山口美央子の“ポップス”を凝縮 聖書・アート・怪談……様々なモチーフから生まれた『LOVE & SALT』制作秘話

屋敷豪太、クリス・モズデル、原口沙輔……世代を越えた共同制作者たち

山口美央子らしさを保ちつつ、曲はポップでバラエティ豊かに。
アルバム冒頭曲の「FREYA」のイントロはギターのカッティング音から始まる。“シンセ・ポップの女神”と評される山口美央子だから、意表をついたアルバムのスタートだ。
「松武さんから1曲ぐらいギターの曲はどう? との提案があり、そのときはえっ! という感じだったんですが、次第にそれもおもしろいかなと思いこの曲を作りました」
この曲にはドラムに屋敷豪太を招いている。ソウル・Ⅱ・ソウル、シンプリー・レッドの頃から屋敷豪太の生み出すグルーヴに惹かれていた。
「最初はミディアムテンポのつもりで作っていたんですけど、いざギターのイントロができるともう少しテンポが速いほうがいいかなと。そしてこの曲は生ドラムじゃないと単調になってしまうかもしれないとも思いました。そこで私が90年代にずっと聴いてきた豪太さんのあのグルーヴがピッタリだな、と思い」
かつて屋敷豪太が制作したドラムループのサンプリング用CDはいまも持っている。しかし、サンプリングではなく生のドラムが欲しい。「レコーディング中からトラックシートに“屋敷豪太DRUM”と名前を書いておいて、プロデューサーに圧をかけ続けました(笑)」
その結果、見事に屋敷豪太の参加が実現した。
「やはりこの感じは他の誰にも出せない。レコーディングのときからこのグルーヴはさすがだねとみんなで話していました」
タイトルの「FREYA」は北欧神話の愛と豊穣の女神。その女神がいつも空から誰かを見ているという歌だ。
「ちょっとロールプレイングゲームっぽいんですが、元々そういう世界がすきなので」
ポップなサウンドに山口美央子ならではの世界が融合したリード曲となっている。
アルバムタイトルにもなった「LOVE & SALT」は愛と塩。
プロデューサーの松武秀樹は「人間に必要なのは愛と塩。戦争なんかしている場合じゃない」と言う。
歌詞では旧約聖書にある『ロトの妻の塩柱』の話に触れられている。いま紛争のただ中にある塩水湖の死海も近い。「MAGIC」はアルバム中、もっともポップかつダンサブルな曲で、最初はこの「MAGIC」をアルバムタイトルにするプランもあったそうだ。
「TIMELESS」はアンビエントな空間の中で中世イングランドの王、ヘンリー8世の二番目の妻、アン・ブーリンを描いている。波乱万丈の人生で、自分の都合で何度も結婚を繰り返したヘンリー8世。非業の死を遂げた妻たちの幽霊はいまも宮廷だったハンプトン・コートや処刑されたロンドン塔の中に現れるという噂もある。
「アン・ブーリンも悲劇的な最期を遂げて、その魂が今は廃墟となった古城をさまよう様子を頭の中で絵にして作りました。ピアノの音はすごく凝っています。他の曲のテンポがよい中でこの曲が流れてくると、ああ、癒されるなとミキシングのときに個人的にも思いました」
そして新約聖書に出てくるサロメも歌にした。サロメは王の前で踊り、褒美として洗礼者ヨハネの首を所望したという伝承が残っている。
「あの時代に本当にサロメが実在していて、王の前で踊る様子を頭の中に描きました。そのとき、踊りのバックの楽器はパーカッションだけだろうと想像して、パーカッションをメインとした楽曲に。おそろしさやサロメの感情をイメージした音作りをして、松武さんにも女の執念のようなこわい音を入れてくださいとお願いしました」
続く「刹那逢はまし恋牡丹」は山口美央子のトレードマークとも言うべき和の要素の世界だが、これまでとちがい、邦楽器は使用していない。
「もとになっている『牡丹灯籠』は昔からとても好きな怪談話で、好きな男のもとに死者が帰ってきて、一緒に黄泉の国に連れて帰ってしまう。まず最初はお墓の音だろうと。次にシンセで墓場に響く駒下駄の足音であるカランコロン(『牡丹灯籠』といえばこの音)という音を入れました。私の以前からの日本的な世界に怖い要素を付け足せたなと気に入っています。外国のファンの人にはこのカランコロンの音の意味は伝わりにくいかと思いますが、歌詞を訳して読んでいただければ、イメージは伝わるのかなと思っています」
そして「SPACY LOVE」はエレクトロニックなポップナンバー。
「この曲はトランスっぽいという意見も聞きましたが、『FAIRYTHM』に収録している『アストラル・ワールド』のようなタイプの曲を1曲入れたいと思ったんです。松武さんはずっとタイトルを“スパイシー・ラヴ”って言い間違えてましたけど(笑)」
往年のテクノポップの香りもする1曲となった。
そしてそのテクノポップの雄、YMOに詞を提供していた英国出身の詩人、クリス・モズデルに詞を依頼した2曲のうちの1曲がこの「DIAMOND-EYED」。
