浜田雅功、なぜ音楽分野でも大成功を成し得たのか 小室哲哉、坂本龍一らと名曲が生まれた背景
親しみやすい、浜田の歌声
浜田の歌は決してスキルフルなわけではない。ただ、前述したように親しみやすさがある。
そのボーカルスタイルが活かされているのが、槇原敬之とコラボレーションしたユニット“浜田雅功と槇原敬之”の「チキンライス」(2004年)だ。同曲も『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』から生まれたものだが、相方・松本人志が貧乏だった子ども時代に食べたチキンライスのことを思い返して書いた歌詞が、気取っていない歌声の浜田にマッチし、ノスタルジーや素朴さを湧き立たせた。それはフォーキーな曲調の「幸せであれ」(1999年)でも生かされていて、純粋な歌声が〈君よ 幸せであれ〉というこの曲のメッセージ性をより深めている。
奥田民生が作詞作曲した「春はまだか」(1997年)は、浜田と奥田の飾り気のなさや方向性が噛み合ったコラボレーションと言える。「奥田民生らしい」「浜田雅功らしい」とどちらにもとれるこの曲では、浜田が自由奔放でぶっきらぼうにも映るボーカルを披露(それは歌い出しの〈ふらふら旅をしているうちに〉という歌詞にまさに合ったものだ)。「細かいことは気にしない」「自分らしい生き方をする」みたいな雰囲気が“大人の格好良さ”を醸しており、ちょっとした憧れを抱かせるものでもあった。
エキセントリック少年ボウイ、浜田ばみゅばみゅの奇抜さ
一方で芸人らしい奇抜さを全開に出した楽曲もリリースしている。
まず、1997年発表の「エキセントリック少年ボウイ」。バラエティ番組『ダウンタウンのごっつええ感じ!』(フジテレビ系)から誕生したユニット、エキセントリック少年ボウイオールスターズで、浜田は少年ボウイ名義で“センター”を張った。こちらでも役になりきったりせず、むしろ“やらされている感”をにおわせながらリードボーカルをつとめた。そういった点では、H Jungle with tとは違ったアプローチでの“自然体”と言えるだろう。
逆にかなり作り込んだ上、笑いとアーティスト性が絶妙のバランスでブレンドされたのがGEISHA GIRLSだろう。坂本龍一、テイ・トウワ、アート・リンゼイらが参加した同ユニット。強烈な中毒性を放ったデビューシングル「Grandma Is Still Alive」「Kick & Loud」(以上、1994年)では、海外のテクノ、ハウス、ヒップホップなどの要素が和文化へと落とし込まれた。続く「少年」(1995年)は時代を巻き戻したみたいな日本的なフォーク歌謡をフィーチャリング。ここでの浜田(というかダウンタウン)は己を捨て、奇妙奇天烈な白塗りの芸者として振り切ったキャラクターに徹していた。
浜田ばみゅばみゅはそれらの最高到達地点だ。冠番組『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)できゃりーぱみゅぱみゅのパロディとして登場し、増田セバスチャン、中田ヤスタカという“本家”のクリエイター陣を起用して「なんでやねんねん」(2015年)でデビュー。これは浜田の職業であるツッコミ、そして決め台詞「なんでやねん」を活用した曲であり、その点で浜田のキャスティングでしか成し得ない内容となっている。
言うまでもないだろうが、ツッコミとは、漫才でボケ担当が言うさまざまな不条理やボケに対して「お前はなにを言っているんだ」と、反論・異論・疑問・呆れなどをはさむものである。この曲では、きゃりーぱみゅぱみゅが旗手の一人となったかわいい=kawaiiの文化の捉え方がより幅広くなり、世界的な発展を遂げ、さらに個人の思想が尊重されるようになった現代において、「かわいい」の多様化を受け止めきれなくなった層の心理状態を「なんでやねん」のツッコミ台詞であらわしているようだった。中盤から終盤にかけて、〈なんでやねん〉の言葉がゲシュタルト崩壊を起こして混迷していくところがはその象徴。加えて、きゃりーぱみゅぱみゅを彷彿とさせる衣装に身を包んだ「浜田雅功のかわいらしさ」も、「なんでやねん、なんでこれがかわいいねん」という風な現代のかわいい文化の軸に対する批評になっている点がとても興味深かった。
浜田はお笑い芸人としてシンボリックな存在である。そのため、コラボレーションするミュージシャンたちとしてもその存在感を生かしたものを作り上げる傾向にある。だからこそ、楽曲的にも、パフォーマンスなどの面でも、唯一無二のものが出来上がるのではないだろうか。
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