小説『モンパルナス1934~キャンティ前史~』エピソード11 東京-山中湖 村井邦彦・吉田俊宏 作
東京-山中湖 #3
いよいよ東京が危なくなった1944年晩秋、智恵子は2人の幼い子どもを連れて山中湖畔に疎開した。長男象郎(しょうろう)はもうすぐ4歳、前の年に生まれた光郎はよちよち歩きを始めたばかりだった。三浦環と仲小路も相前後して山中湖畔にやってきた。
「象(しょう)ちゃん、ほら、富士山が雲の間からお顔を見せてくれたわよ」
「うん、さすが日本一だね。てっぺんが白くて、仲小路のおじちゃんみたいだ。ははっ」
「こらっ、失礼なこと言うんじゃないの。先生、申し訳ございません。象ちゃんったら、もう」
智恵子が象郎の頭をぺしゃりとたたいた。
「い、痛いなあ。おじちゃんも富士山と同じ。日本一じゃないか」
「ほお、それは光栄ですねえ。象ちゃんはとても頭がいい。お利口さんだ」
仲小路が象郎の頭を撫でているところに、紫郎がやってきた。彼は東京に残って仲小路一派の連絡係を務めていたが、この日は智恵子に頼まれた乳母車を運んできたのだった。
「環先生も一緒じゃなかったの?」
紫郎が光郎を乳母車に乗せながら、智恵子に訊いた。
「あっちよ。もうすぐ始まるわ」
「始まる?」
50メートルほど先にある釣り舟用の桟橋を女性がゆっくりと歩いている。桟橋の突端で止まり、澄んだソプラノで歌い始めた。
「天照らす 御光りの 清らけく 明きらけく」
日本が世界に誇るプリマドンナの美声が周囲の山々にこだましている。
「清らなる 乙女の願い 永遠(とわ)に 清かれ 乙女の願い 永遠に清かれ」
まるで湖面に舞い降りた天女が朗詠しているように見える。仲小路が作詞、作曲した「永遠なる女性(おみな)」だ。
「そこの釣り宿が私たちのたまり場でね、みんなで『龍土軒』って呼んでいるの。グランドピアノを入れたのよ。ねえ、仲小路先生」
智恵子が水色のペンキで塗られた木造の建物を指した。龍土軒は仲小路一派が愛用した東京最古のフランス料理店で、赤坂桧町のスメラクラブから歩いてすぐの場所にあった。
「ええ、東京の龍土軒にあやかりましてね。三浦環さん、智恵子さんと3人でいろんな音楽を作曲しています。夢を見ているような日々ですよ」
仲小路が象郎を抱きあげながら、にこやかに言った。「まるで好々爺(こうこうや)だな。まだ40代のはずだが、先生も老いたか」と紫郎は思ったが、分厚い眼鏡の下の生気に満ちた目を見て、すぐに考えを改めた。やはり仲小路彰はただ者ではない。この人は微塵もあきらめてはいないのだ。
「先生、申し訳ありませんが、至急上京していただけませんか」
半年後の1945年5月上旬、紫郎は山中湖にいる仲小路を呼び出した。小島から頼まれたのだ。逮捕の一件以来、小島と仲小路の関係は少々ぎくしゃくしていたが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
4月に成立した鈴木貫太郎内閣の左近司政三国務相が、義弟の小島に「最も信頼できる哲学者で、歴史の目を持つ人物である、と君が高く評価していた仲小路彰さんは今どうされている」と尋ねてきた。「山中湖に疎開しています」と答えると「是非とも会わせてくれ」と頼まれたという。左近司は川添紫郎、智恵子夫妻の仲人でもある。小島が紫郎を連絡係に選んだのは自然な成り行きだった。
仲小路と紫郎は築地の料亭、錦水に向かった。2カ月前の東京大空襲で都心は大きな被害を受けたが、このあたりは戦災を免れ、ひっそりとしていた。
