Mrs. GREEN APPLE、強靭な生命力で解き放つ“愛”の歌 怒涛の10年間を経たからこその普遍的で切実なメッセージ
Mrs. GREEN APPLEが2022年3月の活動再開以来、初めてとなるフルアルバム『ANTENNA』を完成させた。一足早くじっくり聴かせてもらったが、何度聴いても心にとても大きく温かな感触が残る、素晴らしいアルバムだ。サウンドの面でもソングライティングの面でも、よりストレートに「自分たちが表現したいこと」に向かうその姿勢、そしてその帰結として立ち現れる、心が躍るような自由奔放さと音楽的な味わいの深さ。結成から10年間をかけて積み重ねてきた「ミセスとはこういうバンドだ」という定義、もしくは固定観念(それはリスナーの側だけでなく、バンド自身の中にもあったものだ)を片っ端からひっくり返し、超越しながら、最終的にはそれらもすべて内包した大きな優しさで全てを包み込む、情熱的でヒューマニズムに溢れた傑作である。
このアルバムは間違いなくMrs. GREEN APPLEという「バンド」の作品でありながら、同時にバンドの枠を大きくはみ出した音楽性を持ったものだ。それこそダンスミュージックのテイストを大幅に導入した「Blizzard」のような楽曲でも、4つ打ちのビートとパワフルなギターが高揚感を煽る「ANTENNA」でもそう(この曲のギターソロは本当にいい)、そこには大森元貴(Vo/Gt)、若井滉斗(Gt)、藤澤涼架(Key)、3人の間にある緊密な絆を感じることができる。「私は最強」や「アンラブレス」のようなソリッドなバンドサウンドを聴かせる楽曲でも彼らがスキルとアイデアに磨きをかけてきた成果をしっかり受け取ることができるが、それは単に技術的な面だけでなく、いやそれ以上に、マインドの部分でミセスがより強固な「バンド」になったということを物語っている。楽曲に対して何が必要で、それぞれがそれぞれの場所で何を注ぎ込むべきなのか。メンバーの脱退を経て、3人それぞれが背負うものは間違いなくより重く、大きくなった。そのことに自覚的に向き合った末にこのアルバムは完成している。これまでのミセスの作品以上に血と汗の匂いが漂っている気がするのはそのためだ。
それは、そもそもの出発点である大森の作曲でも同様。バンドにとって大きなターニングポイントとなった「Soranji」はまさにその極みだが、今回、大森はこれまで以上に深く自分自身の内面に潜り、その中で見つけたもの(まさに彼の「アンテナ」がキャッチした感情)を丁寧に言葉とメロディに紡ぎ上げている。しかし、その「Soranji」もそう、あるいはおそらく大半のリスナーにとって馴染みがないであろうスウェーデン語で歌われる「norn」(ちなみにこれは北欧神話の「運命の女神」の名前だ)も、大森自身の中にある個人的な感覚を命綱にしながら、同時にとても普遍的な感情を呼び起こすものになっている。言葉一つひとつの意味を完全に共有することはできずとも、彼の心がどこを向いているのか、何を叫ぼうとしているのか、そのことはとてもビビッドに伝わってくる。
胸の内に吹き荒れる嵐を正直に吐き出す「Blizzard」、生きる上で拭い去ることのできない孤独に向き合った「Loneliness」、〈いつの日か俺らは大人になれる/いつだって僕らはあの日のままだ〉という矛盾をありのままに捉えながら生きる意思を明確に放つ「橙」。曲調はさまざまだが、このアルバムに収められた楽曲はどれも、大森元貴という「人間」を包み隠さず、ときに痛みや苦しみまでも含めて露わにする。その正直さを通して、曲の中で歌われた感情は聴き手と強力にリンクするのだ。その意味でこのアルバムはとてもパーソナルな匂いを放ちながら、同時に極めて普遍的な、つまり「ポップ」なものとして響いてくるのである。正直になるということは、ときにとても怖いことだ。それを可能にするのは相手に対する信頼と愛情、そして深いところで揺るぎなく根を下ろす自信である。大森がこういう曲たちを生み出し、それをまぎれもない「ミセスの歌」として解き放つことができるという事実は、今、Mrs. GREEN APPLEがバンドとしてとても強靭な生命力を持っていることをはっきりと証明している。