G-FREAK FACTORY、迷える時代に変化したマインド “人”が輝くためにロックバンドができること
〈置き去りのまま見た夢を また時代の弱者たちと/探して 探して 探して〉(「voice」)。群馬の雄、G-FREAK FACTORYによる4年ぶりのニューアルバム『HAZE』では、迷いが迷いのまま祈るように歌われている。前作『VINTAGE』(2020年)がコロナ禍以前に作られたストレートスタイルな楽曲で構成されていたことを思うと、今作はそれ以降の激動すぎるほど激動な時代へのアンサー……というより、どう向き合うかを表明するアティテュードそのものと言っていいかもしれない。時代のベルトコンベアから振り落とされそうになり、掴んだと思った答えはまだモヤの中にあってはっきりした感触はわからない――そんな中で、カウンターを貫き続けてきたロックバンドが投じられるものがあるとしたら何なのか。百戦錬磨のライブで培ってきた“現場の手触り”を強く信じたまま、答えのない霧のような問答であったとしても、胸の内にある最も濃い感情を衒いなく鳴らす。それが『HAZE』だ。いぶし銀のオールドスクール、それでいて2024年なりの必然がぎっしりと詰まった新たな傑作について、茂木洋晃(Vo)に話を聞いた。(信太卓実)
激動で真っ暗な時代にどんな角度のエネルギーを放てるのか
――2ビートのパンクから壮大なインスト曲まで、バラエティに富んだ楽曲群に驚きました。ストレートスタイルでガンガン言っていくのとは違うモードに入った作品なのかなとも感じましたが、茂木さんはいかがですか。
茂木洋晃(以下、茂木):まさにその通りで。コロナ禍があって、猛スピードで時代が流れていく中で自分も変わったんだろうね。
――何が一番変わったと思いますか?
茂木:マインドだね。正直、コロナ禍である程度答えが知れちゃった部分があるというか。リリックでもカッコいい言葉をいっぱい貯めたりしていたんだけど、それを全部捨てて、今思う内にあるものをカッコつけずに出そうという手法になったかな。でも、それは決して明るくはなくて、やっぱり“HAZE=モヤ”の中にいて。正直、2019年以前のあの頃なんて、思い出せないくらい昔のことじゃん? 2020年に1回押し殺されて縮められて、そこから時代もどんどん変わっていったから、前と一緒というわけにはいかねえけど、その中でまだ俺は戦っていたいなっていうのはすごく思う。ただ、まだ定まっていないんだよな。地元の若いヤツと遊んだ時も、「そんなところに長けてるのか。すごいなお前」って浦島太郎みたいな気分になるんだけど、昔みたいに気持ちを振りかざそうとしても、どの角度で振りかざしたらいいのか、まだ定まってない。それも含めてモヤの中にいることを全部落とし込んだ作品だな。
――茂木さん自身も迷っていると。
茂木:そう、迷ってるね。ロックとかパンクとかレゲエとかブルース、あとヒップホップもそうだけど、嘆きや怒りが根底にある音楽が好きで。でも、それって背景が見えるものだからこそ、自分のフラストレーションを今の時代背景に寄せようとすればするほど、怒りの標的がどんどん先の方へ走っていってしまう。そのスピード感と自分が怒っている時間が合っていないなというのをすごい感じる。
――かつてパンクの熱量で若者に刺せていたはずのものが、今は刺さりにくくなっているのかもしれません。
茂木:それは音もそうだし、メッセージ、マインド、言葉も全部そうで。例えばコロナ禍が明けてから作った曲と、「Dandy Lion」みたいにコロナ禍中で作った曲って全然違うし、でもあの頃はそれが本当だったわけだよね。あの頃と今で戦っているものが変わっていて、あまりにも俺たち人間は敗北したんだなって思うくらいのすごいスピードで時代が走っていくから。「そもそも何に向かって嘆いて、何に向かって怒っているんだろう?」みたいなところから始まってる。
――もはやアンチ社会みたいな単純なものではないと。
茂木:それを言ったところで、全員アンチ社会だから。若いヤツに気づいてほしいなんていう気持ちもないし、むしろ俺たちよりもアンチテーゼをちゃんと持っているからね。そうじゃなくて、そのアンチテーゼを重ねてきた結果、今これだけで激動で真っ暗な時代になっちまっている。そこにどんな角度のエネルギーを俺たちが放てるんだろうなって考えた。
――アルバム曲の制作は「voice」から始まったと聞いてますけど、どんなエネルギーを込められたと思いますか。
茂木:コロナ禍で、バンドとその客は押し込まれた劣勢にある状態を味わったと思うんだよね。あたかもやっちゃいけないことをやっていて、胸を張ってライブハウスに立ってはいけないんだっていう感覚さえ味わった。だけど、目の前にいる人たちの声を聞いていたら、きっとまた何でもできるんだろうなって思える時がたくさんあって。どこまでいっても心を奮い立たせてくれるのは、やっぱり人なんだよね。これしか俺のやり方はないんだろうし、理屈抜きで、ライブでその瞬間を切り取るっていうのが性に合っている。バンドとかロックが古いと言われる時代だから、昔から聴いてくれてるヤツがほとんどだろうけど、そいつらが光らなかったらバンドやっている意味なんてあるのかって考えたもんね。そいつらの声が負けてないなら、俺はそいつらと一緒に渡り合うことさえできればいいわけで。AIだとかヒューマンエラーに対して何が書けるんだろうとも思うけど、聴くのはやっぱり人間だから。
