OHL、最年少メンバーが事務所社長の異色ボーイズグループ キャリアあり、後ろ盾なしの7人が狙う大逆転劇

 JUNYA、KTA、NAO、SHURU、KANNA、RYUSEI、GENの7人からなるダンス&ボーカルグループ、OHL。2021年結成の彼らは、作詞、作曲、振り付けにとどまらず、メンバーが会社を立ち上げ、マネジメントから制作まで自ら行なうという強みを持っている。俳優やダンサー、グループ活動の経験を持つメンバーが集まり、「芸能界で主役になれなかった過去を持つ7人でしか描けない思いを音楽にして伝えていく」というOHLのビジョンは、今後多くの人の注目を集めていきそうだ。

 次なるステージへのステップアップを目指している彼らは一体どんなグループなのだろうか。本人たちにたっぷり語ってもらった。(高橋梓)【インタビュー最後にプレゼント情報あり】

僕らはマイナスからのスタート 成功できなかった人の受け皿を目指して

――まずはOHL結成の流れを伺わせてください。

JUNYA:僕がもともと活動していたグループが活動終了して半年経ったタイミングで解散してしまいまして。当時お世話になっていた方に「新しいダンス&ボーカルグループを作ろうと思っているんですけど、どうですか?」と声をかけていただいたんです。せっかくお声がけいただいたし、年齢的にも最後のチャンスだと思い、参加してみようと決断したことが始まりです。

 そこで出会ったプロデューサー、スタッフと他のメンバーの話になった時に「こちらでも探すけど、JUNYAくんが一緒にやりたいと思う人がいたらぜひ紹介してほしい」と言っていただいて。その後に声をかけたのが、SHURU、RYUSEI、KTA。SHURUとRYUSEIは、グループ活動を始める前にいた事務所のスクールで仲が良かったんですよ。2人ともグループ活動をしていたけどそれがなくなってしまったということだったので、声をかけたところ「ぜひ」と言ってくれました。KTAは別のスクールだったのですが、僕が前にいたグループとKTAがいたグループとでライブを一緒にしたことがあって。その頃から歌が上手かったし、KTAがいたグループは解散したと聞いていたので声をかけさせてもらいました。

KTA:でも、ほとんど喋ったことなかったよね。

JUNYA:僕はKTAを怖いと思ってたので(笑)。

KTA:僕も怖いと思っていました。

JUNYA:(笑)。そんな形で4人が集まった後に入ったのがGEN。GENは知り合いも共通の友人もいなかったんですけど、GENが参加していたオーディション番組を観ていて気になっていたんです。KTAと新宿のファミレスでオーディション番組の不合格の結果を見て、「よし、落ちた! 声かけよう」って(笑)。

GEN:SNSでメッセージが送られてきて、JUNYAとKTAと3人で僕の誕生日に顔合わせをしました。

JUNYA:そこでGENが加入を了承してくれて5人に。一旦その5人でプロデューサー、スタッフ陣にパフォーマンスを見てもらったんです。その時すでにいい評価をいただいたのですが、僕としてはもっとダンスに力を入れたい、7人体制にしたいという思いがありました。そこでKTAつながりでKANNAとNAOを紹介してもらって、今のメンバーが集まりました。

――メンバーを7人にしたかったのはなぜだったのでしょうか。

JUNYA:5人だとやれることが限られてくるんですよ。7人いれば構成のバリエーションも広がるし、人数での迫力も出ますし、3人・2人・2人のようにチーム分けも上手くできますしね。

――2021年1月29日に結成して、1カ月後の2月24日には初ライブをしています。

JUNYA:そうですね。ただ、コロナ禍だったのでライブデビューした2~3カ月後くらいからオンラインライブに切り替わり、制限のある状況だったのは苦しかったです。

――その後、OHLとして事務所を転々とする中で、ご自身たちで会社を立ち上げた、と。

JUNYA:今後についての不安を吐露し合う中、ある日の練習終わりGENが「こういう仕組みで、7人でこの道を辿ればグループを存続させられる」と会社の全ての手続きや準備を終わらせた上で具体的な提案を何度もしてくれて。次第に自分たちでやっていきたい気持ちが強くなり、メンバー全員納得して自分たちの会社を立ち上げることになりました。