「あそこにアメリカ系の聖路加病院がありますね。それで築地近辺は爆撃対象からはずされたのだと思います。米軍は東京を占領したらあの病院を接収するつもりなのでしょう」
仲小路が言った。「占領」「接収」という言葉に紫郎はドキッとしたが、現実味の伴わない夢の話のように聞こえた。
約束の時間の正午ちょうどに到着すると、奥の座敷で左近司と小島が待っていた。隣の部屋に左近司の秘書が控えていたが、一般客は一人も入れていないようだった。
「先生、わざわざ遠方からお越しいただき恐縮でございます」
小島が仲小路を紹介すると、左近司は深々と頭を下げた。
「いえいえ、大臣、恐れ入ります。早速ですが、お急ぎのご用件とは…」
仲小路は分厚い座布団の上に正座し、左近司の目をじっと見た。仲小路の横に座った紫郎の手は、さっきから緊張で震えている。これから始まる会談がこの国の命運を左右するかもしれない。そんな予感があったからだ。
「まあ、早い話が終戦工作ですよ」
左近司の隣に座った小島が歌うように言った。国務大臣は義弟の口調の軽さをたしなめるように一つ咳をして「まあ、そういうことです」と言った。
「4月の末にヒトラーが自ら命を絶ち、ドイツは無条件降伏しましたね。米英は最後の敵となった日本にも無条件降伏を要求するでしょう」
仲小路はそう言ってお茶をすすった。
「はい」
左近司がうなずいた。
「問題はソ連の動向です。対日包囲網をどうするか、恐らくこれから米英と最後の詰めに入るでしょう。いや、もうすでに彼らの間で秘密会合が開かれ、話はついているのかもしれませんが…。もしそうでないとすれば、日本が先手を打つチャンスかもしれません」
仲小路は必要なことだけを選んで冷静に話した。
「つまり日ソで秘密協定を結ぶと?」
小島が身を乗り出した。
「いや、もうその余地はないでしょう」
左近司はそう断じて、
「陸海軍の意見が一致するならばの話ですが、アジア太平洋からの全面撤収を覚悟して、講和への道を開くべきときだと考えております」
と続けた。
「つまり無条件降伏ですか」
思わず、紫郎が口をはさんだ。
「無条件っていうけどさ、条件らしい条件は一つも付けられないってことなのかね?」
小島がまた軽い調子で言った。仲小路はグラスに注がれたビールの泡をじっと見つめたまま10秒、20秒と沈黙した後、急に顔を上げた。よほど眼光が鋭かったのだろう。左近司も小島も一瞬たじろいだ。
「国体の護持。それだけが絶対条件となります」
白髪の歴史哲学者は表情を変えず、きっぱりと言った。
「国体の護持、つまり天皇陛下の地位と権威、それに天皇制そのものを守るということですね。全くの無条件ではなく、それだけは条件として出すべきである、と?」
紫郎が訊いた。
「東京大空襲の激しさは、遠く山中湖からも分かりました。東の空が赤く燃えていましたからね。アメリカ軍による無差別爆撃はまさに残虐非道で、明らかに国際法違反です。即刻、この戦争を終わらせなければなりません。宣戦の詔勅によって始められた戦争は、終戦の詔勅によって終結させる必要があります。内閣はそのための準備を急ぐべきです。陸海軍の反対に遭うかもしれませんが、最終的には陛下のご聖断を仰ぐことです。それが軍を説得するカギになるでしょう」
仲小路はそこまで話すと、腕時計を見た。これ以上、申し上げることはないという意味だった。
「先生、お説をうかがわせていただき、大変ありがたく思っております。本日は遠方までお運びいただき誠にありがとうございました」
黙って聞き入っていた左近司が再び深々と頭を下げ、会談はお開きになった。
