごく幼い時って家が貧乏とか金持ちとかそんなの関係なく、気の合う仲間と友達になるじゃないですか。それがだんだん歳を取ってくると、「こいつと付き合ったらメリットがあるんじゃないか」とか、だんだん邪念が入ってきたりする。なりたい職業でも、幼い頃は「お巡りさんになりたい」「バスの運転手になりたい」というふうに純粋に憧れていたものだったのに、それが「これをやると儲かるな」とか考えてしまうようになったりすることもある。大人になることで成熟はしていくけど、ピュアな心が失くなっていくような気がするんですよね。

Johnny(T.C.R.横浜銀蝿R.S.)「Pure Mind」Music Video

――それは誰しもがありますよね。

Johnny:ちょっと大きな話になると、今っていろんな争いごとが起きたり、世界中が不幸じゃないですか。でも、どんな指導者でもみんな子どもの時代があって、ピュアな気持ちを持っていたと思うし。そうしたマインドをみんなが少しでも忘れなければ、もうちょっと幸せな世界になるんじゃないかな――そういう思いもあって曲を書いていったんです。人は過去は変えられないけど、いくつになっても未来は変えられるじゃないですか。アルバムを聴いてくれる人たちは50代後半から60代前半の方が多いと思うんですけど、「昔の自分に誇れるような人間に今なれているかな?」、なれていないとしたら「これから先どうやっていくか一緒に考えていこうよ」という思いを込めて作ったアルバムですね。

――なるほど。アルバムを聴くと、現在の視点で過去と未来を語っている感覚が、楽曲の端々から伝わってきます。では、リード曲になっている「二十才の頃」について聞かせてください。

Johnny:「二十才の頃」は、まさに20代の誰もが持っている心の葛藤や「誰もが可能性を持っているし、飛び立てるよ」っていうことが書かれているんです。俺は銀蝿でデビューできたおかげで今こうして音楽をやっているんけど、それ以前は人前では強気でいても、心のなかでは「俺はどうなるのかな?」って気持ちがあったんです。大学も行ったけど、ちゃんと授業に出てなかったし、将来にすごく不安な気持ちがあったし。たぶんみんなハタチ前ぐらいの時って同じような気持ちなんじゃないかな、って。ただ悩んでいることもあるけど、逆にすごく強気なところもあるじゃないですか(笑)。成熟してないから、いろんな気持ちが混ざり合っている。だから若い時って面白いんですよね。そのなかの欠片のひとつを書いた曲です。

Johnny(T.C.R.横浜銀蝿R.S.)「二十才の頃」Music Video

横浜銀蝿デビュー秘話「俺たち、金の匂いがしませんか?」

Johnny

――Johnnyさんが“二十才の頃”は、まさに横浜銀蝿がスタートする時期だと思いますが、当時どんな思いを持っていたのかをお聞きしたいです。

Johnny:銀蝿でデビューした時、俺は22歳だったんだけど、デビューする前の10代後半とか20代前半の頃って、勉強もそこそこできて、女の子にもそこそこモテて、バンドもやっていて、楽しくいい感じの日々を送ってたんですね。もともと銀蝿は、高校の同級生の翔くんたちと組んだバンドから始まったんです。メンバーがいろいろ入れ替わったけど、大学の時にドラムとして入ってくれたのが翔くんの兄貴の嵐(ヨシユキ)さんで。俺と翔くんはまだハタチ前で好き勝手楽しくやってたけど、嵐さんは大学卒業くらいの年だったんです。だから、人生のとらえ方が全然違って、嵐さんはプロ志向だったんです。それにくっついて俺と翔くんはいろんなオーディションも受けまくって、最終的にキングレコードでデビューすることができた。ただ、その時の俺は銀蝿が一生の職業になるとは思ってなかったし、シングルを1、2枚出せればラッキーくらいな気持ちだったんですよ。で、デビューする時に新譜試聴会があって、そこでメンバーで会社の人たちに挨拶したんです。その時に嵐さんが、社長とかの前で「俺たち、金の匂いがしませんか?」「俺たちは契約の2年間のうちに(日本)武道館満タン、シングル1位、アルバム1位を獲ります!」って公言したんです。

――すごいですね。

Johnny:当時は単なる横浜の不良だったし、俺は正直「この人、何言ってんの?」って思ったんですけど(笑)。でも、先輩の言うことは絶対ですから。「嵐さんが言うならついてくぞ」って、すっごく努力をしました。最終的に銀蝿は3年3カ月で解散したけど、それまでにシングル1位、アルバム1位、武道館満タンが全部叶ったんです。

――目標を有言実行してしまった、と。

Johnny:あの銀蝿時代、みんなで目標に向かって頑張って夢をひとつずつ捕まえてく充実感がすごかった。それ以前の何気なくやっていた時とは比べ物にならない充実感があって、「こういう生き方をしなきゃいけないんだな」って思ったんです。銀蝿はたまたま結果が出たけど、もし成功しなかったとしても、あの時にみんなで目標に向かって突っ込んでいったことに対して、自分のなかで納得できたような気がするんです。俺は銀蝿によって考え方が大きく変わったし、「一生懸命やることの大切さ」っていう、その後の人生の基盤を学びました。20代前半の3年間で、一生懸命ひたむきに生きる大切さを体感できたことは、自分のなかで得られた大きなものだったと思います。

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