小説『モンパルナス1934~キャンティ前史~』エピソード11 東京-山中湖 村井邦彦・吉田俊宏 作

『モンパルナス1934』エピソード11

 村井邦彦と吉田俊宏による小説『モンパルナス1934〜キャンティ前史〜』エピソード11では、国際文化交流プロデューサーとして活動する川添紫郎が相棒の井上清一らとともに、従兄弟の小島威彦や歴史哲学者の仲小路彰らが設立したスメラ学塾に参加。第2次世界大戦の戦禍が拡大し、歴史の転換点を迎える中で、紫郎はこれからの日本をどんな国にすべきなのか、その答えを探し始める。(編集部)

※メイン写真:空襲のため東京に向かう米軍機。南洋のサイパン島を飛び立った米軍の爆撃機は富士山を 目標に北上し、山の手前で右旋回して東京を目指した。(Getty Images)

【エピソード10までのあらすじ】
 川添紫郎は1934年、21歳でパリに渡り、モンパルナスのカフェを拠点に交遊関係を広げていった。長年の相棒となる井上清一をはじめ、建築家の坂倉準三や美術家の岡本太郎といった日本人留学生だけでなく、故郷を追われてパリに来たロバート・キャパやゲルダ・タローのような外国人とも親交を結んだ。
 折しも隣国ドイツでヒトラーが政権を握り、歴史が大きく動き始めていた。時代の荒波は留学生たちにも容赦なく襲いかかり、紫郎が想いを寄せていた林田富士子と、キャパの恋人ゲルダが、報道カメラマンとして赴いたスペイン内戦の戦地で相次ぎ若い命を散らした。
 そんな中で紫郎はパリで知り合ったピアニストの原智恵子と結婚し、映画の輸出入の仕事に取り掛かるなど、国際文化交流プロデューサーへの道を歩み始める。
 やがてナチスドイツの怒涛のような侵攻によって第2次世界大戦が始まった。しばらくパリにとどまっていた紫郎は1940年1月、智恵子とともに帰国し、従兄弟の小島威彦や歴史哲学者の仲小路彰らが設立したスメラ学塾の活動に加わっていく。