――自分たちで何もかもやるとなると、大変なことも多いです。別の事務所に所属し直すのではなく、あえて会社設立の道を選んだ決め手は何だったのでしょうか。

GEN:その頃、ほぼ全員が「なんで頑張っているのに芽が出ないんだ」とグループの運営体制に不満を持っていました。「もう辞めたい」と思っているメンバーも多かったんですね。ただ、このグループが最後だと思ってみんな挑戦をしていたので、グループを辞める=夢を諦めることに直結してしまうことになる。簡単に辞めることもできない状況で、精神的にも追い詰められている中、KANNAがうつ病を患ってしまったんです。病名がついたのはKANNAだったのですが、僕以外のメンバーほぼ全員が同じ状態で。あの頃のみんなは、怒りすらも起こらないような精神状態でしたね。

――そんな苦しい経緯があったのですね。

GEN:ある意味、僕は事実上の解散に近い状態だったと思っています。でも救いだったのは、メンバー全員の仲が良かったこと。そして、そこに着目しました。僕は芸能界でプレイヤーとして成功することとは別に、会社を経営したいという夢も持っていたので、「この苦しい状況と僕の夢が重なるかもしれない」ということに気づいたんです。現状を打破するためには、僕が全員を説得して引っ張っていけばいいんだという結論を自分の中で出しました。そこで、みんなが幸せでいるために、僕が会社を経営しながらメンバーとしてグループ活動をする、という夢を諦めないスタイルにたどり着きました。

 もちろん初めはメンバーも不安だったと思います。もともと所属していた決して小さい規模ではない事務所でさえ、コロナ禍で苦しい状況になってしまっていたし、ましてや当時22歳のグループで最年少の僕が会社をやると言い出したのですから。でも、その不安をなくすくらいのプランニングを作って、「俺について来い!」と伝えましたし、喧嘩するくらい何度もディスカッションを重ねました。

――当初は満場一致というわけではなかったのですね。みなさんはGENさんの提案を聞いた時、どんな気持ちだったのでしょうか。

JUNYA:僕は、昔事務所に所属しないでグループ活動をしていた時期があったので、自分たちでやることの大変さを実感していました。事務所に所属して新しく始めようと思って結成したのがOHLでしたし、自分たちでやっていくという選択肢は、昔の繰り返しになるので自分の中では葛藤がありました。一方で事務所に所属していると、良くも悪くも縛りが多くて動きづらいということも感じていて。GENの提案を聞いた時は上手くいくかわからないけど、自分たちでやったほうが幅は広げられるし、悔いなくできるんじゃないかと思いました。自分がOHLを結成したので、全員の人生を背負って歩み始めてる責任感と、何よりメンバー、ファンの皆さんの愛に背中を押されました。最終的には、他のメンバーの意見も聞いてGENの提案を受け入れる方に気持ちが固まりました。

SHURU:前の事務所を退所して会社を立ち上げるまで、僕らはフリーで活動していた時期があるんです。その期間に今後のOHLについて話し合っていたのですが、そこでGENが提案してくれたんですよね。フリーの期間があったからこそ、みんなが自分たちで覚悟を持ってやっていこうという気持ちになったのかもしれません。

GEN:僕は自信がありましたし、チャンスとしか思えなかったんですよね。メンバーの仲が良いことは本当に大きな武器だと捉えていて、上がっていけない原因はメンバー以外のところにある。だったら起業したい夢がある僕が救えば一石二鳥だな、と。8歳から芸能界にいて何度も挫折を味わってきたので、挑戦し続ける気持ちは誰にも負けません。今回も、挑戦を続けるチャンスが来たぞ、と。

――GENさんは、どのような思いを持ってグループ活動と会社の経営を両立させているのでしょうか。

GEN:グループの目標とは別に、会社としても目標があるんです。僕らメンバーは年齢を重ねていますし、チャレンジしたけどダメだった、言ってしまえば落ちこぼれたちです。全員芸能界で成功できなかったという背景を持っています。でも、僕らと同じような境遇の人はたくさんいるんですよね。株式会社OHLではそういった方々を救いたい。そのために僕は代表として、まずは一番身近なメンバーたちを上のステージに上げていきたいという目標を持っています。そして、メンバー各々に紐づく組織を作って、くすぶっている後輩と一緒に成り上がっていきたい。僕らのグループ名のもとになっている「ONE HUNDRED LIMINAL」には「100通りの潜在意識」という意味があります。将来的には、それぞれのメンバーがステップアップしていき、それぞれの得意分野を活かして後輩をサポートしていくスタイルを確立したいと考えています。

 後ろ盾をゼロに、代表がメンバーとしてグループに所属しながら会社を大きくして成功した例はあまりないように思います。だからこそ僕はそれを成し遂げたい。ある意味僕らはマイナスからのスタート。地から這い上がっていく背景全てを含めての「音楽」。そして皆さんと寄り添いながら歩んでいくというスタイルを総合的な「エンタメ」として新しく築けていけたらいいなと考えております。

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