【シンガーソングライター×歌人】mekakusheと木下龍也が語り合う、言葉を書き続けるということ 幸せと寂しさの中にあるときめき

mekakusheの対談リレー第二弾をお届けする。ゲストは歌人・木下龍也。2013年に上梓した第一歌集『つむじ風、ここにあります』以来、複数の歌集や教本を出版。依頼者からのお題を受けて創作した短歌を収録した『あなたのための短歌集』が好評を博している他、舞城王太郎、岡野大嗣、谷川俊太郎、鈴木晴香らとの共著も発表するなど、現代短歌を代表する活動を続けている。
mekakusheと木下龍也の最初の接点は2022年。でんぱ組.incのアルバム『DEMPARK!!!』に収録された「DNA」をmekakusheが作詞・作曲した際に、その楽曲のポエトリー詞を木下が担当したことから始まっている。それから3年、恐らくふたりが公の場で話をするのは初めてだろう。「言葉を大切にしている人と話がしたい」という、mekakusheの思いを元に生まれた対談企画にて実現した。
ふたりの言葉は見えなかったものが見えるようになったり、背けていたものに向き合えるようになったり、読む前と読んだ後で少しだけ現実の捉え方が変わるところに魅力があるように思う。のんびりとしたテンションで始まった対談だが、終始mekakusheの歌詞に対する木下の着眼点が光っており、自然と『138億年目の恋』の作風が浮かび上がってくる。取材が終わって撮影に移ってからも、話が尽きなかった。(黒田隆太朗)
恋の歌で寂しさを書きたい
――最初の接点はでんぱ組.incに提供した「DNA」ですね。mekakusheさんが作詞作曲した楽曲に、木下さんがポエトリーをつけました。
mekakushe:でんぱ組.incの楽曲提供の依頼をいただいた時に、ポエトリーのリクエストがありまして。それで以前からファンだった木下さんにお願いできないものかと思いました。ただ、でんぱ組.incならやってくれるかな、と思ってお声がけしたら、でんぱ組.incを知らなかったという(笑)。
木下龍也(以下、木下):作詞をすること自体ほぼ初めてでしたし、申し訳ないですけど、でんぱ組.incさんもその時は存じ上げなくて。どうしようかな、という気持ちでした。でも、ポエトリーリーディングを聴くのは好きで、不可思議/wonderboyさんや狐火さんを聴いていたんですよね。あと、芥川賞の候補にもなった向坂くじらさんもポエトリーリーディングをやっていらしたので、そこに惹かれてやらせていただこうと思いました。
mekakushe:よかったあ。
木下:短歌は一応31音で定型があるので、言ってしまえばそこに言葉を入れれば短歌にはなるんです。でも、ポエトリーリーディングはそうじゃないから結構怖かったですね。曲に乗っかるようなテンポの言葉で、なおかつmekakusheさんが先に書かれてる詞の世界観に添いつつ、同じではないもの。そのポエトリーがあることによって、先に書いていただいた詞と曲が活きるようなものを書かないとな、と思っていました。
――〈大丈夫、インクとかなしみなら かなしみのほうが先に尽きるよ〉という一節で一気に情景が広がります。
mekakushe:いいところですよね。でんぱ組を知らないと言っていたのにめちゃくちゃ解像度が高くて、〈10色の電波〉とかオタクだったのか? というぐらいポイントを抑えている。木下さんの書いたものを読んだ時、作詞家の及川眠子さんが、『新世紀エヴァンゲリオン』を1話しか見ないで「残酷な天使のテーゼ」の歌詞を書いたという話を思い出しました。すごい吸収力とそれを落とし込む才能、筆も早いしびっくりしました。
――mekakusheさんは何故木下さんの作品に惹かれていたんですか?