「クリスさんとはずっと仲が良くて、また一緒に曲を作りたいねって話してたんです。今回、松武さんも私も英語の曲は入れたいなと思っていて、この曲は英詞が乗ることを前提に作っています。そしてデモをクリスさんに聴いてもらったら、即座にこれはかわいいラブソングがいいねと。もうその場でイメージができたようで、“緑色の小鳥がハンサムガイに恋をする詞がいいね”と。それからクリスさんはご自宅のあるニューヨークに戻られて、メールでやりとりをしながら完成させていきました」
9曲目となる「夢百姿」は明治時代に画家の月岡芳年が、自身の命を捧げるように描いた月をテーマにした連作浮世絵/錦絵集の「月百姿」からイメージを膨らませた曲だ。
「いままで私はピアノの弾き語りだけという曲はあまりなかったので、今回そういう曲を入れてもいいかな、と。ただのピアノの弾き語りでもなくて、ピアノの音にいろいろな音を混ぜて音色が作られています」
このしっとりとした「夢百姿」の次は、アルバム最終曲「MAGIC」の英語ボーカルバージョンとなる「SEVEN SEAS OF DREAMS(“MAGIC” Remixed by Sasuke Haraguchi)」。
「原曲の“MAGIC”はアルバムでいちばんポップな曲なので、海外の人にも英語詞で届けて曲に共感してもらいたいという気持ちがありました。そこでこちらもクリスさんに英詞をお願いして」
スムーズに進んだ「DIAMOND-EYED」とちがい、こちらは作曲家と作詞家のあいだで認識のズレなども生じた。
「不思議な海の感じでとお願いしたのに、途中なぜか宇宙の歌の詞が返ってきて、『美央子、これでどうだ』って!(笑)。そこで『クリスさん、これはちょっと方向がちがいます』と。大きな直しになるし時差もあるからかなり時間がかかることを覚悟したんですけど、次の朝にはもう直しが届いていて、こんなにすぐ方向性を変えた詞がすぐできるのはすごいなと。そして言葉の使い方や韻の踏み方も日本人にはなかなかできないすばらしいものになっていて。あらためてクリスさんの才能はすごいと思いました」
この曲は原口沙輔がリミックスを担当した。
「沙輔さんにリミックスをお願いしたのは、5月に京都で行われたYMOトリビュートイベントでの松武さんとの共演を見て、とても才能のある人だと思い。今回はもう完全にお任せで自由にリミックスしてくださいとお願いしました。できあがりを聴いた時はかなりびっくりしました。これは世のアレンジャーがみんな嫉妬するんじゃないかと。昔のクロスオーバーやフュージョンの感じといまの音の両方が共存しているREMIXで、もちろん勉強もなさっているんでしょうけど、それだけではないセンスの良さを感じました。私は音であまりびっくりしないほうなんですが(笑)、彼にはびっくりしました。依頼したとき松武さんは(23歳の)沙輔さんに“老いては子に従え”(だからよろしくね)とばっかり言っていて(笑)、それが面白かったです」
このアルバムはROVOなどの活動で知られている益子樹がマスタリングを担当している。
「初めてご一緒したんですが、『ぼくはダンサブルなのが好きなので全曲ダンスっぽくしましょう』と言われて(笑)。一緒にマスタリングしていく中でああでもないこうでもないとディスカッションしながら仕上げていったら、すばらしい出来になりました。益子さんご自身は中でも『DIAMOND-EYED』をデヴィッド・ボウイっぽいと気に入ってくださり、やっぱり聴いてて身体が動かなくちゃダメなんだよねと言いながら作業してくださいました。リズムを強調するのがすごく上手で、楽しくご一緒できました」
また、CDジャケットも会心の出来だと言う。
「前作と同じく平岡一朗さんにイラストをお願いしたんですけど、すばらしいです。馬の毛並みや花の細部などすごく細かくて美しい。五芒星や錬金術の塩のマークなどが散りばめられたいろいろなモチーフも、どれも私の好きなもの、色ばかりで、ジャケットだけではなくインナーのデザインも満足しています」
そして本作の完全生産限定盤にはインタビューの冒頭で話されているように、これまで山口美央子が作曲家としてかかわった多くのシンガーの曲がコンピレーションとなったディスク『Mioko’s Songbook』が付属している。
今井美樹、奥菜恵、Qlair、CoCo、郷ひろみ、斉藤由貴、澤田知可子、鈴木雅之、ともさかりえ、西田ひかる、光GENJI、吉田真里子、渡辺満里奈の13組16曲。ジャンルも世代も幅広く、しかし一貫して山口美央子らしさが感じられるJ-POPの名作が揃っている。
