imase、J-POP史にページを書き加えた運命の一夜 “今”に示した新たな価値観――日本武道館ワンマンを観て

ここまでが、imaseの第1章――そう感じさせる、初の日本武道館公演だった。
ギターを手に入れた日から4年8カ月。DTMを始めてから4年6カ月。メジャーデビューから3年7カ月。2025年7月25日、imaseは、『imase LIVE "Have a nice day" in NIPPON BUDOKAN』を成功させた。
幕開けのシーンは、imaseが世のなかに登場した頃を再現するような演出だった。起床して、歯を磨いて、目玉焼きとトーストを焼いて、コーヒーを注いで、生活と地続きのまま音楽制作に取り掛かるようにパソコンや機材を置いたデスクに座るまでを表現したオープニング映像が流れたあと、スポットライトが当てたのは、センターステージに座っているimaseだ。そもそもimaseは、TikTokや縦型ショート動画が大きな影響を持ち始めた時期に、岐阜にある自宅の二段ベッドの下で撮影した動画をきっかけに音楽活動をスタートさせた。そうしてデスクに座りながらドラムパッドを叩いてオリジナル曲を歌う姿は、多くの人の“おすすめ”フィードを席巻した。武道館公演は当時のデスクを表したセットで、しかもステージの床はドラムパッドの模様が光るなか、「アナログライフ」から始まった。
![imase(撮影=Viola Kam [V'z Twinkle])](/wp-content/uploads/2025/07/20250729-imase-02.jpg)
まだ経験が浅い頃、オーディション型のテレビ番組で“弾き語り”を求められた際、楽器は十分に演奏できないからと、ドラムパッドを叩きながら歌うことを“弾き語り”として出演したエピソードがある。imaseが、社会や音楽業界の常識が音を立てて崩れ始めたコロナ禍に、それまで当たり前とされていた考えをスルリとすり抜けて、新たな価値観を提示した新世代アーティストであることを象徴するエピソードだ。
![imase(撮影=Viola Kam [V'z Twinkle])](/wp-content/uploads/2025/07/20250729-imase-01.jpg)
1曲目のあと、センターステージから花道を駆け抜けて、2曲目に歌ったのは「メトロシティ」。TikTokへの投稿を始めた2021年5月からの友達であるなとりと共作した、“上京”がテーマの曲だ。岐阜の部屋から東京へと飛び出して、友達や仲間を増やしながら、着実に経験を積み重ねて自身の人生に彩りを加えていったストーリーを描くようだった。また、このライブで印象的だったのは、ステージのバックを飾るメインスクリーンが縦型であったこと。それはimaseが縦型動画文化を象徴する存在であることを表していた。
3曲目は、imaseが世界で活躍する大きなきっかけとなった「NIGHT DANCER」。この曲がバイラルした大事な一因であるダンスの考案者・Hoodie famも登場。その後も「惑星ロマンス」、「Nagisa」、「アウトライン」、「ユートピア」、「FRIENDS!!!」、「Happy Order?」など、多くの曲でHoodie famダンサーズが楽曲を引き立てた。
![imase(撮影=Viola Kam [V'z Twinkle])](/wp-content/uploads/2025/07/20250729-imase-02.jpg)
全23曲を通して、imaseは、2020年代の多様化したポップスのあらゆる文脈が交差したところに位置する存在であることを証明していた。世界的に注目を集めた80年代シティポップも、2010年代後半以降盛り上がったSuchmosやKing Gnu、Kroiなどが繋いできたブラックミュージックを基盤にした音楽も(サポートギターを務めるモリシーが所属するAwesome City Clubも、その文脈において重要な存在のバンドだ)、K-POPも、HIPHOPも、すべてを縫いながら2020年代のJ-POP史に1ページを書き加えている。2020年代J-POPの特徴とは、これまでもJ-POPにおいて重要であった“口ずさめる”ことに加えて、“踊れる”こともキーになってきているように思う。imaseがこの日、ホーン隊も入れたバンドやHoodie famを引き連れて披露した23曲は、まさに“口ずさめる”と“踊れる”が共存していた。ショート動画投稿をきっかけにライブ経験よりも先にメジャーデビューを果たした、その革命的な音楽シーンへの登場の仕方含め、10年後や20年後にJ-POP史を振り返った時も、imaseは語ることの欠かせない存在になっているだろう。

