横浜銀蝿、会社員時代、大切な“先輩”との別れ――Johnnyが語る、ソロデビュー45周年に至る努力と継続の日々

Johnny、45年と『ヨコハマ・グラフィティ』

AKB48、Sound Horizon、植村花菜……新天地で出会った才能たち

Johnny

――なるほど。Johnnyさんは1983年12月31日に横浜銀蝿が解散したあと、ソロ活動を経てレコード会社でお仕事をされていました。レコード会社時代のキャリアのなかでどのようなことを得たと感じていますか。

Johnny:銀蝿のあと、ソロ活動や作曲家などをやってたんですけどなかなかうまくいかなかったんです。家内は高校の時の同級生で、10年付き合って銀蝿が解散したあとに結婚したんですけど、ずっと「好きなことやってよ、応援するから」って言って支えてくれていたんですね。でも、29歳の時に子どもができて。仕事は一生懸命やっていたけど、なかなか結果が出なくて、「来月の家賃、どうしよう?」ってくらい大変になったんです。で、ここまで頑張って結果が出ないのなら、今度は今まで支えてくれてた家内、そして子どものために頑張ろうと思って、表舞台をすっぱり辞めることにしました。で、結婚の仲人をしてくれたのがキングレコードの社長だった方で、「食うのに困ってるんで働かせてください」ってお願いして、30歳の時にキングレコードに入って。俺としては覚悟を決めて入ったんですが、それまで自分はアーティストで、まわりの人は同じスタッフで、しかもスタッフからしたら社長の大トップダウンじゃないですか。

――そこは複雑ですね。

Johnny:だからみんなが、どうやって扱っていいのかって戸惑いがあったと思うんですよ。俺自身も銀蝿がキングレコードからデビューした時と同じように「これをやるんだ!」って目標を持たないと心が折れちゃうかなって。銀蝿は80年代に結果を出したんですけども、流れとしては、たのきんトリオ(田原俊彦、近藤真彦、野村義男)や松田聖子さんとかのように、“芸能史”のほうに名前が刻まれたと思っているんです。バンドの同期はアナーキー、HOUND DOG、ザ・ロッカーズとかなんですけど、銀蝿は“音楽史”のほうには名前が残ってないなって思っていた。だから、今度はスタッフとして音楽史に残るアーティストに関われるようになるまで歯を食いしばって頑張ろうって目標を立てて、いろんなことに耐えてやってきたんです。

――アーティストとしてのJohnnyを完全に封印して、ひとりの社員としてイチから出直すくらいの覚悟での入社だった、と。

Johnny:本当にそうでした。30歳でレコード会社に入って、はじめは現場のディレクターとして音楽を作ってたんです。楽しかったし必死で頑張ったんですけど、そんなに簡単じゃないですよね。スマッシュヒットはあったにせよ、自分のなかで満足する結果はなかなか出せなくて。そうしてレコード会社にいるあいだにも、銀蝿の結成20周年とか30周年とかで声をかけられたこともそりゃありますよ。でも、あれだけ覚悟を決めてスタッフとして頑張ろうと思ったのに、うまくいかないからってもう一度表舞台に戻ろうっていうのは、やっぱりちょっと違うよなって断っていたんです。

――生き方として納得できなかったわけですか。

Johnny:志なかばでかっこ悪いなと思って。でも、結局結果が出なくて制作を外されて、宣伝のほうに行ったりして、それからベルウッド・レコードという新人育成のレーベルに行ったんです。そこで出会ったのがSound Horizonでした。コアマーケットのアーティストでしたけど、当時10万枚くらい売れて。それがきっかけでもう一回キング本体の制作に戻れたんです。だから、現場として手応えを感じられたのが、自分のなかでSound Horizonが起点だなって思っています。キング本体に戻ったあと、だんだんいろんな結果を出せるようになり、セクションを任されるようになって、その時に出会ったのがAKB48や「トイレの神様」の植村花菜でした。AKB48はもちろん、植村花菜も2010年にほんとに大ブレイクして、音楽史に残るどころじゃない社会現象を作るアーティストにセクション長として関われた。それでやっと入社した時の頑なな思いが成就できたって気持ちになれたんです。だから、Sound Horizonがあって、秋元(康)さんとの出会い、「トイレの神様」とか、いろんないいタイミングがあったことで、今につながってるなっていうのはすごく思います。