「大変ですよ、これは米英による最初で最後の終戦条件の提示です」
1945年7月末、山中湖の通称「龍土軒」で仲小路が言った。米英中の三国がドイツ郊外のポツダムで共同宣言を出したニュースは山中湖にも伝わっていたが、仲小路一派の中岡弥高陸軍中将と深尾重光が東京から持参した同盟通信海外ニュースによって、仲小路は初めてポツダム宣言の全文を熟読したのである。
「先生、どういたしましょうか?」
中岡と深尾を出迎えた紫郎が言った。
「一刻も早く宣言を受諾すべきです。今すぐ関係各所に伝えてください。ソ連が参戦する前に。急いでください」
仲小路はいつになく厳しい口調で言った。
「は、はい。中岡さん、重光さん、すぐに発ちましょう。細かい話を電話で伝えるのは難しいし、それに今は電話がつながるまで30分、いや1時間はかかってしまいます。ここから東京に出るのも木炭バスと列車を乗り継いで1日がかりですけどね。さあ、急いで」
「ポツダム宣言、受諾すべし」という仲小路の手書き原稿は、中岡、深尾、紫郎によって広尾の仲小路邸に持ち込まれ、すぐに和文タイプで清書、印刷された。主だった相手には中岡と深尾が直接届け、紫郎がお供をすることになった。
中岡が木戸幸一内相に面会できたのは8月6日午前。すでに広島に新型爆弾が落とされていた時間だったが、まだ2人は知らなかった。2日後の8月8日には、ようやく高松宮殿下にお目通りがかなった。中岡と深尾が宮邸に入り、紫郎は外で待っていた。
「時すでに遅しだな」
宮邸を出てきた深尾がぼやいた。
「やるだけのことはやった。後は祈るだけだ」
中岡が深尾の肩をたたき、紫郎に「待たせたね」と声をかけた。
「殿下は何と仰せられましたか」
紫郎が訊いた。
「我々がいろいろと申し上げるまでもなかったよ」
中岡がため息をついた。
「当然、すべてをお見通しでいらっしゃる。しかし…、ということですね。でも、希望はありますよ。左近司さんがいる」
紫郎が明るく言った。
「左近司政三国務大臣か。あの人は鈴木総理の信任が厚いからな。小島さんの義理のお兄さんに当たるんだよな」
「ええ、僕の仲人でもあります。今年5月に左近司さんと仲小路先生が終戦工作について話し合われました」
「ほお、先生は大臣に何とおっしゃった?」
「国体の護持を唯一の条件として、無条件降伏を受け入れるべきである。軍が反対した場合、ご聖断を仰ぐこと。それで軍を抑えられる、と」
中岡と深尾は大きくうなずいて「さすがは先生だ」と感心した。
8月10日、山中湖に戻った紫郎に小島から電話があった。
「ああ、紫郎君。やっとつながったな。かれこれ1時間近く待たされたよ。いつ切れるか分からないから要点だけ言うよ。左近司の義兄(にい)さんから聞かされたんだけどね、昨夜から今日の未明まで御前会議があったんだ。義兄さんが米内海軍大臣にご聖断を仰ぐしかないと耳打ちし、米内さんが鈴木首相にそれを告げると、首相は『よし』とうなずいたそうだ。結果、陛下のご聖断でポツダム宣言の受諾が決まったらしい。あの築地の会談が…」
そこで通話は途切れたが、紫郎はすべてを悟った。彼は小躍りしながら釣り宿「龍土軒」に急ぎ、仲小路に報告した。
8月15日正午、紫郎たちは「龍土軒」の1階にあるラジオで玉音放送を聴いた。
放送が終わるやいなや、付近の住民がぞろぞろと集まってきた。
「先生、今の放送は何だったんです? あれが天皇陛下のお声ですかい? 何のことやら、よく分からねえなって…。なあ、みんな」
「ああ、ちっとも分からねえ。戦争が終わりましたってことなのか、まだまだドンパチやれってことなのか。どうなんですか、先生」
