toroが“ロックの復権”を掲げ、バンドを選んだ意味を語る セルフタイトルの1stアルバム『TORO』に懸けた会心の一撃
不満がなければバンドもやっていない
――たしかに歌詞で具体的なことを言っているわけではないと思うんですけど、どの曲もなんか怒ってるな、苛立ってるなっていう感じはすごく出ていますよね。
梅田:ブチ怒り系(笑)。
――(笑)それは何に対して怒ってるの?
梅田:何か特定なものに対してではないんですけど、嫌なことのほうがたぶん原動力になるんですよね。マイナスなところを当たり前の生活にしていくことのほうが、力が出る。でも、幸せなタイミングを「幸せだよね」って語るのも嫌いではないので、やっていきたいとは思うんですよ。ハッピーソングもやりたい。
キムラ:(エンジニアとして)何回もレコーディングでやり直させたから、それで怒ってるんじゃない?(笑)
大西:その怒りもあるかも(笑)。
梅田:不満がなければバンドもやっていないじゃないですか。それは何か特定の理由じゃなくて、いろいろなことがあるからこそ漠然と出ちゃっているんじゃないかな。反発心からやっているのかもしれないですね。
――そのモチベーションというのは、前のバンドの時から変わらないですか?
梅田:そうですね、マインドとしては。「自分をわかってほしい」とか「認めてくれよ」というような気持ちはありました。認められる瞬間が来るかどうかはわからないですけど。
――大西さんは、彼の書く曲をどういうふうに受け止めていますか?
大西:なんだろう? でも、初期から言ってたのは、懐かしさと新しさの両方がある、というか。最初、デモを聴かせてもらっていたんですけど、その両面があってすごくかっこいいと思っていました。めちゃくちゃ革命的なバンドになるには、そのバンドじゃないと出せない曲が必要だと思うんですけど、彼の書く曲にはそれがあるなと思ってます。しかも、来年2ndアルバムを出す予定なんですけど、そのデモも7、8曲くらいあるんですよ。それもめちゃくちゃよくて。ちゃんと毎回更新されているからデモを聴くのも楽しみだし、一緒にやれて嬉しいですね。信頼できる。
――曲は、基本シュウヤさんがひとりでデモを作って持ってくる感じなんですか?
梅田:今のところはそうですね。でも、ある程度自分で作ったうえで、そこからみんなで作り上げていくという形でもやりたい。指揮官は自分だとしても、もうちょっと人と対話しながら曲を作りたいなっていうのがあるんです。セッションで生まれた曲があってもいいと思うし、これから無限に曲を書いていくので、ひとりだけでやっていくにはちょっと心許ないから、やっていきたいっていう気持ちはあります。
――たしかに、この1stアルバムに関しては、ひとりで作った感じがすごくありますよね。
梅田:そうですね、基本ひとりで作ったから。最初結成した時に、自分に対してもそうだしメンバーにも言ったんですけど、一人ひとりが自立したうえで自然と助け合えるというか、補完できる関係になればいいよね、って。でも、今癒着のようになってしまうのがすごく嫌だったから、1stアルバムはとりあえず自分ひとりで作り切ろうという気持ちがありました。
――そういう思いもあってか、どの曲もちょっと内省的なところが出ていますよね。
梅田:うん、部屋で作った感もあるかもしれない。
――「EUPHORIA」にしても「THE SICKO」にしてもそうですけど、「ここから出ていきたい」みたいな気分がすごく出ていて。
梅田:「自分の生活から脱却したい」という気持ちは、結構強いかもしれないですね。だから、自然とそういう言葉が出ちゃう。抱いている不満も、社会に対するものというよりは自分の現状というか、「もっと自分はできるはずなのに」っていう気持ちが強いかもしれない。
――そういう気持ちと、このでっかいロックサウンドというのも紐づいている?
梅田:どうだろう……。「どういうバンドに影響を受けてきたんですか?」ってよく聞かれるんですけど、マンガの『BECK』に出てくるThe Dying Breedっていう架空のバンドがいて。マンガだから曲は聴けないし、どんなバンドなのかはちょっと不明瞭でぼんやりしているんですけど、だから自分の想像力で理想のバンド像に仕上げているところがあって。The Dying Breedっぽくなりたいなという思いが、今のところはあるんですよね。あのバンドのギタリストの雰囲気というか、人には言わないけど自分ひとりで悩んでいる感じがすごく魅力的だな思うんですよね。
――そういう思いが根底にあるから、ライブの爆音を浴びて盛り上がるのもいいけど、家でひとりで聴いても感じるものがある、そういう音楽になった感じはしますね。
梅田:僕はライブハウスで育った人間ではなくて、むしろ友達とシェアしながら音楽を聴いてきたほうが体験としてデカいんです。だから、音源を聴いて「わー!」ってなって、そこからライブを観て「おお!」っていう、音源先行のバンドにはなりたい――というか、なっちゃうんだろうなって思いますね。
――それは、このバンドのポイントのひとつかもしれないですね。アルバムのなかでも「1999」は特にパーソナルな感触があったんですが、この曲はどうやってできたんですか?
大西:みんな、結構この曲好きだよね。
梅田:この曲は日本語で書きたかったんです。自分としては日本語で書くからこそ価値が出てくる曲かなと思って。実際に歌詞も日本語だから、自分のパーソナリティや素朴な感覚も出しやすかった。
――大西さんは、この曲には素朴な彼が出ている感じはしますか?
大西:するんじゃないですかね。このバンドを始める前からシュウヤとは結構仲良くしていたんですけど、一緒にバンドを始めて、彼の書く曲を通して違う一面を見ることができた感じがします。なんとなく他の人とは違うエネルギーを持っている人間だなと思っていたんですけど、作る曲を聴いて解釈が一致したというか、「なるほどな」みたいな。それがおもしろい。どの曲もシュウヤだというのは当たり前なんですけど、そのなかでもピュアな部分が曲には出てるなと思います。
キムラ:僕も「1999」がいちばん好きで。歌詞が素朴というか、ピュアですよね。
――〈決してそばにいてくれる人なんていないと思ってる〉って、結構グサッてくる言葉ですよね。
梅田:それこそ、バンドの曲を作っているのが自分だけだということもあるのかもしれないですけど、わかってくれる人なんていないから、ひとりで頑張っていこうっていう気持ちはありますね。
大西:「1999」って、楽器の音はポップじゃないですか。でも歌詞は悲しい、みたいな。そうういう、ちょっと皮肉の効いた感じとかが、すごくシュウヤっぽくて好きですね。
――そういう皮肉っぽさも、いろいろな曲に出ていますよね。アルバムの1曲目の「どのくらい」では1行目から〈どのくらいの人身の丈にあったことしてる〉って――。
梅田:説教、みたいな(笑)。でもこれ、「身の丈にあったことをしようぜ」という意味で。みんな身の丈以上のことをやろうとしているんじゃないか、っていう。煽っているというよりも、「身の丈にあってることをしてる人のほうがいいよね」ってことなんです。そのうえで、「身の丈」をもっと上げていけばいいんじゃないかって。