the band apart 木暮栄一「HIPHOP Memories to Go」第15回 ユーモアに惹かれたYoung Hastle&『Scent of August』全曲解説も

バンアパ木暮、Young Hastleとの出会い

 皆様いかがお過ごしでしょうか。the band apartのドラムス担当、木暮栄一と申します。

 もしも休みが取れたなら、日がな一日、煙草を燻らせながらネット麻雀に興じていたい、あるいは香の焚かれた清浄な畳敷きの部屋に寝転がり、ドリトス(マイルドソルト味)をバリバリ食いつつ横山光輝『三国志』を一巻から読破したい……そんなことばかり考えている私のようなボンクラ野郎にも時々、外部からドラムサポートの依頼が来たりします。

 先日はHUSKING BEEのライブでドラムを叩かせていただきました。

 学生の頃、通学の西武線で車窓に流れる風景を見ながら聴いていた曲たちを、まさか自分が演奏することになるとは。「摩訶不思議テーゼ」「The steady-state theory」「THE SUN AND THE MOON」「新利の風」など、好きな曲を書き出したら枚挙に暇がありませんが、そうした先達のバンドが現在進行形で背中を見せ続けていてくれることは、頼もしいばかりであります。

 移り変わりの激しい世の中ですが、我々the band apartはもちろん、サポートの際に共演したHAWAIIAN6も然り、キャリアのあるバンド各々がそれぞれの味わいを湛えたローカル蕎麦屋のように末長く活動していけることを願って止みません。そして味を守るに徹するだけでなく、いつだって「あなたの街に新しい風を」……ジャッジャッジャー、ジャッジャジャジャジャー。

 我々the band apartが5枚目のアルバム『Scent of August』をリリースした2011年は、忘れもしない東日本大震災の年だ。

 縁の深かった大船渡が被災したことや、僕たちのライブの音響を担ってくれているSPCの西片明人氏が立ち上げた「東北ライブハウス大作戦」との関わりの中、大船渡以外の被災地の状況も目の当たりにし、何か自分たちにできることはないかとチャリティCDを作ったり、『KESEN ROCK FESTIVAL』再開支援イベント『KESEN ROCK TOKYO』を開催したりした。

 予定されていたアルバムのツアーが延期になると同時に原(昌和/Ba)が体調を崩したりと、僕個人の人生観はもちろん、バンドの在り方や演奏する音楽そのものにも大きな影響をもたらした出来事だった。歌詞が日本語に変わるきっかけの一つともなっており、詳しく話すと長くなりすぎるので、次の機会に。

 1990~2000年代にも、バブル崩壊に始まり、地下鉄サリン事件や阪神・淡路大震災、9.11、リーマン・ショックなど、様々な出来事があった。しかし、その社会的影響を自分の生活圏と地続きのものとして実感するには、精神年齢的に幼すぎた。自分とは無関係の、テレビの中の話のような。

 私感と共にその期間を振り返ってみるなら、上に書いたようなネガティブなニュースに反して、減衰していくバブル経済の余波がまだまだ世の中にある種の余裕を残していた印象が強い。一般的なレールから外れても生活していけるだろう、という雰囲気が若者の間にもあったし、かつて「フリーター」と呼ばれた、ある意味ボヘミアン的な生き方を選ぶ者も多くいた。

 音楽シーンで言えば、メインストリームを仮想敵としたアンダーグラウンド・ムーブメントも多く生まれ、かつ隆盛を見せていた。そうした様々な動きや価値観が飽和し、時代の雰囲気からは徐々に余裕が失われ、閉塞感を強めていったのが2000年代後半……大雑把に言えば、そんなイメージである。

 そんな2000年代後期の閉塞的な空気を、ある種の諦観と共に的確に写し取っていると思うのが、2007年にリリースされた、ゆらゆら帝国のラストアルバム『空洞です』だ。タイトルトラックの〈なぜか町には大事なものがない/それはムード 甘いムード/意味を求めて無意味なものがない/それはムード とろけそうな〉という歌詞は、当時はもちろん、現在のネットワーク社会における不寛容を予見するかのような、凄いラインだと思う。

ゆらゆら帝国 『空洞です』(Hollow Me)

 坂本慎太郎氏の時代に対する鋭い洞察力を伴った言葉や態度……とはある意味真逆のベクトルの無自覚なタフネスとユーモアで、この頃の僕の心を掴んでいたラッパーがYoung HastleやA-THUGである 。

 2007年に、それまで日本を代表するヒップホップ・メディアであった専門誌『blast』が廃刊し、日本のヒップホップ全体も一部のアーティストを除いてメジャーシーンから徐々に遠のいていった、そんな時期に僕はYouTubeでYoung Hastle「V-Neck T」のMVを発見する。いかに自分がVネックのTシャツを愛しているか、というカジュアルなトピックを固い韻とクセになるフローで歌い上げるこの曲を最初に聴いたときは、驚きと共に顔がにやけてしまうのを隠せなかった。

 自分の好きな洋服やスニーカーを語る曲は、Run-D.M.C.「My Adidas」をはじめUSでは珍しくなかったが、そのテーマをこれほど直訳的にラップしている曲はそれまでの日本語ラップにはなかったと言って良いだろう。

Young Hastle / V-Neck T (Official Music Video HD) Dir. 上山亮二

 〈ピックするサイジングが命 / そこにはない適当の二文字〉〈こだわるセンチ単位 / ジャストフィット / 超ぴったり〉……もちろんTシャツの話。飲み屋で友達の話を聞いているような気軽さと親近感、さらに深読みすれば、芳しくない日本のヒップホップの状況、ひいては世相の息苦しさなど意に介していない「好きだからやってます」という実直なたくましさを感じたし、何より単純に聴いていて面白かったのである。

 この曲をきっかけに、日焼けをテーマにしつつダブルミーニングできっちりオチをつける「Blackout (feat. JAZEE MINOR)」や、般若とSHINGO☆西成をフューチャリングした筋トレアンセム「Workout (remix) Feat. 般若 & SHINGO☆西成」など、楽曲はもちろんMVの映像も込みで大いに楽しませてもらった。

Young Hastle - Blackout feat. JAZEE MINOR Prod. by Jhett a.k.a. Yakko
Young Hastle - Workout Remix feat. 般若 & Shingo☆西成 Official Video

 2000年代は新しい曲を発見する場所がレコード店や音楽誌の新譜情報から、YouTubeやiTunesなどのデジタルメディアに移り変わっていった変化期でもある。そんな時期に、同時代のUSヒップホップの映像的なノリを消化した独自のセンスで、Young HastleのMVをはじめ、DJ TY-KOH feat. SIMON, Y’s「Tequila, Gin Or Henny」などのMVを手掛けていたのが、EillyHustlehard Filmsのディレクターでもありビートメーカーとしても活躍していた318こと高橋良氏。のちのKOHHのプロデューサーでもある。彼の作る映像作品は、プロモーションという意味でも来たるべきYouTube時代のヒップホップ/音楽の見せ方にいち早く先鞭をつけていたと思う。

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