「皆さん、戦争は終わりました。終わったんですよ」
「や、やっぱりそうか」
「先生、日本は負けたってことですか」
素朴な質問に、紫郎はハッとした。もうすぐ2歳になる次男の光郎が「おしっこ」と泣き出した。
「象ちゃん、光ちゃんを頼むよ」
「うん、分かった。ねえ、日本は負けちゃったの?」
4歳半の象郎も子供なりに心配なのだ。紫郎は仲小路を見た。彼だけでなく、全員が白髪の歴史哲学者の答えを待っていた。
「日本は欧米の世界侵略に対するアジアの防衛と自存自衛のためにやむなく戦ったのです。この戦争の目的は、アジアの復興と防衛、植民地の解放にありました。勝った、負けたにかかわらず、その目的はすでに達成されているのです。ですから、我が国の行動は成功したと言っていいでしょう」
仲小路は周囲を見渡した。次々と集まってきた住民の全員が次の言葉を待っていた。
「我が国には原子爆弾が2度も投下され、広島と長崎は地獄さながらの修羅場と化しました。欧州戦線も悲劇的な結末を迎えています。人類と国家をこれ以上荒廃させるのは、そもそも大東亜戦争の目的に添いません。すでに沖縄の人々を悲惨な目に遭わせてしまいました。何としても本土の戦場化は避けなければなりません。さもなければ、我が民族は壊滅させられ…」
「先生、つまり日本は負けたっつうことですな」
仲小路より年配の住民が声を上げた。
「新しい日本を建設するために、ここはあえて負けを甘受するということですよ」
紫郎がたまらず口をはさんだ。仲小路が横でうなずいたので、彼はほっとした。
2階から智恵子のピアノが聞こえてきた。紫郎の好きなブラームスの間奏曲だ。ブラームスは19世紀のドイツ人だが、この曲を聴くとなぜかパリのモンパルナスを思い出す。智恵子も同じことを言っていた。カフェで出会った人たちはどうしているだろう。
「川添さん、神戸から電話です」
釣り宿の主人が言った。伊庭家の次女シモンからだった。ずっと涙声で、なかなか要領を得なかったが、長男マルセルがフィリピンで戦死したと分かった瞬間、紫郎は衝撃で何も言えなくなった。ちょうど通話もそこで途切れてしまった。
目の前の山中湖が地中海に見える。ぎらぎらと照りつける太陽。地中海のセミとはまるで違う声だが、アブラゼミとミンミンゼミが競うように鳴き、時折、ヒグラシが悲しい声を響かせている。
紫郎はポール・ヴァレリーのマグロの話を思い出した。マグロの血で赤く染まった地中海。ああ、人懐こく、優しかったマルセル。カンヌの海で一緒に泳いだマルセル。君は日本兵として戦い、フィリピンの海で散ってしまったのか。
マルセルは死に、自分は富士山のふもとでのうのうと生きている。仲小路の言葉にあった「大東亜戦争の目的」「アジアの解放」といった言葉が、なんだか白々しく感じられた。先生の言いたいことは、頭では分かる。しかし、実際に多くの命が失われた。仲小路邸に挨拶にきた柔道家も色白の優男も南方の海で尊い命を散らしてしまったではないか。
目の前の山中湖はきらきらと輝き、セミたちは誰に遠慮することもなく奔放に鳴き続けている。
「自由だ」
紫郎は湖に向かって言った。弟を連れて戻ってきた象郎がきょとんとした顔で父を見上げた。
「大切なのは自由だ。僕たちはこの自由を守らなければならない。なあ、象ちゃん。君たちが大きくなるころには、きっと何でも自由にやれる世の中になっているぞ。そういう日本と世界をつくるのが、パパたちの役目なんだ」
紫郎は智恵子のピアノを聴きながら、象郎と光郎の頭を撫で続けた。(つづく)