mekakushe:木下さんを知ったのがコロナ禍だったんですけど、書店に『今日は誰にも愛されたかった』という谷川さん(谷川俊太郎)と岡野さん(岡野大嗣)との連詩の本があって、私は谷川さんのファンだったので手に取ったんです。それで岡野さんと木下さんにも興味が出てきて、『たやすみなさい』と『あなたのための短歌集』を1冊ずつ買ってみました。そしたらもう『あなたのための短歌集』が素晴らしすぎて! 名作です、これを読んで大ファンになりました。
木下:ありがとうございます。歌手の人にこんなことを言うのもあれですけど、mekakusheさんは本当に歌が上手いですよね。詩も胸に残るものがあります。僕が好きな曲は「恋の未明」や「片思いマグネット」。新しいアルバムの『138億年目の恋』に入っているものだと「ユワナメロウ」も好きです。たぶんアップテンポな曲が好きですね。
mekakushe:意外です。勝手にしっとりしているイメージを持っていました(笑)。
木下:あと、「スノードーム銀河」でしたっけ?
mekakushe:はい、ドム銀です。
木下:ドム銀っていうの?(笑)。僕は音楽に対して耐性がないので、転調されるとすぐにすごい! と思っちゃうんですよ。
mekakushe:ちょろいな。
――(笑)。
木下:mekakusheさんは基本的に恋愛を軸に歌われていますよね。自分も恋愛の短歌を書くことがたまにあるんですけど、やっぱりネタがどんどん尽きてくるんですよ。だから難しいだろうなと思います。かなり角度を変えていかないと、似たことを書いてしまいそうにもなるだろうし、そこはどうやってるのかなと。
mekakushe:私は恋の歌で寂しさを書きたいと常に思っています。木下さんの「詩はすべて「さみしい」という4文字のバリエーションに過ぎない、けれど」(『オールアラウンドユー』)という短歌が一番好きで、それを読んだ時に、私がやりたいことってこれだ! と思ったんですよ。恋を書いていくと同じ情景になったり、同じ言葉遣いになっちゃうことがあるけど、別にそれでいいんだと。それをバリエーションにしていけばいいんだから、恋以外の歌を歌わなくていいんだと思えたんですよね。なのであの短歌に救われました。

木下:「うわのそら」には普通に〈愛してる〉という言葉が出てくるんですけど、結構ストレートな言葉なので使いづらいというか。みんなの言葉なのでそれを歌詞に出すことって結構勇気がいることだと思うんです。でも、mekakusheさんがYouTubeでやっているラジオの中で、「今の自分ならその言葉を使えるんだ」みたいなことをおっしゃっていて。その境地なんだなと。それはいいな、どうすればそう思えるんだろうと思いました。
mekakushe:「愛してる」と言わずに愛してるをどう表現するか、というのがたぶん作家や物書きの宿命なんですけど。
木下:うん。
mekakushe:それをもう10年ぐらいやってきて、疲れちゃって。
木下:疲れた(笑)。
mekakushe:ある日、愛してるというのは愛してるでよくない? と思っちゃった。「愛してる」という言葉でしか言えない「愛してる」があると思ったんですよね。自分なりにいっぱいそれ以外の表現で書いてきたからこそ、ちゃんと意味がある愛してるを書けるようになったのかもしれない。
木下:1周したってことですよね。愛してるを使わないように歩き始めて、愛してるに戻ってきたという。
mekakushe:活動10年間で1周できた気がします。でも、「愛してる」はここ! という時の必殺技みたいなところがあるので、アルバムでも「うわのそら」でしか歌っていないです。
木下:この中(『つむじ風、ここにあります』)にも「愛してる」から始まる歌が1個あるんですけど、「愛してる」という言葉をいじるというか。
――「愛してる。手をつなぎたい。キスしたい。抱きたい。(ごめん、ひとつだけ嘘)」ですね。
木下:そうそう。
mekakushe:あれ好き。
木下:そうやって「愛してる」を愛してるとして扱わないようにすれば、使えたりはすると思うんです。でも、愛してる人にそのまま伝えるように歌の中で使おうとすると、僕はまだそこには至れていない。それってもうトイレのカレンダーに飾られるぐらいのレベルにならないと、そんなストレートな言葉を書けないです。短歌にはメロディの力もないし、歌声もないので、本当に読んでもらう時はテキスト一行だけなんですよね。歌は繰り返せるじゃないですか。曲の中で歌い方を変えることもできますし、そこはすごくいいですね。あと、mekakusheさんはストレートな言葉も使いつつ、たぶん自分の中にある濃い部分を入れているんじゃないかなと思うんです。

――そこに作家性を感じるということですか?
