Kis-My-Ft2 北山宏光 卒業に寄せて グループのために全てを捧げ、メンバーを支えてきた大きな存在
Kis-My-Ft2の北山宏光が、8月31日をもってグループを卒業し、ジャニーズ事務所を退所する。正直“Kis-My-Ft2の北山宏光”とは、もう表記できなくなることにまだ実感がわかない。それくらいKis-My-Ft2というグループにとって、北山の存在は大きかった。
「俺、キスマイのためだったら誰に嫌われたっていいって、ずっと思ってて」とは、Kis-My-Ft2のインタビューをまとめた単行本『裸の時代/Kis−My−Ft2』(集英社)で北山が答えていた言葉だ。Kis-My-Ft2が輝けるなら何だってする。そのくらいの勢いを感じた北山の姿勢は、アイドルという人生をスタートしたときの覚悟から生まれたもの。
北山が芸能の仕事に興味を持ったのは、高校入学後と他のジャニーズタレントに比べると少し遅めだった。サッカー推薦で堀越高等学校に入学し、同級生に山下智久がいたことをきっかけにジャニーズのオーディションを受けることに。それまで365日中360日練習に打ち込んでいたサッカー少年が、ジャニーズアイドルへと転向。それは、北山自身にとっても相当悩んだ末での決断だった。
だからこそかつてのサッカー仲間に、この選択が正しかったのだと証明しなければと意気込んだそう。未練を断ち切るためにボールもスパイクも全て捨てたというのが、なんとも北山らしいエピソードだ。誰よりも熱くがむしゃらにデビューにこだわったのは、そんな背景があったから。誰もがスターになれるわけではない、そんな厳しい現実を知るほどに北山は努力を重ねていく。それは、ダンススキルや歌唱力を磨くだけでなく、メンバーを鼓舞するということも含まれていた。
ジャニーズJr.内ユニットとしてKis-My-Ft2が結成されたとき「なんか落ちこぼれが集まったのかな」、そう思ったと北山は振り返っている。当時はNEWSやほかのグループで選ばれなかったメンバーでKis-My-Ft2が作られた、そんな印象を受けたようだ。それでも「ただ信じようと思った」と北山。現時点では落ちこぼれかもしれないけれど、自分たちの可能性を信じて「この7人で、絶対にデビューする」と決めた。それゆえに自分で振り返っても「うるさかったし、うざかったと思う」と笑うほどに、メンバーに声がけをしていったのだという。あるときは、二階堂高嗣と殴り合いになったことも。当時、自分の強みを見つけることができずに迷走していたという二階堂に、北山は「お前はソロじゃなくてグループだろ」と叱咤。すると、二階堂は「うるせぇ」と殴りかかり、本気の喧嘩に発展してしまったことがあった。そんな二階堂の胸を打ったのが、北山の放った「お前の周りにはお前を助けたいと思う人間がいるんだ。もっと俺らを頼れ!」という言葉だったとも語られている。
後輩たちがデビューし、さらに先の見えない迷路を模索していた7人にとって、北山は頼もしくもあり、少し眩し過ぎる存在だったのかもしれない。デビュー直前まで辞めることを考えていたという横尾渉は、「横尾さん、こうしたほうがいいよ。がんばろうよ」と熱く語りかける北山に「そんなことずっと前からわかってるよ」と少し反発心が芽生えたこともあったそう。だが、このままではダメだと心を入れ替えメンバーの健康状態をフォローするなど自分のできることをしていった結果、横尾は“キスマイのお母さん”というポジションを確立した。
また、メンバーの個性を伸ばした逸話では、もう一つ宮田俊哉の例がある。今やアニメ好きジャニーズとして独自のキャラクターでおなじみの宮田だが、彼がオタ芸をコンサートで披露する勇気をもらえたのも北山がいたからこそだった。メンバーとスタッフで行なったコンサートの打ち合わせで「オタ芸をやりたい」と提案したところ、周囲から「バカ言うんじゃないよ」と言われる中、北山だけが「おもしろいじゃん」と言ってくれたのだという。そして、人見知りが激しかった玉森裕太に対しては、“敬語を使ったらダメゲーム”を何度も何度も繰り返し、少しずつ壁を取り払っていったという思い出話もある。それは北山と藤ヶ谷太輔が中心になって取り組まれたものだったそうだ。この北山と藤ヶ谷のコンビもまたKis-My-Ft2になくてはならない魅力だった。
千賀健永は『裸の時代』で「宏光とガヤさん、どんなことでも頑なに“できるよ”って言い続けてたんですよね」と振り返る。同じようにKis-My-Ft2を思い、それぞれの想いを胸にメンバーを引っ張る2人は、まるで両輪のようにバランスが取れていた。ベタベタとした仲の良さではないかもしれない、けれどお互いに役割を任せていく信頼関係が垣間見える。そんな2人ならではの距離感が、またKis-My-Ft2を引き締める要素だった。
どうしたらKis-My-Ft2が輝けるのか。北山にとってのジャニーズ人生は、そればかり考えてきた日々だったのだろうと改めて思う。中居正広がプロデュースした横尾、宮田、二階堂、千賀による派生ユニット“舞祭組”が注目を集めたころには自ら「ブサイク枠」に飛び込んで盛り上げていたこともあった。
舞祭組の2ndシングル『てぃーてぃーてぃーてれって てれてぃてぃてぃ ~だれのケツ~』がオリコンチャート1位を取れなかったときには、罰ゲームで北山も4人と共にスカイダイビングを披露して大きな話題になったことも懐かしく思い出される。それも「前列3人と舞祭組4人」という括りを、再び7人のKis-My-Ft2になじませていく動きだったのだろう。
直近でも、8月27日に玉森が自身のアカウントで初となるインスタライブを配信した際に、北山は「初めてやるって聞いて」と電話をかけるサプライズを演出。宮田と共に玉森が何を最初に話すかと考え、「“これ繋がってる?”って絶対言うかなと思っていたら案の定言ったね」と笑う。そんな北山に玉森も「さすがだな。何十年も一緒にいれば、そりゃわかるな」と返すやり取りが実に微笑ましかった。