mekakusheの表現の中にある生活と終末感のバランス “あこがれ”に込めた思い

mekakushe、“あこがれ”に込めた思い

 mekakusheが2年ぶりのアルバム『あこがれ』をリリースした。今作における重要なトピックとして、まずは多数の編曲者たちの存在が挙げられるだろう。本作ではハヤシコウスケ(シナリオアート)、君島大空、管梓 a.k.a. 夏bot(For Tracy Hyde)、cosmomuleといった4人にアレンジを依頼(既発曲の「泣いてしまう」、「COSMO」は野澤翔太が担当)。統一感のあったサウンドメイクから一転、変幻自在のビートとシンセサイザーが入り乱れる、色とりどりのポップミュージックになっている。そしてその中で歌われる美しい詩とメロディには、mekakusheの類稀な個性が詰まっているように思う。「前作以上にポップになった自負がある」というアルバム『あこがれ』。そこに込めたJ-POPへの憧れ、インディミュージックへの憧れ、平和への憧れについて語ってもらった。(黒田隆太朗)【インタビュー最後にプレゼント情報あり】

この気持ちを残さないといけないって思った

ーー前作の『光みたいにすすみたい』とは異なり、『あこがれ』では多くのアレンジャーが参加していますね。

mekakushe:前作まではひとりの編曲家さんにアレンジをお願いしていて、その方とは6年以上、一緒に制作していたのですが、どこかで別の人に頼んでみることで、自分の世界が広がるんじゃないかなって思いはあったんですよね。なかなか踏み切れなかった部分もありましたが、今回から新しい人に頼んでみようかなって気持ちになりました。

ーーその一発目がシナリオアートのハヤシコウスケさんでした。

mekakushe:シナリオアートも聴いてはいたんですけど、私は元ねごとの蒼山幸子さんのアレンジをされていたのがすごく印象に残っていました。最初に聴いたのが「バニラ」という曲で、突き抜けた気持ちのいいシンセポップに、蒼山さんの悲しみを秘めているような歌声がマッチしていたんですよね。自分の歌声も元気はつらつな声質、というわけではないので、何か親近感が湧いてきて。頼んでみようかなと思っていたところに、コウスケさんが夜にmekakusheの曲を聴いているってツイートしてくださっているのを見つけて。それでお願いしてみました。(※1)

ーーご自身の曲もシンセポップの方向性で作ってみたいと思っていたんですか?

mekakushe:個人的な志向で言うとエレクトロサウンド、たとえばCorneliusが大好きなんですよね。生楽器がカットアップされているみたいな、そういうアコースティックとエレクトロの良い塩梅の音に惹かれます。そうしたサウンドは前回のアルバム(『光みたいにすすみたい』)から落とし込んではいたんですけど、今回はシンセポップというよりわかりやすい形で届けられたらいいかなと。そして、それがコウスケさんと一緒に作る意味かなとも思いました。

ーー「グレープフルーツ」と「ボーイ・フッド」には、そうした趣向が出ていますね。

mekakushe:そうですね。特に「ボーイ・フッド」はアルバムのリード曲なので、アッパーな曲がほしいと思い、シンセのキャッチーなサウンドで作りたいと伝えていました。

mekakushe - ボーイ・フッド(Music Video)

ーーcosmomuleさんが編曲した「ジオラマ」も、抒情的なエレクトロサウンドが心地良い楽曲です。

mekakushe:わたしはcosmomuleのただのファンです(笑)。彼の「発光」という曲が大好きなんですけど、それこそアコースティックサウンドなんだけどビートはエレクトロになっていて、そのバランスがCorneliusじゃん! って感じでビビッときました。それからDMでやり取りをしたり、ご飯を食べに行って仲良くさせてもらう中で、1曲ずつお互いに書き合おうということになり、フューチャリングをさせてもらった「不協和音のわたしたち(feat. mekakushe)」を去年出して、そのお礼として「ジオラマ」のアレンジをしてもらいました。

ーー君島大空さんやFor Tracy Hyde(以下、フォトハイ)の菅さん(管梓 a.k.a. 夏bot)が参加したのも、大きなトピックだと思います。

mekakushe:君島さんは去年の6月にツーマンライブをさせていただいて、フォトハイやエイプリルブルーも対バンをしたことがあったので、去年ライブに力を入れて活動していく中で出会ったおふたりです。

ーー君島さんが編曲した「きみのようになれるかな」は、穏やかで心地のいいメロディで始まり、最後はエレクトロポップのようになる曲です。ただ、中盤だけはエイトビートっぽいバンドサウンドなんですよね。そうした中間部の音からは、くるりっぽさを感じました。

mekakushe:やったー、嬉しいです。特にくるりの「ばらの花」のサウンドが大好きです。この楽曲では素朴さを大事にしたい気持ちがあって、「ばらの花」とかふくろうずの「ごめんね」のサウンド感をイメージして書きました。あと、「ばらの花」にはそれこそエレクトロとアコースティックの良い塩梅も感じますね。なので無機質な四つ打ちというよりは、エイトビートになったり、最後はノイズビートになったり、そういう方向性で行きたいですって話を君島さんとはしていました。

mekakushe -きみのようになれるかな(Music Video)

