ケンドリック・ラマーとキリスト教 哲学者 柳澤田実が読み解く『GNX』の核心

ケンドリック・ラマーとキリスト教

「文字通り神と会話しているよ。本当に、自分が狂い始めていると思うほどなんだ」。

 『第59回NFLスーパーボウル』のハーフタイムショーが発表された直後に行われたインタビューで、ケンドリック・ラマーはインタビュアーのSZAにこのように語った(※1)。ケンドリックの詩作/思索は神との対話である。キリスト教は、アフリカ系アメリカ人にとって奴隷制以来の苦難を耐え忍ぶための精神的支柱であり、特に聖書で語られるさまざまな物語が、ゴスペル・ミュージックから現在のヒップホップに至るまで彼らの音楽に絶大な影響を与えてきたのは間違いがない。とはいえ現在のブラック・ミュージック、特にここ20年で相当一般大衆化したヒップホップの中で、この伝統を継承しているアーティストは決して多くはない。文化の持つ政治性も宗教性もコモディティ化されて本来の切実な意味が希薄化する中で、ケンドリックはしばしば息苦しくなるほどの生真面目さで、ヒップホップの反逆性とブラック・ミュージックのスピリチュアリティを継承/追求し続けている。

ケンドリック・ラマー『GNX』

 ケンドリックの音楽で、宗教的な意匠は単なる文学的な修飾ではなく、むしろ曲やアルバムのストーリー展開で核心的な役割を担ってきた。キャリアの初期から、自分自身をhood(コミュニティー)の物語を伝える「器・手段(vessel)」と捉えているケンドリックにとって、聖書は彼の個人史と共同体を繋ぐ共通の神話であり続けてきた。

 メジャー第一作目の『good kid, m.A.A.d city』(2012年)では、アルバム全体を通じ、ケンドリックが、友人の死を切掛けにストリートギャングの生活を脱し、洗礼を受け、イエス・キリストを受け入れるに至るまでのドラマが語られていた(ケンドリックはこのアルバムの発売後2013年に洗礼を受けたことを明らかにしている)。続く『To Pimp a Butterfly』(2015年)では、アメリカン・ドリームを叶え、故郷を出たことで改めてコミュニティーとの関係に悩むケンドリックに対し、悪魔・Lucy(ルシファー)がさらなる富や快楽へと誘惑し(「Alright」)、ホームレスの姿をした神がケンドリックの高慢さ(プライド)を諌めていた(「How much a dollar cost」)。3枚目のアルバム、第一次トランプ政権の発足後にリリースされた『DAMN.』(2017年)では、「悪意」を選ぶか「弱さ」を選ぶかという道徳的選択を巡る自分自身との闘いが表現されていたが(「BLOOD.」)、その前提になっているのは、ユダヤ教徒、ブラック・イスラエリットの親戚が語る、アフリカ系アメリカ人に負わされた苦難という神の呪いだった(「FEAR.」)(※2)。

 個人史と聖書の世界が緊密に組み合わさったストーリーテリングから、文字通り一旦降りて見せたのが前作『Mr. Morale & the Big Steppers』(2022年)だったように思う。ジャケット上のイエス・キリストに扮したケンドリックが示すのは、「自分は救世主(savior)ではない」という宣言だった。人間ケンドリックの個人的なトラウマ、特に父権性を巡る家族のトラウマとセラピーがテーマの本作は、キリスト教という共同体神話に頼らず、個人の内面探究からコミュニティー共通の体験に突き抜けようとする試みだったと言えるかもしれない。

 そして2024年以降、ケンドリックは「黒人文化を文化盗用する非道徳的な白人」の象徴としてのドレイクとのビーフという形で、コミュニティーの物語を立ち上げ(「Not Like Us」)、ヒップホップ・カルチャーを鼓舞することに邁進してきた。6枚目のアルバム『GNX』はその一連の流れのなかでリリースされたため、一見ビーフの延長のようにも見える。しかし、そのリリックを読むと、改めてケンドリックがこの作品で神との対話に立ち返り、ビーフも含めた自身の創作について深く内省していることがわかる。

【和訳】ケンドリック・ラマー - Not Like Us / Kendrick Lamar【2025年グラミー賞受賞 / スーパーボウルハーフタイムショー】

 『GNX』全体のテーマは、先述のSZAとのインタビューでも語っていた「愛(love)」と「闘い(war)」だと言って良いだろう。このテーマ自体はケンドリックのアルバムのどれにも該当するベーシックなものだが、今回のアルバムでは、これまでのケンドリックの作品世界では見られなかった仕掛けで、相反する両者を結びつける世界観が描かれている。

 冒頭の「wacced out murals」から怒りに満ちた好戦的な曲が続き、ケンドリックは聖書のイメージを散りばめながら、自分たちアフリカ系アメリカ人たちが置かれている状況への不満を歌い、闘いを煽る。2曲目「squabble up」では黒人教会の礼拝で信者たちが足を踏み鳴らす身振りを、敵を踏みしだく行為と重ね、5曲目「hey now (feat. dody6)」では「創世記」の方舟の主・ノアがヤギ(GOAT=「史上最高(のラッパー)」の意味が重ねられている)を一頭絞め殺すという描写を通じて、ドレイクとのビーフを匂わせている。7曲目「tv off (feat. lefty gunplay)」では「ヨハネの黙示録」が言及されるが、これも最終戦争(ハルマゲドン)の含意だろう。「愛」のテーマに関しては、3曲目のスイートなラブソング「luther (with SZA)」があるが、「この世が自分のものだったら」という歌詞には人間らしい「高慢さ(※3)」が表現されており、一連の流れの中ではあくまでも世俗的な愛の歌として位置付けられているように見える。これに続くエデンの園のアダムを想起させるタイトルの「man at the garden」では、富や名声がすべて自分にふさわしいことをボースティングする歌詞とは裏腹に、その曲調は陰鬱で、成功者である彼の精神状態が楽園とは程遠いことが感じ取られる。

【和訳】Kendrick Lamar - squabble up / ケンドリック・ラマー
【和訳】Kendrick Lamar & SZA - luther / ケンドリック・ラマー & シザ

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