菅原卓郎が今初めて語る9mm Parabellum Bulletの歌詞のすべて 10枚目のアルバムで結実した音楽と誇り

9mmの歌詞は「ひとつの物語としての矛盾がないように」

――それこそ最近、滝くんと卓郎くんが「ロックンロールであること」を印象的に言葉にしているなと思っているんですが、やっぱり9mmの圧倒的な正解の状態はロックンロールであることなのでしょうか。
菅原:そうですね、状態の話だから。ジャンルの話じゃなくて。
――「今日のライブはロックンロールだったな」という時が、いちばん会心のライブということ。
菅原:「今、そうなってる!」みたいな体験ができた時がいちばんいいライブをしてる状態ですね。「そこまで行ってたからよし!」って思えるようなライブができればいいので。
――あらためて今回の歌詞も、多くの主人公が生と死のボーダーライン上で、愛に対して探していたり、問うたり、引き寄せたり、なかには壊そうとしているような動きさえ感じる主人公もいたりして、ギリギリの状態で愛にまつわることに向き合っている感じがしました。そのあたりはどうですか?
菅原:それも逆算してるところがありますね。9mmがステージであんな調子で演奏しているのに、歌の主人公がエッジーな場所にいないのはしっくりこないよな、と。のんびり道を歩いてる歌を歌って、ギターを振り回してるっていうのは表現のダイナミクスとして変だよなあ、と。あとは、メンバーのみんながのんびりした歌詞に対して「エッジーな状態のものがほしいです」ということが多いですね。メンバーのなかにも「自分たちはこういうものを表現したい」という理想があって。せっかくステージに出るからには感情的な状態でいたい、ということなんじゃないかと思うんですけど。だったら、やっぱり歌詞に出てくる人たちにも、ちょっとひどい目に遭ってもらわないと(笑)。
――(笑)。みんな、だいぶタフな状況に置かれていますよね。
菅原:生きたり死んだりするということじゃないにせよ、基本的にはひどい目に遭ってもらわないと物語は動かないので、感情体験装置としては(笑)。だから、「なんでこんなダークな曲や歌詞を書くの?」と時々言われたりするんですけど、そうじゃないと気持ちって動かない。今ならそう言えるかなと思います。
――取材とかでも初期から言われてきたじゃないですか。「なんで卓郎くんの歌詞はこんなに終末世界的な様相を描いてるんだろう」とか。
菅原:それは、自分が19、20歳の頃に『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観て、「なんでこんな映画作ったんだろう?」と思ったこととかとも、すごく関係あるなと思っています。
――観る人の精神状態を選ぶような。
菅原:人間ってそういうものを観たり聴いたりして、それを栄養として活かす生き物だから。そういう意味でも、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』はひとつの基準として自分のなかにあるんじゃないかと思います。「そういうところまで行っていいんだよ」みたいな。だから、歌詞の人たちにはちょっとひどい目に遭ってもらわないと、とは思っていますね(笑)。
――でも、すごくひどい目に遭ってもらう一方で、かなり大事に思っていますよね。卓郎くんは、生んだ歌詞のなかの登場人物たちにしっかり愛情を持っている感じがします。
菅原:聴いた人たちが、自分を当てはめるにせよ、映画とか小説みたいなものとして捉えるにせよ、ポップスの歌謡曲みたいに捉えるにせよ、そこに何かひとつの物語としての矛盾がないように感じていてほしいという気はします。
――なるほど。でも、卓郎くんが歌詞についてこんなに、しっかり整理して説明してくれる日がくるとは……という感じはありますね(笑)。
菅原:そうですね(笑)。この記事、みんな読んだほうがいいですよ! 9mmの歌詞を知りたい人!
――ははははは。前から取材をさせてもらっていて、そのたびにどうしても歌詞のことについて聞くけど、卓郎くんのなかではもっと感覚的な話だし、という感じでしたもんね。
菅原:そうそう。感覚的なものだけに振り回されてアルバムができていかない、ということがやっぱりすごくイヤだったから。よかった時は何ができていたのか、ということをすごく整理整頓してやってきました。20年かけてね(笑)。
――整理整頓したいと思うようになったのは、いつくらいから?
菅原:「Black Market Blues」くらいかな。その前に、いしわたり淳治さんと一緒に作詞をしていて。このあいだ、20周年記念の特別企画で淳治さんと対談をしたんですけど、その時に聞いたんですよ。淳治さんは淳治さんでプロデュースするということに急に飛び込んだから「もっとうまく導いてあげることができたと思うんだけどな」とか「申し訳ないところもいっぱいあったなあ」と言っていましたね。当時、淳治さんと一緒に作業している時にすぐにリアクションできなかった、形にできなかったものが「Black Market Blues」の時に、逆に淳治さんがいないことで「ちゃんとせな!」って(笑)。「ああ、歌詞の仕組みってこうなっていたんだな」と、ひとつわかったところがあります。