「詞も曲も自分で気に入っていて、かつわかりやすい楽曲をという視点で選曲しました。私が作曲家としてメインで活動していたのは1990年代なので、その時期のものを中心に。私は作曲家としては筒美京平さんが好きだったので、どんな歌い手さんの曲でも書けるようになりたかった。それで女性歌手だけでなく、男性やアイドルのお仕事も積極的にやらせていただいて、このときの経験はとても勉強になっています」
作曲家はレコーディングや歌入れの現場に呼ばれることはほとんどなく、なおかつ完成した楽曲を聴き直すこともあまりないので、今回自作曲をあらためて聴き直し、新鮮な感慨を覚えた。
「ほとんどの曲の詞をプロの作詞家が手掛けていて、あらためてプロの作詞家の言葉の力はすごいなと感心しました。冒頭の今井美樹さん始めみなさん歌がうまいし」
こうして自作曲を歌うさまざまな歌手の歌が並ぶ『Mioko’s Songbook』についての究極的な感想はこうだ。
「全部私の曲の紅白歌合戦のようです(笑)」
■リリース情報
山口美央子『LOVE & SALT』
2025年10月22日(水)発売
発売元:ソニー・ミュージックレーベルズ
<Special Edition…完全生産限定盤>
MHCL-31107~8 (2CD) 5,500円(税込)
高品質Blu-spec CD2/デジパック仕様/山口美央子セルフライナーノーツ掲載
<通常盤>
MHCL-31109 3,850円(税込)
高品質Blu-spec CD2/山口美央子セルフライナーノーツ掲載
ソニーミュージック特設サイトURL
https://www.110107.com/mioko_loveandsalt
<収録曲>
[完全生産限定盤Disc 1/通常盤] LOVE & SALT
1. FREYA
2. LOVE & SALT
3. MAGIC
4. TIMELESS
5. SALOMÉ
6. 刹那逢はまし恋牡丹
7. SPACY LOVE
8. DIAMOND-EYED
9. 夢百姿
10. SEVEN SEAS OF DREAMS ("MAGIC" Remixed by Sasuke Haraguchi)
全作詞(8, 10除く)・作曲・編曲:山口美央子
作詞(8, 10):クリス・モズデル
[完全生産限定盤Disc 2] Mioko's Songbook
1. 泳ぐ/今井美樹(1989)
作詞:岩里祐穂 作曲:山口美央子 編曲:武部聡志
2. 夢の夜/今井美樹(1991)
作詞:今井美樹 作曲:山口美央子 編曲:佐藤 準
3. 空/奥菜 恵(1998)
作詞:夏野芹子 作曲:山口美央子 編曲:旭 純
4. 秋の貝殻/Qlair(1992)
作詞:工藤順子 作曲:山口美央子 編曲:山川恵津子
5. 眩しくて/Qlair(1992)
作詞:工藤順子 作曲:山口美央子 編曲:新川 博
6. EQUALロマンス/CoCo(1989)
作詞:及川眠子 作曲:山口美央子 編曲:中村 哲
7. 日々の泡/郷 ひろみ(1999)
作詞:松井五郎 作曲:山口美央子 編曲:岩本正樹
8. Yours/斉藤由貴(1991)
作詞:斉藤由貴 作曲:山口美央子 編曲:上杉洋史
9. ふたり/澤田知可子(1992)
作詞:沢 ちひろ 作曲:山口美央子 編曲:若草 恵
10. adagio/鈴木雅之(2004)
作詞:松井五郎 作曲:山口美央子 編曲:大野宏明
11. Recede~遠ざかりゆく想い~/鈴木雅之(1999)
作詞:高杉 碧 作曲:山口美央子 編曲:有賀啓雄
12. くしゃみ/ともさかりえ(1996)
作詞:秋元 康 作曲:山口美央子 編曲:西平 彰
13. 午後の浜辺で/西田ひかる(1998)
作詞:及川眠子 作曲:山口美央子 編曲:山川恵津子
14. 風の中の少年/光GENJI(1991)
作詞:秋谷銀四郎 作曲:山口美央子 編曲:米光 亮
15. 嘆きの天使/吉田真里子(1989)
作詞:森 雪之丞 作曲:山口美央子 編曲:武部聡志
16. もう夢からさめないで/渡辺満里奈(1988)
作詞:あさくらせいら 作曲:山口美央子 編曲:山川恵津子
Amazon限定特典:メガジャケ ※特典が無くなり次第終了となります。
■発売記念イベント
山口美央子『LOVE & SALT』発売記念トーク&ライブ
日時:2025年10月22日(水)19:00~20:00(OPEN 18:30)
会場:Yamaha Sound Crossing Shibuya STAGE(東京都)
出演者:山口美央子 スペシャルゲスト:松武秀樹、宮前真樹、クリス・モズデル
ナビゲーター:吉村栄一
料金:無料
詳細はこちら
https://www.yamaha.com/ja/about/experience/yamaha-sound-crossing-shibuya/event/2025/251022-01/
公式サイト:https://yamaguchimioko.jp/






