木下:そうですね。言い方が悪いですけど、万人受けみたいな方に行こうとすると、もちろん言葉が平易でなければならないし、聴きやすい音楽でなければならない。だから聴いてる時に、ん? ってなるのは結構ノイズなんじゃないかと思うんです。でも、mekakusheさんはちゃんとそういう部分を自分で入れてるというか、逆にそこが印象に残ってくれたらいいと思って入れてるんじゃないかなと思いながら聴きました。「ユワナメロウ」でも〈全然なびかないプラスティックのワンピース〉というフレーズがあるんですけど、これなんかは短歌っぽいと思います。プラスチックのワンピースって本当にあるんですか?
mekakushe:ないです。情景ですね、時が止まったみたいな。
木下:そうですよね。だから自分はそれを見たことはないんですけど、確かにプラスチックのワンピースは風になびかないだろうな、というのを言われて初めてわかるというか。想像したこともなかったものを、日常の世界に置いた時に当然そうなるよな、という気づきを与えてくれる。なんか聴いててそこにビビりました。これを急に入れてくるんだって。
mekakushe:異物感みたいなものは絶対にあった方がいい派です。でも、きのたつさんの短歌もそうです。
木下:きのたつだったんですか?(笑)。
mekakushe:勝手にそう呼んでました(笑)。きのたつさんの短歌もそのバランスが素晴らしくて好きです。それがなければ美しい短歌なのに、ある言葉を入れることによってちょっと歪めている、と思える作品がいくつもあって。わざとなんだろうと思うんですけど、私もそれを歌詞でやりたいと思っています。ただ恋の歌を歌っても自分に響かないんですよ。だから突飛なモチーフ、たとえば「コンビニと宇宙」みたいなものがすごく好きで、そのバランスを曲の中で自分なりに取っています。
木下:他にも例えば「片思いマグネット」で、〈抱きしめてほしい 嫌いになるまで〉と歌っています。〈嫌いになるまで〉と聴いた時にぐっと胸を掴まれるというか、〈抱きしめてほしい〉だけだとスッと聴き流してしまう言葉でもあるけど、〈嫌いになるまで〉と言われると急に切ない話になる。そして嫌いになるんだろうなと、この言ってる人も思ってることに気づいて、急に終わりが見えちゃうんですよね。そういう引っかかる部分を短歌では「くびれ」と呼んだりするんですけど、それがあると歌のフックになって読む人の目を止めやすいんです。そういうのがmekakusheさんの曲には盛り込まれていると思います。

――mekakusheさんは何故恋について歌うんだと思いますか?
mekakushe:なんか私、恋を書いている自覚が一切なくて。恋だったんだ、と最近気づきました。恋愛が自分の人生の中心かというとそうでもなくて、恋多き人生でもない。なのになんで私は恋ばかり突き詰めて書いてるんだろうと考えたら、いろんなことを恋として捉えてる節があるかもしれないと思いました。例えば道すがらにかわいい犬を見てもキュンとするじゃないですか。めっちゃ嬉しいことがあったとか、空が綺麗とか、話してみたらこの人のこんなとこが素敵だったとか、そういう恋愛ではないけどただのライクではない、その名前がつけられていない現象をひっくるめて私は恋だと思って書いてるのかもしれないです。
――胸がときめく瞬間を書いてると。
mekakushe:だって創作はときめきしかなくないですか? そのときめきは綺麗なときめきだけじゃなくて、寂しさにときめく時もあるし、なんでこんなに悲しいのに美しいんだろうと感じることもときめきだと思うんです。それを自分の言葉にして創作したいから書いているんだと思います。
木下:短歌の作り方を小学生や中学生に話しに行く時に、僕は「反応を捉えてほしい」と言ってるんです。それは心の揺れみたいなもので、勝手に「あいうえお反応」と呼んでいるんですけど。それを生活の中で見つけて、いつか歌にすることを勧めているんですよね。例えば道を歩いていて、落ちている桜の花びらを踏んだ時に胸が「う...」ってなったとします。その「う...」と思ったことをすぐに短歌にしなくてもいいですけど、いつかそれを思い出して短歌にしておいてくださいね、と喋りに行くんですよ。mekakusheさんが話したときめきというのは、その反応のことなんだろうと思いました。