――自分自身の変わらなさ、変わっていかなきゃいけない時代の狭間に立たされた時、ロックバンドだからできることって何だと思いますか。
茂木:辛抱じゃない? ロックバンドってライブができるじゃん。それが肌に合わない人もいるだろうけど、やっぱライブって他に代えられないものだと思うんだよね。潰しが効かないというか、「現場で何かを超えていきたい」っていう、結局ロックバンドはそこだと思う。ボブ・マーリーですら、目の前のヤツらと一緒に火の玉になって何かを超えようとしていて、俺はそれが好きで。コロナ禍でライブができなかった時はめちゃくちゃフラストレーションがあったし、「その3年を空白にしたままでは帰れねえ」っていうメンバー個々の感覚も強くあった。だから、コロナ禍から何かを連れ帰れたんだとしたら、G-FREAK FACTORYも新しいフェーズに入ってやっていけるんじゃねえかっていう気持ちと願いが「voice」のアコースティックな質感には入ってるし、実際、制作過程で一番化けたのが「voice」だと思うんだよね。『Dandy Lion』(2022年)の時にまともなツアーができなかったんだけど、そこで「Dandy Lion」を中心にしたアルバムを作らなかったのも結果的によかったかもしれない。あの時にはあの時の感じ方があって、いつまたああなるかわからないからこそ、今は目の前の一瞬を濃くしていこうという気持ちがすごいある。
名曲「EVEN」に続く曲を書いた理由
――そうやっていろんなモヤモヤを経てきた中で、一番シンプルかつ難しい答えを出しているのが「ある日の夕べ」なのかなと思っていて。個人的にも大好きな曲です。
茂木:おぉ、そっか。これは難産だったよ。“シンプルかつ難しい”って本当にそうで、ある意味G-FREAK FACTORYの真骨頂な手法だけに、以前を超えてないものを出すわけにはいかないから。俺だけじゃなく、みんな難しいと思ってた……Leo(Dr)以外はね(笑)。Leoは楽しくて、しょうがなかったみたいだけど。
――(笑)。それだけ難しいのに挑んだのはどうしてだったんですか。
茂木:どんなアルバムにしようかってメンバーでミーティングした時に、「EVEN」に続く曲を書きたいねっていうことで、最初にこの曲が決まったんだよね。でも、みんな手こずっちゃって、結局仕上がったのは一番最後だった。
――まさに「EVEN」を感じる曲だなと思って、取材に向けて聴き比べていたんですけど、あの頃歌っていた仮定の“先”まで歌っているのが「ある日の夕べ」ですよね。
茂木:そうだね。「EVEN」は〈もしも明日耳が聴こえなくなったら〉で止めていたんだけど、今回は「そうなったらこうしてやるよ」まで書けたらいいなと思って。実際、俺も体を壊したからさ。昔は〈明日耳が聴こえなくなったら〉の裏には、“聴こえなくならねえんだよ”っていう気持ちがあったと思うんだけど、いよいよ聴こえなくなる可能性がある年齢になってきたりとか、自分は本当にちっぽけなんだなってことを知ったりとか、あとはコロナでバタバタ人が死んでしまったりとか、そういうことを経て、いよいよ対岸の火事じゃなくなってきたなっていう思いがあって。「そこにもう一発押し込むならどうする?」ということを考えたかな。
――それは“言わなきゃいけない”という感覚だったんでしょうか。
茂木:いや、言わなきゃという感覚ではないんだけど。もしこれがラブソングで、断定できるくらい特定の人に向けて歌っている曲だとしたら、バンド名義でリリースするものじゃないから、しまっておきたいなと思うし。でも、例えばソロで出した「MASKER」みたいに不特定多数の人に向けて放っていたものを、極めて特定した人に向けてやっていくっていう、そこの難しさはあったかな。ある意味特定の人なんだけど、そう聞こえないようにぼやかしていくというか。本当に“お前だけのために”という曲だったら出す必要ないけど、ちゃんと自分のためにも、みんなのためにもなる曲だったから、リリースしようとなった。
――G-FREAKはやっぱりローカルバンドだから、コミュニティ性という意味では特定の人に向けた書き方と親和性があると思うんですけど、今まで書いてきたこととも違う難しさがあったということなんですね。
茂木:そうだね。群馬の人ってどこか構えていて、どんなに仲良くてもグイグイ来ないんだよ(笑)。昔からみんな誘われるのを待っていたりして、不思議なんだよね。でもTime is moneyというか、時間ってめちゃくちゃ貴重なものなんだなっていうのも最近思ってて。今まで効率という言葉がそんなに好きじゃなかったんだけど、今回の制作にあたって一気に新曲を7曲書くぞとなった時に、これは効率だなと(笑)。オケ作ってメンバーに渡して、次の曲に手をつけてまたメンバーに渡して……っていうのを7回繰り返して、最後にどっと7曲分のリリックを書いた。初めてこんなやり方したよ。でも地元のシンガーソングライターのヤツらとか、一晩で曲書けるんだよね。「昨日書いた曲です」って渡されたりして、「すごいな、よく書けるな」って。
――そこに感化されたところも?