――なるほど。ちなみに、先ほど『ダンサー・イン・ザ・ダーク』という非常に象徴的でわかりやすい作品が話に出ましたが、卓郎くんの好きな映画とか自分の琴線に触れるものは、割と陰影の濃いものが多い?
菅原:いや、それだけでもないですね。暗い映画だけが好きなわけでもなくて。決して明るい映画ではないけど、『ショーシャンクの空に』とかも好き。あそこには全部ある感じがしてます。でも、映画は好きだけど、正直よくわかんないなと思うところもいっぱいあって。それこそ、映画も感情体験をさせる装置じゃないですか。なんでこんなにも大掛かりなものを作るんだろうなって思います(笑)。使わないシーンとかもバンバンあったはずで、でもなんでこんなに大掛かりなものを作るんだろう、って。映画の内容と別進行でそれを考えながら、映画の内容で涙ポロリ、みたいな。
――ははははは。
菅原:高校生くらいの時に、映画を作る人になりたいとか、絵を描く人になりたいとか思っていた時があったんですけど、バンドをやっててよかったと思いますよね(笑)。音楽は揺さぶり方に速攻性があるので。
――数分でいろんなものを体感させるからね。
菅原:そうそう。数分のなかに奥行きを感じることができるところが音楽の面白さ、歌詞を書くことの面白さかな、と思います。「こういう人生を送ってきたのかな?」と感じさせるような世界を立ち上げられるところが面白い。「幻の光」とか「朝影 -The Future We Choose-」の歌詞を書いている時に思ったんです。「俺はこの人の生い立ちとかをつまびらかにすることはできないけど、“こういうことがあったんじゃないか?”と人に思わせることができるわけだな!」みたいな。なんなら、自分にもそう思わせて納得させないと完成したと思えない。自分の歌詞は、常にその何分間かだけを切り取った途中経過を描いているなと思います。
――でも、そうやって切り取った中にも着地するところはある。だから、「朝影 -The Future We Choose-」も〈私たちの真実を/愛して歩いて行きましょう〉って終われるところもありますよね。
菅原:そのあとに何があるにせよね。
――あと、全体的に歌詞の登場人物がちょっと大人になっている感じもしますね。
菅原:大人になっていますね(笑)。哲学的にいろいろ考えたんだなとか、内側が育ってきたんだなと思います。
――自分自身の年輪とともに変化したのもあるんじゃないんですか?
菅原:書いている自分の成長が反映されてるんだと思いたいですね。
――時間の経過が筆に出る、というのはいちばんリアルな人間味だと思います。少し話は戻りますが、映画を撮りたいと思っていた時期もあったんですね。
菅原:映画のことを勉強する大学を調べたりしましたね。
――それは高校生の時に?
菅原:高校生の時に。
――好きな監督がいたとか?
菅原:その頃、是枝(裕和)監督が最初の頃に作った作品かな? 『ワンダフルライフ』が、手作り感があって仰々しくなくてすごく好きだったんです。あとは、ヴィンセント・ギャロの『バッファロー’66』の飾り気が全然ない感じとかも新しくて。
――ちょうど同じくらいの時代ですね。
菅原:ちょうどその頃、そんなことを考えてました。
――是枝監督の1作目は、9mmの今作にも同タイトルの曲がある『幻の光』ですね。
菅原:そうそう。すでにある作品からタイトルを取っちゃう、という。ほかにも結構ありますね。「One More Time」もそうだし、あと『BABEL』に入ってる「火の鳥」とか、「ロング・グッドバイ」とか。これ、わざとやってるんですよ。
――その心は?
菅原:その作品からもイメージを持ってくることができるからです。全然違うものかもしれないけれど。
――面白い。むしろ他のイメージを介在させたくない人のほうが多そうですが。
菅原:介在させちゃうんです、僕は(笑)。そうすると、自分では書けない輪郭が出てきたりする。9mmの「ガラスの街のアリス」という曲は、もともと『ガラスの街』というポール・オースターの小説があって。図書館で『ガラスの街』と書かれた背拍子を見つけた時に「今作ってる曲と繋げられるな」と思ったんです。あと、歌詞には女の子が出てる設定だから「ガラスの街のアリス」ということにしよう、って掛け合わせた。だから二重取りをしてるんです(笑)。


