mekakushe:「はなびらはやさしい地雷 踏むたびに胸のあたりがわずかに痛い」が大好きです。
木下:桜の花びらが散ってる道を歩いた時に、なんかちょっと申し訳ない気持ちになるじゃないですか。でも、それって流しちゃうことですよね。「桜の花びらを踏んで『う...』となってしまって」と誰かに話しても、なんだこいつ? と思われると思うんです。でも、それって言わないからこそ自分の胸に残り続けるものであって、それを短歌という定型に残しておけば、自分が忘れたとしてもその短歌が覚えてくれている。何に反応するかというのは本当に人それぞれだから、基本的に僕は全員に残しておいてほしいんですよ。僕の目的は人が書いた良い短歌を読むことなんですよね。だから『う...』と思ったことを残しておいてね、と今子供たちに言っておくと、将来それを読めるかもしれないという気持ちがあります。mekakusheさんは谷川さんが好きで、自分も詩でいこうとはならなかったんですか?
mekakushe:詩だけで行く人はすごい勇気だと思います。「DNA」でポエトリーが書けなかった理由も、剥き出しの言葉に自信がなさすぎたから。メロディがあって初めて自信が持てるので、テキストだけで勝負してる人はすごいなと。言葉の力があって、本当に正攻法で来てる感じがします。私は今でも曲を作る時には詞から書くんですけど、短歌のような形式でまず書くんです。取り留めもなく書いても意味がなくなっちゃうから、ちゃんと五七五とかリズムを決めてメモに残すようにしていて。そこにメロディを乗せるところまでが私の場合は1セットなので、詩で行こうとは思いませんでした。

木下:短歌は人前に出ないので、その分ダメージが少ないというか、人前で歌えるのはまずすごいです。あと、短歌は書いてしまえば自分のものではなくなるので次に行けたりするんですけど、シンガーソングライターの方はそれを何回も歌わないといけない。それはやっぱりすごい覚悟というか、代表曲ができればいろんなところを回ってそれを歌わないといけないだろうし......飽きたりするんですか?
mekakushe:飽きないですよ(笑)。大事な言葉たちです。
木下:なるほど、そうか。たぶん自分で歌うから、自分の言葉であり続けるんですよね。僕はあんまり覚えてないですもん、自分の書いたもの。
mekakushe:それ、めっちゃ気になってました。
木下:この本(『あなたのための短歌集』)に関してはかなり覚えてないです。
――歌う人も成長するし、変わっていくと思うんです。そう思うと確かに書いたものを何回も自分の声で歌うというのは不思議な感じがしますね。
mekakushe:曲作りを始めたばかりの頃の曲は、やっぱりもう自分じゃないみたいな感じがして歌わなくなりました。名義も違いますしね。でも、今歌ってる曲が10年後にどうなるかは正直わかんないけど、自分にとって具体的なことを歌っていないのは大きいかもしれないです。「あの人と別れた時の曲」とか、そういうのは1曲もなくて。常に妄想で書き上げてるので、そこが自分の中で腐らない理由かもしれないです。
――木下さんはご自身の作風の変化などは感じますか?
木下:第1、第2歌集はまず知ってもらわないといけない時なので、結構今とはキャラが違うというか、自分でも尖っていた感じがします。殴ってでも振り返ってもらおうとしている時期ですかね。なのでその時はたぶん自分のために書いていて、それ以降は自分以外のために書くことがモチベーションになっています。歌があることによってその人が1歩進めたり、その人を包めるような言葉を今は意識して書いています。あと、バリエーションを作るために他の歌人と共著を出したりもしてますね。他の人とやると、自分の中の開けてない引き出しを開けてもらえる感覚があります。



