ーー菅さんが編曲している「スイミー」は、とりわけ素晴らしい楽曲だと思います。後半のシューゲイザーサウンドが新鮮でした。

mekakushe:この曲は絶対にシューゲイザーにしたいと決めていました。私は海外のシューゲイザーを知らなくて、そのジャンルを知ったのが夏botのおかげだったし、フォトハイはシューゲイザーを海外と日本の架け橋にしたような功績を持つバンドなので解散は寂しいんですけど。「スイミー」は菅さんに頼んで断られたら、収録するのをやめようと思っていたくらい本命でした。

ーー歌詞も胸に迫るものがありました。mekakusheさんの音楽は言葉が耳に入ってくるのが魅力だと思います。

mekakushe:詞先で曲を書いているからかもしれないですね。ずっと詞から先に作っていて、今もそのままです。

ーー〈あなたがドライヤーをしてくれる間に 戦争が起きた〉というラインが象徴的で、戦争というショッキングな出来事が、恋人と過ごしている風景の中で語られている。どうしてもウクライナ侵攻のことを思い浮かべてしまいますが、何気ない日常と非現実なことが同居しているのは、まさにこの1年の生活そのものだったように思います。

mekakushe:「スイミー」は戦争が始まった去年の2月、いてもたってもいられなくて書きました。あまりにも恐ろしいことがテレビ越しに流れていて、音楽をやっていていいのかなってすごく考えました。でも2カ月、3カ月と経つ内に、みんなの中で最初のショッキングな気持ちが少しずつ薄まっている気がしたし、私も少しずつ慣れていってしまっている感じがして、それもすごく怖かった。この気持ちを残さないといけないって思ったので、〈あなたがドライヤーをしてくれる間に 戦争が起きた〉というのは、まさに怖いと思った時に浮かんできた歌詞でした。

ーー怖いと思ったことも、率直に音楽にしたい。

mekakushe:生活の中に音楽があるから。まずは普通に生活をしていて、平和で幸せでその上で音楽ができている。どのクリエイターも、そういう気持ちなんじゃないかなと思います。

ーー穏やかな弾き語りで聴かせる「日曜日」もすごく良い曲です。この曲だけ編曲者のクレジットがありませんね。

mekakushe:編曲の方はいなくて、私がピアノで弾いたものをアコギに置き換えてもらいました。最初はピアノで収録しようかとも思ったんですけど、どうしてもアコギの素朴な響きがほしかったんですよね。日曜日になるとアパートの隣の部屋からアコギの音が聴こえてくるんですよ。そのおかげで私の中で日曜日とアコギの音は親和性があったのもアコギにした理由の一つです。

ーー〈あした世界が終わるのに洗濯物をたたむ/あした世界が終わるのにきれいにマニキュアぬる〉というフレーズにも、「スイミー」のお話に通ずるものがありますね。mekakusheさんの曲には、どことなく終末感が漂っていて、それが日常の風景と混在しているような気がします。

mekakushe:生活と終末感のバランスは曲作りをするときに特に大切にしているものです。終わりを考えずにはいられない、というのがずっとありますね。「スイミー」や「日曜日」の歌詞を書いた時は、本当に世界が終わってしまうかもしれないという世界線にいて、それがもしもの話ではないということを生活の中でも意識しないといけない……そういう気持ちになるのはとても辛いし、「日曜日」はアコギの素朴な曲に聴こえるかもしれないですけど、言っていることはすごく悲しいじゃないですか。でも、そういうことができるのも芸術の醍醐味というか。歌だと極端なことも言えるし、ある意味曲を作る時って極限の状態で書いているから。思考が振り切っているところはあると思います。

ーー「綺麗な」の〈音楽にすれば、永遠だろうか〉という歌詞も印象的でした。

mekakushe:「綺麗な」という曲は、アルバムの中でもすごく内向的な曲になったと思います。「ボーイ・フッド」や「グレープフルーツ」のように、外へ外へという気持ちで作ったわけではない。自分の曲がいろんな人に聴かれてみんなの歌になってほしいという気持ちもあるけれど、その一方で、だれかに聴かれる聴かれないとは全く別の次元にある、音楽を好きだという自分の根底を大事にしていたい気持ちもあります。人生のすべてを掛けて音楽をしているし、このままおばあちゃんになるまで音楽に向き合っていたらいつかわたしも音楽になれるんじゃないかって、幸せになれるんじゃないかという気持ちもあるんですよね。それもひとつの答えだと思うので、この曲は音楽という概念への憧れを歌った曲ですね。

mekakushe - グレープフルーツ(Music Video)

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