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東京-山中湖 #1

 先週までの蒸し暑さが嘘のように、さわやかな秋風が白山通りに吹き渡っている。川添紫郎は神田一ツ橋の学士会館前にそびえ立つ真新しいモダン建築、共立講堂の扉を押し開けた。
 講義の開始時刻まで1時間以上もあるのに、もう大勢の塾員、塾生がロビーに押し寄せ、長机に山と積まれた「第1期スメラ学塾講義録」や仲小路彰の「世界興廃大戦史」、小島威彦の「独伊の世界政策」などをむさぼるように読んでいる。紫郎は彼らの異様な熱気にたじろぎ、ハンカチで額をぬぐった。
 第1期スメラ学塾はナチスドイツがパリを陥落させてから3日後の1940年6月17日に日本橋白木屋講堂で始まったが、入塾希望者は定員700人の枠をはるかに超えてしまった。学塾の番頭役でもある小島は2カ月間の予定を半分に短縮して第1期学塾を打ち切り、定員を2000人に拡大して秋に改めて開講すると発表したのだった。
 塾員、塾生が待ちに待ったこの日、1940年10月14日が第2期スメラ学塾の開講日である。9月27日に日独伊三国同盟が締結され、10月12日には大政翼賛会が結成されていた。紀元二千六百年記念行事が全国各地で開催された年でもある。
「イノ、こうして改めて演壇を眺めるとなかなかの迫力だよな」
 最後列の中央に座った紫郎は隣の井上清一に言った。
「そりゃそうさ。僕らが夜を徹して仕上げた力作だからね」
 2人は広い演壇の後ろに高々と掲げられた塾章と巨大な世界地図を満足げに見つめた。塾章は神武天皇の東征に際し、熊野から大和まで道案内したとされる3本足の「八咫烏(やたがらす)」と日輪をあしらったデザインで、地図には太平洋の島々と大陸が立体的に描かれている。
 万雷の拍手に迎えられた塾頭の末次信正海軍大将が短い挨拶を終えた後、純白のドレスをまとった三浦環がゆっくりと舞台に現れた。
 オペラ「蝶々夫人」の主役として2000回以上もステージに立ち、国際的な名声を得た世界のプリマドンナも56歳になっていた。しかし気品のあるソプラノは決して衰えていない。紫郎の妻、智恵子のピアノ伴奏で「スメラ民(みたみ)の歌」を朗々と歌い始めた。仲小路作詞、作曲によるスメラ学塾の塾歌だ。
「スメラ御民 我等 学ぶ甲斐あり とつくにの衰う時 世はいかに暗くも 人はいかに騒(さや)ぐも 万代(よろずよ)に ただ一筋に…」
 客席の塾員、塾生は全員起立して神妙に聴き入った。
「スメラクラブで練習していた歌だね」
 井上が紫郎の耳元でささやいた。スメラクラブは赤坂桧町にある坂倉建築研究所の2階に置かれた学塾関係者の文化サロンだ。紫郎や井上、小島、智恵子、坂倉準三らはサロンの常連になっていた。
「そうそう、あの歌だ。仲小路先生が口ずさんだ旋律をチエが譜面に書き取ったんだよ。ドイツ歌曲風だけど、どこか日本調でもあるし…。不思議な音楽だよな」
「確かに」と井上もうなずいた。
 続いて高嶋辰彦陸軍大佐が登壇すると、客席の塾員、塾生はそろって背筋を伸ばした。講座名は「皇道世界維新綱領」。
 紫郎は後方の左端に立っている背広姿の2人が急にひそひそと話し始めたのに気づいた。
「シロー、やつらは憲兵隊だよ」
 井上が小声で耳打ちした。
「け、憲兵隊だって? この会場には塾員、塾生しか入れないんじゃなかったのか?」
「一応、そのはずなんだけど」
「しかし、イノはどうしてやつらの正体を知っているんだ」
「あれは半年くらい前かな。陸軍の間野少佐と一緒に大佐を東京駅まで見送りに行ったことがあるんだ。無事に見送った後、改札口前の公衆電話で仲小路先生に連絡しようとしたら、一足先に電話を使い始めた男がいてね。『ただいま高嶋大佐が石原中将に面会のため東京駅を出発しました』って早口で話していたんだ。僕は確かに聞いた。大佐は尾行されていたんだよ」
「石原中将って、石原莞爾さんか?」
「もちろん、そうさ」
「電話をしていたのがあの2人のうちの…?」
「背の低い方。あの西郷隆盛みたいな太い眉毛とギョロ目。間違いないよ」
 憲兵隊が紛れ込んでいるとすれば、警察も来ているかもしれない。そう思って反対側を振り返った紫郎の目は、背の高い男にくぎ付けになった。右隅の壁にもたれ、たばこをふかしている。紫郎の視線を受け止めた男はにやりと笑って「やっと気づいたか」とでも言いたげに軽く手を振ってみせた。
「特高も来ていやがる」
 紫郎は口元を手で隠して小声で言った。
「特高? どこに」
「憲兵隊の反対側、右隅に立っている背の高いやつだ。僕がフランスから帰ってきたときにいきなり現れた小野寺っていう警視庁の警視だよ。そうか、威彦さんを監視しているんだな」
 その小島威彦が登壇して「学塾の精神」を熱く語り始めた。
 小島の論旨は明快だった。まず日本がなすべきは中国を植民地化した列強に対抗し、中国を解放することであり、一刻も早く蒋介石と和平を結び、中国から撤兵すべきだと主張した。さらにドイツがオランダを席巻している間に、オランダが支配していたインドネシアを英国やアメリカに奪われてはいけないと語気を強め、我が国は1日も早く南方に進出して石油などの資源を確保し、今のうちに英国をたたいておくべきであると熱弁を振るった。
「諸君、ご存じの通り、アメリカは日米通商航海条約を一方的に破棄した。これは事実上の宣戦布告に等しい。アメリカは時間稼ぎをしながら、今も着々と戦争の準備を進めている。アメリカの戦力が整う前に、我が国は南方の資源を確保すべきなのだ。日本の使命はアジアの解放にある。これ以上、中国と戦ってどうする。国力をそがれるばかりで、英米の思うつぼではないか。特にアメリカの戦力が整ったら、やっかいなことになる。日独伊三国同盟がようやく締結された今こそ…、いや、これが最後のチャンスかもしれない。ぐずぐずしている暇はない。諸君、そうではないか?」
 塾員、塾生が一斉に立ち上がって精いっぱいの拍手を送った。感極まって涙を流す者も1人や2人ではなかった。多くが紫郎と同じ20代の若者である。
 そのとき客席から一人の男が悠然と出てきてステージによじ登った。周りの客はあっけに取られて呆然と眺めている。
「コジマあ、貴様、それでも大日本帝国の国民か。何が即時中国撤兵だ。我が皇軍の方針を否定するつもりか」
 小柄だが筋肉質の男が叫び、上着からピストルを出した。
「コジマあ、天に代わって成敗し…」
 と、その瞬間、騒然とする客席から疾風のように飛び出した影が男の腕を取り、あっと言う間に羽交い絞めにしていた。ピストルは発砲されぬまま演壇の床に落ちてゴトリと音をたてた。まさに一瞬の早業だった。
「あ、あれは…。鮫島さんじゃないか」
 疾風の男を見て、紫郎が言った。憲兵の2人が舌打ちをして演壇に走っていった。特高の小野寺はにやにや笑っている。紫郎はあわてて憲兵を追った。客席のあちこちで怒号が飛び交っている。
「バカヤロウ、面倒をかけやがって」
 西郷に似た背の低い憲兵が羽交い絞めにされている男をいきなり殴った。黒縁の眼鏡が吹っ飛び、鼻と口から噴き出した血が男のシャツにしたたり落ちた。
「暴力はいけませんよ」
 鮫島一郎が男を解放して言った。
「うるさい。貴様、何者だ」
「名乗るほどの者じゃございませんよ、憲兵さん」
「な、何だって?」
 憲兵は狼狽して鮫島から目をそらした。
「この男、陸軍の少尉ですね?」
「き、貴様、なぜそれを…。じゃ、邪魔だ、とっととうせろ」
 憲兵が血相を変えて叫んだ。
「はいはい、言われなくても消えますよ」
 演壇からひらりと飛び降りた鮫島の肩を紫郎がつかんだ。
「鮫島さん、どうしてここに」
「やあ、紫郎君、久しぶり。ちょっと興味があってね、スメラ学塾に。ボスもいるよ」
 鮫島が客席の中ほどにいる紳士を見た。紳士は軽くうなずき、右手をあげた。
「坂本さん?」
 紫郎は演壇に群がる塾員、塾生をかき分け、坂本直道の席に駆け寄った。
「おふたりそろって学塾にいらしていたのですか」
「私はパリが陥落して間もなく帰国したんだ。このままでは我が国と英米が戦争になってしまうと思って、軍や政界の要人にいろいろと進言して回っているのだが、なかなか難しいね。特にアメリカと戦争になったらえらいことになる。中国からも即刻撤兵すべきだと思う。その点に関しては、さっき熱弁されていた小島氏の意見とさほど変わらないな。まあ、おかげで憲兵隊や特高からマークされるようになったんだがね」
 坂本は苦笑いした。
「あのピストル男を連行していった2人も憲兵のようです」
「ああ、知っているよ」
「特高も来ています」
「ほお、それは気づかなかったな」
 紫郎は客席の後方を見回したが、すでに小野寺は姿を消していた。
「それにしても鮫島さんの動きは素早かったなあ。ポンヌフ橋の下でファシストたちと決闘した夜を思い出しましたよ」
 紫郎は鮫島の顔を懐かしそうに見た。
「ああ、あの眼鏡野郎は最初から挙動不審でね。嫌な予感がしていたんだ」
「なぜ陸軍の少尉と分かったんです?」
「拳銃だよ。あれは将校用の九四式だ。まあ、少尉というのは当てずっぽうだけどね。憲兵の顔を見ただろう? 図星だったようだ。はっはっは」
「さすが、鮫島さんだ」
 学塾の講義は何事もなかったかのように再開され、30分後に粛々と終わった。