茂木:というより、書けなきゃダメだなと思った(笑)。一晩で書けた曲というのは実際すごくいいんだよ。「この感覚を残しておきたい。一気に仕上げよう」っていう勢いで行き切れたら、もう書き直しちゃダメだと思えるくらいの曲を書けると思う。そんなのはずっと曲を作ってきて、1回か2回くらいだけど。
――例えば?
茂木:「ダディ・ダーリン」はそうだった。文明の力を借りて、パソコンでリリック書いて途中のやつを保存できちゃうと、「あとは明日やればいいや」になりやすいし、どんどん頭で考えて綺麗に整えるようになるじゃん? そこに行きすぎるとどんどん薄っぺらくなっていくから、難しいよな。
――今、ロックバンドの音を聴くと、まさにそういうことを思い出させられる気がするんですよね。現代ではスマホやタブレットがあらゆる局面において不可欠ですけど、当たり前になりすぎることによって、何かを見落としていることさえ忘れている気がしていて。急速に変化する時代の裏で、実はこんな大切なことがあるよっていうのは、今作を聴いていて感じたところです。
茂木:そうかもな。例えば、The Beatlesってリバプールの20歳そこそこのヤツらが、全世界を食っちゃうくらいのアルバムを何枚も作ったわけじゃん。しかも紙とペンで曲を書いて、MTR(マルチトラックレコーダー)もなければ、マイク本数も今の半分以下だっただろうし。そういう60年代のテクノロジーで作った作品に対して、バンドマンやミュージシャンが何人で束になってかかっていっても超えられないんだよね。いまだに若いヤツらもThe Beatles好きだって言うし。だからもし今The BeatlesがThe Beatlesとして存在していて、現代のあらゆる技術を駆使して曲を作ったらどうなるんだろうって考えるけど、もしかしたら全然ダメかもしれないよね。やっぱりそれが必然の音楽になる時代背景とかもあっただろうし。大谷翔平を見ていても、もうこんな日本人選手は出てこないんじゃないかって思わされるじゃんか。そのくらい突然変異の化け物だったんだろうなと思う、The Beatlesって。なんてすごいんだろうなと。
――そこに憧れて、あえてアナログ録音に挑む若いバンドもいますからね。
茂木:それもカウンターだよね。デジタルに飽き飽きして、逆にアナログが新しいものでありカッコいいと。始点がどちらかなだけで、ずっとカウンターだから。
――それで言うとG-FREAKは、デジタルではなくアナログでカウンターを打ち続けているわけですよね。
茂木:やっぱり、俺はマンパワーを信じたいんだと思うよ。1人で生み出せる限界って100なんだけど、それが2人になると200になるだけじゃなくて、300にも400にもなり得るから。そのポテンシャルはお互いのいろんな背景が重なり合ってできるものだと思うんだけど、足の引っ張り合いをしてたら、1人と1人で200にしかならないし、もっと低くなるかもしれない。「だったら1人でやる方がマシだ」っていう意見もあるかもしれないけど、1回極端な個人主義に寄って「やっぱり違うんだな」って思わないと、人間は変われないような気がしてる。俺は田舎で暮らしてるから、昭和世代も周りにたくさんいるし、いろんなヒューマンなシーンに出会えるけど、都会はある意味、周りと波長を合わせたりとか、コミュニティを作ることがそこまで必要ないんだろうな。もちろん、それが本能的に生きる術になってるんだろうから、すごいなと思うよ。俺なんてより多くの人と和気あいあいとしたいから、都会に出てきたら3日ぐらいで死んでしまうかもしれない(笑)。
――都会にずっといると、何かを自分から発信したりして存在を示さないと、時間や人の流れの中に埋もれてしまうような気がするんですよね。回遊魚の呼吸みたいに、それを止めてしまうとかえって息苦しくなってしまうというか。
茂木:それが普通なんだろうね。本当に呼吸のように無理していないから、都会で生きてる人のポテンシャルはすごいと思う。田舎の空気がポンと入ったら、こういう珍しいものもできるんだけど(笑)。
――都会の速いベルトコンベアに乗っているかのような音楽はJ-POPシーンでも増えていますけど、G-FREAKみたいにローカルな視点でそれを根本から捉え直すような音楽は、今むしろ面白くて。普通に都会で生きていたら忙しないベルトコンベアの流れから降りることはないけど、もし降りたとしたら何が見えるのか。そういうことを考えさせられた「ある日の夕べ」だなと思いました。
茂木:よかった。苦労した甲斐があったよ。