ライブ終盤に差し掛かる頃に演奏された「名前のない日々」は、imaseの第1章の最高到達点だと思わせた。再生数などの数字で見える最高到達点は「NIGHT DANCER」であるが、当然、音楽は数字だけで測れるものではない。この日はスクリーンにリリックを投影しながら届けられたが、ここまで磨き上げた歌い方、メロディ、アレンジ、それらすべてが言葉の重量となって、一言一言が心にずしりと響く曲。それが「名前のない日々」だ。この先も人生を進めていくなかで、きっと「NIGHT DANCER」とは別の形で、imase自身を支え続ける一曲になるのではないかと思った。

本編最後に演奏されたのは、この日のタイトルになった曲であり、メジャーデビュー曲である「Have a nice day」。imaseはこの曲を歌っている最中、涙を浮かべながら、喉をつまらせた。その涙の真相は本人に直接聞きたいところだが、当時の自分が書いた言葉やオーディエンスに向けて紡いだMCの言葉が、自分に跳ね返ってきているように見えた。

![imase(撮影=Viola Kam [V'z Twinkle])](/wp-content/uploads/2025/07/20250729-imase-04.jpg)
「毎日、こうやって『いい一日が過ごせるといいなあ』ってつくづく思いますが、でもね、人生はなかなかそう上手くいくことばかりでもなく。みなさんもあると思います」「人生最悪の日だと思うことも、生きているうちにはあると思います。でも、それでいいと思います。そんな日が続いていてもいいと思います。明日こそはいい一日になる、そういう希望を持って生きていけたら、それだけで素晴らしいと思います。そうやって歩んだ人生を振り返ってみると、きっと人生最悪の日はすごく充実して、自分にとって素敵な日になっているに違いないと思います」

これが「Have a nice day」を歌う前にimaseがMCで語った言葉だ。音楽を始めてから4年8カ月で日本武道館公演に辿り着くまでの日々は、常に自分の実力よりも高いと思われる挑戦的な壁に立ち向かい、それを乗り越え続けるものだった。これまでも、これからも、〈疲れきった〉気持ちになってしまう日はきっとあるだろう。それにどう向き合えばいいのかを、imase自身がステージ上で汲み取っているように見えた。
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![imase(撮影=Viola Kam [V'z Twinkle])](/wp-content/uploads/2025/07/20250729-imase-03.jpg)
アンコールのMCで、imaseは「僕は基本的に、楽曲を作る時にあまり自分のことを歌わない」とポロッと言った。しかし、たとえフィクションの描写やタイアップ先の作品から着想を得たものであったとしても、歌詞とは、書き手自身が思っていることや考えていることが出るものだ。言葉とは、いくら外的要因から刺激を受けたものだとしても、その人の心のなかにあるものしか出てこない。「Have a nice day」も、当時のimase自身の心情というよりも、コロナ禍の世のなかについて客観的な目線で書いた歌詞だと語っていた記憶があるが、そこにはimaseの心が確実に宿っている。それが今日のimaseに反響しているようだった。

![imase(撮影=Viola Kam [V'z Twinkle])](/wp-content/uploads/2025/07/20250729-imase-06.jpg)
約2時間半のライブは「BONSAI」で締め括られた。この曲を最後に選んだことも、ここがひとつの章の区切りなのだと思わせた。「凡才」とは、自分は音楽経験が浅く凡才であるが、いろんなことを吸収し、発想を変えることでなんとかやってきたというimaseのスタイルを自ら表現した、1stアルバムに冠したワードである。「凡才」であるimaseは、もうここで終わりだ。松任谷由実とコラボを果たし、トップボーカリストたちが出演する最高峰フェス『ap bank fes』にも出演、そして日本武道館公演を成功させたimaseは、才能に溢れたJ-POPスターと呼ぶしかない。「才能」とは特別崇高なものなどではなく、自分が持っている素質を努力で磨いたものを、人は「才能」と呼ぶ。imaseは十分に「才能」を持っている人だ。
目の前のハードルを軽やかに、でもとても一生懸命に、乗り越えてきた日々を第1章とするのであれば、第2章はどんなふうに過ごすのだろうか。その類い稀な感性を、才能を、潤し続けられる日々を送ってほしいと思う。これからも「Have a nice day」!


























