imaseに訪れた5つの転機 ギターを買った日から4年8カ月の道のり――武道館ワンマン前に振り返る!

ギターを買った日からたった4年8カ月で、日本武道館公演を実現。それまで“育成”や“下積み”が当たり前だった音楽業界において、音楽を始めてから半年後にTikTokへ動画を投稿し、その半年後にはメジャーデビューを果たすという道筋は異例だった。その後もimaseは努力を怠ることなく、アーティストとしての階段を駆け上がり、今年7月25日には初の日本武道館ライブ『imase LIVE "Have a nice day" in NIPPON BUDOKAN』を開催する。目の前に訪れる大きなチャレンジを次々と乗り越える日々のなかには、簡単にいかないこともたくさんあったことだろう。
今回のインタビューでは、imaseが音楽を始めてから武道館にたどり着くまでの4年8カ月を、5つの転機から紐解いていく。(矢島由佳子)

――TikTokに初めて投稿した日からちょうど4年ですね(取材は2025年5月に実施)。どうでしたか、この4年間は?
imase:ギターを触り始めた時も、楽曲を投稿したタイミングも、武道館ライブに至るとはまったく思っていなかったので驚きですね。人生が大きく変化する転機がたくさんあった4年間だったなと思います。
――音楽を始めて4年半で武道館ライブができるなんて、次世代に夢を与えていますよね。もちろん、そこには並大抵でない努力があったと思うんですけど。
imase:タイミングとかが大きかったなと思います。音楽を始めたのが遅いタイプの人間だとは思うので、「音楽をやりたいな」と思っている人がいたら、「いつ始めてもいい」って背中を押せたらなと思ったりはしますね。
SNSへの動画投稿――音楽は「自分とは別世界の話みたいに思っていました」

――今日はimaseさんの4年8カ月を紐解くうえで、“5つの転機”を持ってきました。1つ目のキーワードは、「SNSへの動画投稿」。今振り返ると、2021年5月に動画を投稿した時の動機はあらためて何でしたか? きっと、いくつもの理由が絡み合っていただろうなと思うんです。
imase:当時何を思っていたのか、本音がわからなくなったりするんですけど、やっぱり自分が作ってみた楽曲にどういう反響があるのかが気になっていたんだと思います。自分では「案外いいのを作れたんじゃない?」と思って、「ほかの人が聴いたらどう思うんだろう?」という気持ちで投稿し始めた気がします。その時はまだ、それで何かが起きるとはまったく思ってなかったですし、楽曲をリリースするとも思ってなくて。普通に仕事もしていたので、それを辞めてまで何かをするとはまったく考えていなかったですね。まだ始めて半年で音楽歴が相当浅かったし、何の知識もないし、趣味以上でも以下でもないという感覚でした。
@imase119 音楽経験0の素人がオリジナル曲作ってみた(dtm歴4ヶ月) #オリジナル曲#作詞作曲 #おすすめ乗りたい ♬ n1ght - いませ
――imaseさんと同じくらいの時期からSNSに楽曲を投稿していた人をよく取材しているんですけど、ずっと心のどこかでアーティストに憧れていて、TikTokというツールが出てきたから自分の歌や作曲の力を試してみた、というタイプの人もいるんですね。imaseさんのなかで「アーティストになりたい」みたいな気持ちは、それまで一切なかったですか?
imase:でも、あったとは思いますね。もともとサッカーが好きで、中学の頃まではプロサッカー選手になることが人生の目標だったので、「音楽で食べていく」みたいな気持ちはなかったですけど。昔から歌うことは好きで、高校生の時にアーティストのライブ映像を観て「音楽活動をしている人もかっこいいな」と思ったりはしましたけど、自分とは別世界の話みたいに思ってました。音楽以外にも、たとえば「俳優をやっている人ってかっこいいなあ」とか、それくらいの気持ちのなかのひとつみたいな感じでしたね。
――ちなみに高校の頃、誰のライブ映像を見ていたんですか?
imase:友達の家でKing Gnuの映像を観ながら、友達がギターを弾いていて「かっこいいな」と思ったことを覚えています。そのタイミングで友達にPEOPLE 1を薦められたことも今思い出しました(笑)。「『常夜燈』っていう曲、いいよ」って。
――その友達は今、King GnuやPEOPLE 1と同じステージに立つimaseさんを見て何て言っていますか?
imase:すごく喜んでくれていますね。いつも連絡をくれます(笑)。
NIGHT DANCER――以前/以降で変化した“imaseっぽさ”

