the band apart 木暮栄一「HIPHOP Memories to Go」第15回 ユーモアに惹かれたYoung Hastle&『Scent of August』全曲解説も
やべー、またバンドの話を全然してねー。
我々the band apartはと言えば、音楽産業全体のデジタル環境下におけるビジネスモデルの様変わりを予測・対応すべく日々メンバー間でのオンラインミーティングを繰り返し……なんてことは一切なく、誘われるがままに様々な場所で演奏をしつつ、基本的には東京都杉並区方南町の地下スタジオ喫煙所にて紫煙を燻らせる日々だった。
4thアルバム『Adze of penguin』のレコーディングからデモ制作にDTMを使い始めたことは前回書いたが、その機能を知っていくうちに、楽曲のミキシングに興味を持つようになったのもこの辺りの話である。
バンドを始めてから毎日のように楽器を触るようになって約10年。「すいません、メトロノームに合わせながらドラム叩けないのでクリックなしで大丈夫です」……そんな1stシングル録音時よりは、多少の余裕を持ってレコーディングに臨めるようになってきていた。しかし、その余裕と同時に別の、「アルバム制作は遅れるもの」という意味不明な“余裕”が生まれたのもこの頃であり、それは今でも悪化しながら自分たちの首を締め続けている。
3rdアルバム『alfred and cavity』までは、それぞれが曲の原型・構成を作った段階で、細かなアレンジや音色は各パートの担当メンバーにお任せ、という形がもっとも多いパターンだった。『Adze of penguin』ではそこに少し変化が生まれて、例えば「Cosmic Shoes」や「Falling」のギターソロで川崎(亘一/Gt)が奏でる特殊なギターの音色は、フレージングを含め作曲者である荒井(岳史/Vo/Gt)と原がそれぞれ指定したものを弾いている。
3rdアルバムまでは「当初のイメージとは随分変わったけど、まあ、これはこれでいいか」というメンバー間でのイメージのズレ、ハプニング性をあえて楽しむようなアレンジ形態だったものが、『Adze~』以降はより作曲者の曲想に寄り添ったものに変化していく。
具体的に言えば、細かいアレンジまで各作曲者が自分で行う割合が増えていった。さらに「この曲のドラムはどんなサウンドが良いかな?」「ギターは左右にはっきり分けちゃって良いかな?」と楽器の音色や定位の部分まで作曲者の意図を汲み取りながら進めていったのが5thアルバム『Scent of August』。今聴き直すと、それまでのアルバムに比べてミキシングにわかりやすい統一感がある。
「the band apartの特徴は何ですか?」という漠然とした質問を受けることが時々あるが、音楽性について自ら答えるのはなかなか難しい。メンバーそれぞれに関しても、趣味や性格はだいぶ異なる。共通している部分を無理やり探すとしたら、一つ言えるのは、物事に対する寛容性の高さかもしれない。
僕たちのように曲を作るメンバーが複数人いるようなバンドでは、得てして音楽的に衝突しがちだったりするが、the band apartにはそれがほとんどない。例えば、原の好きなカシオペアや、荒井のバックグラウンドにあるサザンオールスターズ、80年代の洋画主題歌などは、僕はほとんど通って来なかった。しかし、友人が好きな音楽だから聴いてみよう、と様々な作品に手を伸ばすうちに名曲を発見したりしていく。
楽曲制作においても、僕の出すアイデアに対して他の3人が最初から全肯定、なんてことはないし、その逆もまた然りである。しかし形にしていく過程で、そのアイデアの持っている面白さ、曲想の魅力に気づいていく。
第一印象やイメージが良くなくても一方的に否定はせず、まずは試してみる。最初から拒絶してしまっては生まれ得ない種類の価値や感動というものがあって、そのことを僕たちは経験として体で覚えてきた。
バンドを始める前から友人であったという関係性がまずあって、そこから様々な経験を10代のうちから共有してきた4人だからこその寛容性、と言えるかもしれない。
1990~2000年代の音楽シーンでは、商業的成功を収めているバンド、音楽に対してのアンチズム的な雰囲気が濃かったこともあり、特定の音楽ジャンルに対して、聴くこともせず否定的な態度を示す友人もいた。しかし、僕たちからすれば「売れていようがいまいが良いものは良い」のであって「アンダーグラウンド」や「リアル」といったその時々のキーワードで、手に取る音楽の差別化を図る必要がなかっただけのことだ。
物事は全て自分で経験してみないとわからない。結果的に雑色になっていった音楽的嗜好は、そのまま僕たちが作ってきたものに表れているように思う。
しかし、全ての音楽が並列的に聴ける今となっては、なんだか懐かしく思える話でもある。聴いている音楽やファッションに自分の属性を仮託し、そのトライブの一員となったつもりでアイデンティティを担保する若者が数多くいた時代、「NY以外のヒップホップはヒップホップじゃねえ」と言ってマルボロ・メンソールをふかしていたB-BOYの同級生は、元気にやっているだろうか。