高橋幸宏、気高く飄々と極めたポップカルチャーの“粋” 最後の趣味人たる音楽家だった理由

 高橋はそんな自分のシャイネスもある程度踏まえた上で、前述の通り「西洋の音楽を真似しようとしても、ボーカルも含めて日本的なサウンドになってしまう、だが、そこに今の欧米のリスナーはキッチュな魅力を感じているのではないか」と分析したのかもしれない。西洋のスタイルを真似しようとしてもどうしてもうまくいかない、だったらとことん「好き」という趣味性の高さーーそれはもしかすると「センス」というありふれた表現に置き換えられるのかもしれないがーーを形にした方がよほどカッコいい、というような美学。それは他のシティポップとされる音楽とは少し違う、ヒューマンな粋(すい)に相当する。誤解を恐れずに言うと、高橋幸宏の作品に触れるということは、音楽を聴くという行為だけを指し示すものではない。仕立てのいいシャツを身につけたり、しっかりと磨かれた革靴を履いたり、丁寧に下ごしらえした末に調理された料理を口にしたり、ソムリエが厳選したワインをたしなむようなことと少し似ている。そして、そうした目に見えにくい粋(すい)というのは、合理的、実質的な社会の中では、得てして「いい趣味」として片付けられてしまう。高橋幸宏は年々加速する一方の管理社会の中で、そこに飄々と挑戦し続ける自由で誇り高きミュージシャンだった。「徹底していい趣味、徹底していい暮らしが、徹底していい音楽を育む」という在り方を曲げない気高さがあった。

 そういう意味では、究極のところ、高橋は最後の趣味人たる音楽家だったと言うこともできるのだろう。無論、それを実践できる技術と才能があればこそで、彼が曲に応じて音質、音色でしっかり叩き分けるドラマーの、ジャパニーズ・ポップミュージック史における草分けだったことは言うまでもなく、そんな自分をもしっかりコントロールし、時には裏方の目線で作品全体を見渡す役割を果たすプロデューサーだったことも今更語るべくもない。サディスティック・ミカ・バンド、YMOはもとより、鈴木慶一とのTHE BEATNIKSを筆頭に、原田知世や高田漣、そして昨年9月に開催された『高橋幸宏 50周年記念ライヴ LOVE TOGETHER 愛こそすべて』ではバンマス的役割も担った高野寛らと組んだpupa、小山田圭吾やTOWA TEIらとのMETAFIVEに至るまで、彼は生涯を通じて実に多くのユニット、プロジェクトに携わり、多くのミュージシャン仲間から愛されてきた。だが、高橋はそうした中でもおそらく常に少し引いたところで自分の粋(すい)を表現していたのではないだろうか。

METAFIVE - Maisie’s Avenue -Studio Live Version-

 筆者はこれまでに何度も高橋に取材をしてきたが、自分のことを語るより、自分以外の誰かについて話したり、そこにいる自分ではない誰かに発言を譲るような場面が多くあった。自分自身のソロ作についての場であっても、「それならエンジニアの人に聞いた方がいいな」と言って笑う。しかし、その後にちゃんと自分の口から丁寧に説明をしてくれるのだ。ポリフォニックシンセサイザーについても電子ドラムについても、彼は一つひとつ丁寧に話してくれる。まるで美味しいお店を教えてくれるかのように。それが嫌味でもなんでもなく、それこそが粋(すい)だった。前述のネットラジオの中で、高橋はサディスティック・ミカ・バンドでの盟友で、親友と言ってもいいと認める加藤和彦について、「音楽の話より食べ物や洋服の話で盛り上がった」と話している。そんな加藤ももうこの世の人ではない。今頃は空の上でスーツやワインの話でもしているだろうか。

 さて、この原稿を仕上げている最中に、シーナ&ロケッツの鮎川誠の訃報が届いた。YMOと鮎川誠の浅からぬ関係についても多くのファンが知っていることだろう。シーナ&ザ・ロケッツ(旧表記)のライブを観た高橋幸宏の推薦でアルファレコードと契約し、鮎川はYMOのアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』(1979年9月)にギタリストとして参加。そして、細野晴臣がプロデュース、YMOの3人が参加したシーナ&ザ・ロケッツの2ndアルバム『真空パック』はその一カ月後に発売となった。その後の激しいロックンロールバンド然としたシナロケとは少々趣の異なるこのポップアルバムは、『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』と言わば兄弟関係のようだった。『真空パック』に高橋幸宏が作曲した「RADIO JUNK」が収録されていることを知り、俄には信じ難いと感じる世代も多いだろう。だが、こうして一人、また一人と遠くにいってしまった今、ふと思うのだ。高橋のボーカル(とドラム)と鮎川のギターが一つ曲の中で聴ける最初期の作品の一つがThe Beatlesのカバー「Day Tripper」(『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』収録)という事実。もはやテクノポップもロックンロールも、そしてこの時期席巻していたパンクもニュー・ウェーブもないのではないか、と。鮎川誠もまた粋なミュージシャンだった。

 広義にポップカルチャーを支えてきた粋人二人に、お別れを。

シーナ&ロケッツ「RADIO JUNK」

※1:https://pitchfork.com/news/yellow-magic-orchestra-drummer-yukihiro-takahashi-dies-at-70/
※2:https://www.dublab.com/archive/suneye-radio-yukihiro-takahashi-interview-01-25-20

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