鈴木亜美が今思う“幸せ”とは? DJ、フードアナリスト、ママタレント……挑戦の日々を振り返る
今年デビュー25周年を迎えた、鈴木亜美。12月20日には、これまでの楽曲やミュージックビデオ、ブックレットなどを詰め込んだデビュー25周年記念BOX『2SA ~Ami Suzuki 25th Anniversary BOX~』を発売した。
16歳でオーディション番組『ASAYAN』(テレビ東京)からデビューを果たしたあと、DJ、ママタレントとして活躍するなど、何度も壁を破って輝き続けた25年を振り返りながら、人生の荒波をどのように乗りこなしてきたのかを聞いた。(矢島由佳子)
「これは夢みたいなもので長続きしないだろうな」と思っていたデビュー当時
――鈴木亜美さんのデビューは1998年、当時16歳。学業と芸能の多忙な日々で、世間から浴びる注目も急速に大きくなり、しかもグループではなくソロのためすべての反響もプレッシャーもひとりで負わなきゃいけない状況だったと想像します。当時、どのような心持ちで過ごされていましたか?
鈴木亜美(以下、鈴木):当時は、それまでテレビで観ていた人たちが周りにいるような感じだったので、「本当にこの世界に入っちゃったんだ」というドキドキ感がしばらくは続いていて。でも、どこか客観的に見ていましたね。これは夢みたいなもので長続きしないだろうなと思っていたので、「今をちゃんと楽しまなきゃ!」という焦りのほうがあった気がします。目まぐるしく変わる時代であることは自分でもわかっていたので、「もしかしたら明日には終わっちゃうかもしれないな」って。その先がどうなるのかも当時は考えられなかったです。
――1999年にリリースした「BE TOGETHER」はミリオンヒットを記録、『NHK紅白歌合戦』にも出場されました。亜美さんの歩みにおいて「BE TOGETHER」はどんな一曲であったと感じますか。
鈴木:初めてオリコン1位になった曲でしたけど、自分のなかではデビュー曲から階段を登ってようやくたどり着いたものだったので、「やっと努力を理解してもらえた」という感じでした。デビューからたった1年ですけど、当時はもう7枚も(シングルを)出していて、その前にアルバムも出していたから、「やっと結果が出たかな」という印象で。世のなかの反応は、自分がいちばんわかってなかったと思います(笑)。反応を目にせず、「とにかく次、次!」という感じでした。数年経ってから、どこに行っても「BE TOGETHER」を歌うと盛り上がるので、だんだんと曲の偉大さやありがたさを感じていくようになりましたね。
――当時は“エゴサーチ”や“トレンド入り”などもなく、反応を目にしなくていい時代だったとも言えるのでしょうか。
鈴木:そうですね。“いいね”とかもなかったし、それこそ私は当時は家と仕事場の行き来だけで、テレビを観る時間もなかったですし、ランキングの数字を目にすることもなかったので。コンビニや本屋さんへ行って自分が表紙の雑誌が並んでいるのを目にしない限り、なかなか自分を見つけることはなかったんです。
――最近、2000年代生まれのアーティストなどを取材していると「先行きが見えない」といった言葉を聞くことが多いんですよね。そういった子たちに亜美さんから言ってあげられることとしては、「世のなかの反応を気にしすぎない」「先を期待しすぎずに今を楽しみ尽くす」といいますか。
鈴木:いつでも誰でもスターになれるような時代になって、タレントさんもいればYouTuber、インスタグラマーとか、競う相手が多い今のほうが厳しいんじゃないかなと思いますね。やっぱり、楽しむこと。見ている人はそれを感じ取ると思うんです。焦ったり数字ばかり気にしていると意外とバレちゃうし、それが変な方向に行っちゃうと、結局自分を苦しめることになると思うので。半年後も、1カ月後も、誰もわからないので、楽しいと思うことを全力でやる。あとはなすがまま。自分の感情も変化するものなので、今できることをやって、1カ月後に思ったことをまた1カ月後にやっていく、という生き方でいいような気がします。
中田ヤスタカとの出会いが20代半ばの突破口に
――時期によって異なる分野で輝いてきた亜美さんの言葉だからこそ説得力があります。20代は、亜美さんにとってどんな期間でしたか?
鈴木:今思うと、いろいろ苦しかったですね。「BE TOGETHER」があるからこそ、それを超える曲を作らなきゃいけないというプレッシャーがありました。avexに移籍したのが23歳(2005年)で、特に一発目の作品はめちゃくちゃプレッシャーでしたね。ただ音楽が好きだからやればいい、という問題じゃなくなっていたのが20代で。今までの曲とは違う、生まれ変わった鈴木亜美を見せなきゃいけないことにすごく悩んでいました。
――そこを突き破ることができたきっかけは何だったのでしょう。
鈴木:「join」というコラボ企画でいろんな方に曲を作ってもらったなかで、特に中田ヤスタカくんの存在が本当に大きくて。人に刺さる詞を書いて熱唱するだけじゃなく、音で遊ぶことを教えてくれたのが中田くんでした。中田くんにフルアルバムを作ってもらって、それがきっかけでDJも始めたことで、突き抜けられた感じがありましたね。そこでも自分が楽しいことが人に伝わるなと思いました。
――“中田さんとの出会い”という突破口は、どのようにして生まれたものだったのでしょうか。
鈴木:それまで、新曲を作るためにはたくさんあるデモのなかから好きな曲を選んで、詞を書いて、レコーディングする、という流れだったんです。でも、avexに移籍して1、2年やった時に、そうやってアルバムを出して、ライブをして……という流れを「ずっと続けるのかな?」と思っちゃったんですよね。刺激がほしくなっちゃったんです。
一度自分で何かを起こさないと変われないし、このままフェードアウトしていくんじゃないかという気持ちもありました。それで、いろいろな方に“鈴木亜美”を料理してもらって、自分に合った音楽が見つかったというか。レコーディングはいつもと違う人たちで、しかも有名な方たちばかりだったので、毎回緊張しましたし、刺激もあったし、楽しかったです。デビュー当時のような気持ちでした(笑)。
――亜美さんの歩みを振り返ると、たびたび大きな“変化”を選ばれていますよね。「新しいことをやりたいけど失敗したらどうしよう」と考えることはあるんですか?
鈴木:失敗したっていいやって気持ちでチャレンジするんですよ! 失敗して「ヤバイ!」って思わないと、次の世界が見えてこないから。失敗して一回グシャグシャになることでやっと新しい自分が見える。そこでまた次のチャレンジをすればいい。そうすることが怖かったら、ずっとワンルームにいるような世界だと思います。