デム・ジョインツをきっかけにNCT 127の東京ドーム公演へ ヒップホップリスナー視点からの驚きと発見

ヒップホップリスナー、NCT 127のライブに行く
最初に言っておきたいのだが、私はNCT 127のファンかどうかは怪しい人間だ。主にアメリカのヒップホップに親しんでおり、K-POPは横目で見るような接し方をしてきた。そんな中でNCT 127に興味を抱いたのは、ドクター・ドレー周辺プロデューサーのデム・ジョインツについて調べていた際に、NCT 127の曲を多く手掛けていることを知ったことがきっかけだった。デム・ジョインツは奇怪なビートを作る一方で、ドクター・ドレー周辺らしい威厳のあるビートも作る人物だが、私はドクター・ドレーのアルバム『Compton』(2015年)に収録された怪曲「Genocide」で好きになったため前者の作風を求めていた。デム・ジョインツが手掛けたNCT 127の曲は前者寄りの傾向があり、それ以降なんとなくNCT 127のことを認識するようになった。
デム・ジョインツをプロデューサーとして起用することからも窺えるように、NCT 127の音楽性はヒップホップ/R&B色を多く含んでいる。多用するラップもスキルフルで、私のようなヒップホップを中心に聴くリスナーにとっても親しみやすい。しかし、ヒップホップであれば複数のラッパーで曲を制作する際には一人が16~24小節のヴァースをフルでラップする作りが主流だが、NCT 127の場合は短い小節で人が入れ替わる。また、ヒップホップは展開の少ないシンプルなワンループのビートを基本とするが、NCT 127のビートは展開も多い。これらはNCT 127というよりはK-POP全体に言える特徴なのかもしれないが、とにかくボーカル面でもビート面でも目まぐるしく変化が訪れるのがヒップホップ/R&Bとの差異として目立つ点だ。
そうして、ファンというよりもリスナーとしてNCT 127の音楽に触れてきた私だが、先月22日に東京ドームで行われたツアー最終日に行くことができた。K-POPのライブに行くのはこれが初めての体験だ。私としてはデム・ジョインツの怪ビートを超一流の演出で聴けることが楽しみだったのだが、いざ見てみたら彼ら本人たちのパフォーマンスにすっかり魅せられ、私の関心の持ち方が実にヒップホップリスナー視点すぎたことを改めて感じることとなった。
『NCT 127 4TH TOUR 'NEO CITY : JAPAN - THE MOMENTUM’』すべての写真を見る(全20枚)
歓声を上げているうちに気付いた曲の構造の効果
まず、ライブはオープニングや転換中にサイレント映画のような映像を上映して進める構成になっていた。何かのミッションに挑むストーリーのようだ。私はこれまでこういった進め方をするライブを生で観たことがなかったので、この作り込み方は新鮮だった。

そして本人たちが登場すると会場の熱気は一気に高まり、あちこちで歓声が上がったのだが、この歓声を聞いていて気付いたことがあった。先述したように、NCT 127の曲はボーカリストが次々と入れ替わる構造になっている。そのため、それぞれのメンバーのファンの歓声が短い間隔で上がり、それによって薪をくべるように熱気がどんどん高まっていくような感覚があった。私も見ているうちに歓声が上がるタイミングが掴めてきて、一曲終わる頃にはすっかり会場の持つグルーヴに同期されていた。


そして、そんな一体化された会場で一緒に歓声を上げているうちに、曲がそのような構造になっていることで生まれる効果に気付いた。ヒップホップの場合はラッパーが集団で曲を制作する際、それぞれのラッパーが主役の座を奪い合って競争心を剥き出しにするようなところがある。本人たちが望まずとも、「あの曲では誰のヴァースが一番好きか」のような話でリスナーたちは盛り上がる。しかし、NCT 127の場合は誰か一人を主役にするのではなく、対等に全員を主役として見せているような印象を受けた。ボーカリストが交代する瞬間は毎回圧倒的な輝きとともに訪れ、ファンたちはそのたびに熱狂する。一人ひとりの出番がもっと長かったなら、もしかしたらヒップホップ的な優劣を付けたがる気持ちが私の中に生まれ得たかもしれない。だが短い間隔で人が入れ替わる構造になっていることで、グループとしてのバランスを保ちながら、それぞれが主役になる瞬間が確保されているのだ。多く用意されたビートの展開も、主役が交代する瞬間をよりドラマティックに演出する効果があった。
