横浜銀蝿・嵐と交わした最後の言葉

Johnny

――しかも、Johnnyさんは2023年5月に横浜銀蝿に完全復帰するというところにドラマを感じました。

Johnny:2020年の横浜銀蝿40周年の時、俺は1年間の期間限定での参加だったんです。当時はベルウッドの社長業もやっていたので、あまりスタッフに迷惑かけちゃいけないし、親会社のキングにも「両方半端にしないでやりますんで」って言ったんですよ。コロナ禍があって最終的に2年間になったんですけども、それをやり終えてスパッと会社に戻ったんです。嵐さんはツアーを始めた頃から病気がちだったんですが、横浜銀蝿40周年の2年間の最後の最後、2021年の12月31日までステージに立てていたんです。でも、年明けの2022年正月に急に体調を悪くして入院するようになって、車椅子生活になったんですね。

 その年の4月に嵐さんのバースデーライブが横浜ランドマークホールであったんですけど、俺がスタッフとして車椅子を押して、嵐さんはステージで3曲歌ったんです。そのステージ袖にいる時に嵐さんから「Johnny、横浜銀蝿はお前がいなきゃダメなんだよ。ずっと一緒にやろうよ」と言われて。でも、その時は会社に戻ったばかりだったし、「結成50周年とか60周年とかに、またみんな元気でやりましょうよ」って話していたんです。でも、そこから嵐さんの具合が悪くなって、3カ月後の7月に亡くなってしまって。嵐さんとちゃんと会話をしたのはその時が最後で、遺言と言えば遺言なので、「これは応えなきゃいけないな」と思った。そのあと会社のいろんなことを整理して、社長を辞めて、もう一度バンドマンとしてやろうということで今に至っているんです。浪花節じゃないですけど、いろんなことがありますね。

――社長業を辞めてバンドに復帰するって簡単なことじゃないですし、男の生き様というか、映画みたいなことをリアルに実践してるところがすごいなと。

Johnny:今、考えるとドラマチックになっちゃったんですけどね(笑)。でも、人生の晩年になって、こうしてまた好きな音楽をできるってことはありがたいです。もちろん応援してくれる人たちがいなければできないですし、嵐さんからの言葉にも感謝してますし、レコード会社の後輩たち、何十年も離れていても受け入れてくれたメンバー、いろんなことに感謝しています。みんながくれた晩年の幸せなんだから頑張らなきゃいけないな、って。

――では、Johnnyさんから同世代や80年代を過ごした人たちへのエールをもらえますか。

Johnny:今、公式Facebookのインサイトを見ると、フォロワーは55歳から60代くらいが多くて、8割くらいが男性なんです。80年代の俺は圧倒的に女の子担当だったのに、「今こんなに男に支持されてるんだ」ってびっくりで(笑)。それもうれしいですね。80年代当時を知っている方には、いつからでも青春を楽しめるしみんなここから未来は作れるから、俺と一緒に頑張ろうよ――と。健康を気にして、夢を見ていきましょうよって伝えたいですね。あと、3月から俺のセカンドバージンのツアーもあるんで、「みんな、応援しにきてよ!」って言いたいです。