――2つ目のキーワードは、「NIGHT DANCER」。2022年8月に5曲目としてリリースした曲です。アジアをはじめ世界中でバイラルを起こし、『第65回 輝く!日本レコード大賞』の優秀作品賞など国内外で数々の賞を受賞、名実ともにトップアーティストの地位に駆け上がるきっかけの曲になりました。デビューして8カ月でヒットソングを出すって、ものすごいことですよね。
imase:まさに転機でした。この曲があるのとないのとでは、見せてもらう景色が全然違ったと思います。この曲のおかげでしかないというか。それ以降のいろんなタイアップとか活動は、この曲があったからこそやらせてもらっている気がしますね。
――初めて韓国でライブをやったのが2023年4月で、2024年にはアジアツアーを開催されました。それも「NIGHT DANCER」がなければ実現できてなかったかもしれないですよね。
imase:絶対にできてないと思いますね。リリースした時は海外で聴いてもらえるなんて思ってもなかったので、この曲ですごいことが起きたなあとあらためて思います。
――それまで「Have a nice day」、「逃避行」、「Pale Rain」、「でもね、たまには」をリリースしていて、5曲目にどういうものを出そうと思っていたかは覚えていますか?
imase:「Pale Rain」、「でもね、たまには」はタイアップがあったんですけど、基本的に当時はショート尺をSNSに投稿して反響があったものを出していくスタイルで。それまで「Have a nice day」、「逃避行」のようなチル寄りのLo-Hiヒップホップトラックをたくさん作っていたんですけど、「NIGHT DANCER」を作る時には「ちょっとダンサブルなものも挑戦してみようかな?」と思っていました。そういった曲も好きだったので、作ってみたいなと思って。感覚的に「ちょっと伸びるかな?」くらいは思ったんですけど、こんなにもたくさんの反響をいただけるとは思ってなかったのでびっくりですね。
――当時好きだったダンサブルな音楽って、どのあたりですか?
imase:何だったっけなあ。「今夜はブギー・バック」(小沢健二 feauturing スチャダラパー)、iriさんの「Wonderland」とかだったかな。でも、「Nagisa」(2023年5月リリース)までは、リファレンスとかをまったく意識せずに作っていたかもしれないです。「Nagisa」以降は「こういった曲を作ろう」「この曲とあの曲の雰囲気を組み合わせてみよう」みたいなものがある程度あるんですけど、それは自分のなかにあるボキャブラリーだけでは対応できないなと思うようになったからで。だから「Have a nice day」、「逃避行」、「でもね、たまには」、「アナログライフ」くらいまでは、“昔のimaseっぽさ”がある気がしますね。
――「NIGHT DANCER」は、アレンジャーにESME MORIさんをチョイスしたことも、ここまで広がった要因として大きかったのかなと思います。もしここで違うアレンジャーにしていたら今のimaseさんはいない、と言っても過言ではないのかなと。
imase:聴かれ方が全然違っていた可能性はありますよね。ESMEさんのエッセンスみたいなものがかなり出ている気がします。K-POPっぽいハウスのダンサブルさ、音数の少なさ、ドラムの音圧のある音色とかは、ESMEさんが引き出してくれたものでした。特に韓国で聴かれたのは、このアレンジのおかげのような気がしますね。
