村井邦彦×吉田俊宏『モンパルナス1934~キャンティ前史~』あとがき
村井邦彦と吉田俊宏による連載小説『モンパルナス1934~キャンティ前史~』が、2022年12月25日に最終回を迎えた。2020年11月に掲載された【村井邦彦×吉田俊宏『モンパルナス1934~キャンティ前史~』連載スタートに寄せて】から連載は2年間に及び、全14話の壮大な物語として幕を閉じた。連載の終了を受けて、村井邦彦と吉田俊宏より寄せられたあとがきを掲載する。(編集部)
村井邦彦によるあとがき
外交評論家でジャーナリストの手嶋龍一さんが吉田俊宏さんと一緒に本を書くことを勧めてくれた。手嶋さんの家で食事を御馳走になっていた時のことだ。日本経済新聞に掲載された僕に関する記事が素晴らしい出来だというのだ。僕にインタビューし、記事を書いたのが吉田さんだった。僕はその場で吉田さんに電話をして「何か一緒に書きましょう」と言った。手嶋さんも電話口に出て、吉田さんに「是非やってください」と言った。
手嶋さんとは長い付き合いになる。2004年に手嶋さんがプロデュースし、自ら出演したNHKスペシャル「21世紀の潮流~カリブの囚われ人たち~」の音楽を担当してからは同じ釜の飯を食った仲間としてますます親しくなった。
「カリブの囚われ人たち」はアルカイダと疑われたイスラム教徒が拘束されている在キューバのグアンタナモ米軍基地を実際に撮影した番組で、2001年9月11日の米同時テロを契機に「対テロ戦争」を掲げるアメリカの大義とは何かを問いかける大作だった。
余談だが、この時に僕が書いた合唱曲「キリエ」はラリー・ニッケルが書いた長大な「平和のためのレクイエム」の一部に使われ、ヴァチカンをはじめ全世界で今でも演奏され続けている。
手嶋さんがNHKのワシントン支局長を務めていた頃、正月休みにロサンゼルスの僕の家に泊まりに来たことがあった。その時手嶋さんは「NHKを辞めて小説を書こうと思っている」と言った。それまでに手嶋さんは何冊か本を書いていて、僕も読んでいたが、いずれもノンフィクションだった。
僕は「いきなり小説を書いてそれが当たるかどうか分からないのにNHKを辞めるのはリスクが大きすぎるのではないか」と言ったのだが、手嶋さんは辞めた。皆さんご存じのように手嶋さんの最初の小説「ウルトラ・ダラー」はベストセラーになった。
そんな経緯があったから「手嶋さんが言うのだから吉田さんと一緒に何か書けばいいものができるに違いない」と信じたのだ。
ちょうどその頃、総合カルチャーサイト「リアルサウンド」を運営し、書籍や写真集などを発行するblueprint社の神谷弘一社長が編集の松田広宣さんを連れてわざわざロサンゼルスまでやって来てくれて、本を出さないかと依頼された。「リアルサウンド」で神谷さんが聞き手になって僕が自分の経歴を語った記事が好評だったこともあり、興味を持ってくれたようだ。
その後、僕が東京に行った時に吉田さんを交えて相談した結果「モンパルナス1934~キャンティ前史~」を書くことになった。まずはリアルサウンドで連載し、終了後にblueprintから出版することまで決まった。僕は以前から川添浩史さんの生きた時代を書きたいと考えていたのだ。
連載を始めるとき、この小説をシリーズ物のテレビ映画のようにしようと考えた。だから第1章、2章ではなく「エピソード1」「エピソード2」とした。
エピソードごとに音楽、映画、食事、絵画、建築、文学やサスペンスシーンをふんだんに盛り込み、1930年代から1980年までのヨーロッパと日本の歴史を背景にしようと思った。
実際に吉田さんとの共同作業は映画を作っているような気分で楽しかった。もし本当の映画なら制作費はいくらかかるのだろうと考えた。カンヌ、アンティーブ、モナコなどのロケ、スペイン内戦のシーン、モンマルトルのナイトクラブのシーンなどを実写で撮ったら制作費は軽く100億円を超えるにちがいない。小説は僕と吉田さんの頭の中だけで出来てしまうのだからいいよなあ、と何度も思った。
吉田さんがどういう仕事をするのかは、何度か僕の記事を書いてくれたことがあったからだいたい理解していた。ともかく事実確認、裏をとることなしに書くことはしないジャーナリストだ。膨大な資料を集めてリサーチをする。現場を見ることの重要性を良く分かっているからフットワークも軽い。
例えば「エピソード14」に出てくる慈恵医大の周りの街路樹がどんな木なのか確かめに行く。文章にすればたった1行のことだが現場を見て書けば全体に重みがぐっと増してくる。
吉田さんがこれまで日経新聞に書いた音楽、絵画、建築などに関する記事はどれも優れた記事だが、それらを書いた時の蓄積もこの小説に惜しみなく投入されている。
この小説に何度か出てくる紫郎の好きなシャンソン「聞かせてよ愛の言葉を」は吉田さんが選んだ曲だ。この曲がヒットしたのは1934年。紫郎がフランスに渡った年だ。歌っているリュシエンヌ・ボワイエはモンパルナスの出身。そこまで調査してある。
この小説の「絵解き」は面白いので、ひとつだけ解説しておこう。「エピソード5」に出てくるカーチェイスのシーンだ。紫郎はカンヌからパリのリヨン駅に到着したが、謎の男に追われ白タクを拾って逃げる。ルノーのぼろ車だ。c
白タクの運転手はインテリがいいと思った。カーチェイスの最中に紫郎と運転手に共産主義とファシズムに関して会話をさせたかったのだ。僕はフランスの知的スーパーエリートのための高等教育機関である高等師範学校のサイトで卒業生名簿をチェックし、紫郎よりちょっと年上の哲学者レイモン・アロンを運転手に選んだ。不況で仕事がないので白タクの運転手をやっているということにした。吉田さんは名前をモーリス・アロンに変えた。勘のいい読者はレイモンだなと感じただろう。
カーチェイスのコースはリヨン駅からセーヌ左岸に行き、右岸に戻るところまでは僕が考えた。僕は若いころからパリで運転していたので道をよく知っているのだ。右岸のアルマ橋のあたりからはクロード・ルルーシュ監督の有名な暴走映画「ランデヴー」(1976年)と同じルートにした。夜明けのパリをフェラーリが暴走する9分の短編映画だ。アルマ橋からシャンゼリゼ通り、ルーヴル美術館の中庭を通ってオペラ座の裏に出て、モンマルトルの山を上るルートだ。この映像を吉田さんに文章化してもらった。吉田さんの文章力は冴えていて映画以上にスリリングだった。
ともかく楽しい2年間だった。吉田さん、神谷さん、松田さん、ありがとう。