――最後に、若い世代への応援のメッセージをいただけますか。

Johnny:まずは、「今なりたい自分の大人像に向かって生きてくれ」っていうのはあります。高橋みなみじゃないですけど、やった結果は必ず自分に返ってくるから。何事も一生懸命にやることは無駄にはならないと伝えたいです。さっきも言ったように、俺はレコード会社でずっと制作をやってきたけど、40歳になるころ、所属していたセクションが赤字になり解体されて、初めて宣伝に行くことになったんです。制作と宣伝は似て非なるもので、全く違う職種なんですよ。部署異動で会社を辞める人間もいますけど、俺は強い志でレコード会社に入ったんで、「こんなことぐらいでくじけない!」と思ったんです。そこで、後輩だった人間が俺に宣伝のいろはを教えてくれたんです。媒体回りも一生懸命やりました。そのあとインディーズセクションのベルウッドの枠が開いて、「そんなに制作やりたかったらやるか?」って言われて、それでSound Horizonに出会った。インディーズって音楽を作るだけじゃなくて、自分で売り込みに行ったり、店頭の販促とか全部できないと成り立たない職種なんですね。だから、宣伝で腐らずにやっていたことがベルウッドで活きたんですよ。何事もやった努力は絶対に自分に返ってくるっていうのが、そこでも確信できたんです。

――いつ何時も努力は怠ってはいけないと。

Johnny:晩年はJ-popセクションの本部長をしていたので毎年入ってくる新入社員に、部門説明の研修会で必ず言っていたことがあるんです。「希望の部署に配属されなくても、自分の想い通りにならないことがあっても腐らずにやっていれば必ず自分の身になるから」って。やったことは絶対に報われるってことを、自分の経験を通じて伝えてました。何事にも真剣に取り組む大切さを若い子には伝えたいですね。あとは、「いくつになっても頑張っている大人がいるよ、かっこいいんで一回ライブを観にきてよ!」ってことも伝えておきます(笑)。

■リリース情報
『ヨコハマ・グラフィティ』
発売中

『ヨコハマ・グラフィティ』配信URL:https://king-records.lnk.to/yokohamagraffiti
『ヨコハマ・グラフィティ<Johnny The Best>』配信URL:https://king-records.lnk.to/yokohamagraffiti_Best

<初回限定盤>
2CD+DVD|三方背ケース仕様
¥7,800(税込)|KICS 94239

封入特典
・別冊32Pフォトブック
・Johnny Live Tour “ヨコハマ・グラフィティ” CD封入先行シリアルナンバー
※申込締切:2026年2月8日(日)

<通常盤>
CD ONLY
¥2,800(税込)|KICS 4239

封入特典(初回製造分のみ)
・Johnny Live Tour “ヨコハマ・グラフィティ” CD封入先行シリアルナンバー
※申込締切:2026年2月8日(日)

DISC 01|オリジナルアルバム[初回限定盤と通常盤共通内容]
01 Highway Dancer
02 ジェームス・ディーンのように 2026
03 Pure Mind
04 二十才の頃
05 男の勲章 2026
06 青春 Memories
07 Frustration
08 湘南ノスタルジー

DISC 02|ベストアルバム[初回限定盤のみ]
01 ジェームス・ディーンのように
02 $百萬BABY
03 土曜の夜はHighway Danceで
04 みにくいアヒルの子
05 誘惑カーチェイス
06 いろあせて蜃気楼
07 鏡の中の自分
08 Let's do!
09 恋のOne Scene
10 太陽のツイスト / Johnny&みゆき
11 88の星座
12 真夜中のレーサー
13 セクシー・ルウ
14 ジュリエットの幻影
15 リボンをほどいて
16 KISS ME DARLIN'
※「$百萬BABY」の「$」は縦線二本

DISC 03|DVD[初回限定盤のみ]
01 Pure Mind (Music Video)
02 二十才の頃 (Music Video)
03 Johnny ロングインタビュー

■公演情報
『Johnny Live Tour “ヨコハマ・グラフィティ” 』

2026年3月21日(土)
大阪・江坂 MUSE
16:00開場 / 16:30開演

2026年3月22日(日)
愛知・名古屋 JAMMIN'
16:00開場 / 16:30開演

2026年3月28日(土)
東京・新宿ReNY
[昼公演]14:30開場 / 15:00開演
[夜公演]18:00開場 / 18:30開演

公式サイト:https://highway-dancer.net
X(旧Twitter):https://x.com/johnny_ginbae
Instagram:https://www.instagram.com/johnny_ginbae/

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