「仲小路先生、大変なことになりましたね」
 「小島逮捕」の知らせを受け、広尾にある仲小路邸の応接室に駆けつけた紫郎が言った。1942年5月8日午前のことだ。すでに主の仲小路をはじめ、小島の妻淑子、坂倉、井上らが集まっていた。重い沈黙が続いた。
「淑子ねえさん、警察は朝っぱらから、何の前触れもなく家まで押しかけてきて、威彦さんを連行していったってことですか」
 紫郎が沈黙を破った。淑子は紫郎の養父、深尾隆太郎の娘だ。
「そうよ、その通り。寝耳に水とはこのことね。でも、前触れがなかったわけではないの。一昨年の暮れだったかしら、警視庁に呼びつけられて厳重注意を受けたことはあったのよ。でも、まさか今になって逮捕だなんて。先生、どうしたらいいのでしょう」
 淑子は隣で腕組みをしたまま黙っている仲小路を見て、ハンカチで目頭を押さえた。
「大丈夫ですよ、淑子さん」
 仲小路がようやく口を開いた。
「いいですか、皆さん。逮捕の容疑が何なのか、まだはっきりしませんが、恐らくどこかの演説で口を滑らせ、揚げ足を取られたのでしょう。肝要なのは4000人の塾員、塾生諸君に不安と動揺を与えないことです。血気にかられて軽はずみな行動に出られては困りますからね。紫郎さん、情報局に要請して、この件の報道を差し止めていただけませんか」
「は、はい。承知しました」
 紫郎が神妙にうなずいた。
「当面は組織の防衛と小島君の救出に全力を挙げましょう。レオナルド・ダ・ヴィンチ展の開会が間近に迫っていますが…。そうですねえ、2カ月ほど延期しましょう。それまでに小島君の件は決着させます。皆さん、よろしいですね」
 仲小路に異を唱える者はいなかった。

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