みんなが聴いた平成ヒット曲 第2回:hide with Spread Beaver「ever free」

 音楽が主にテレビが持つメディアパワーと密接に結びつき、お茶の間を経由して世間の“共通言語”となった時代、平成。CD登場のタイミングと相まって、音楽シーンは史上最高とも言える活況を迎えた。当時生み出された楽曲たちは、今なお多くの人々の心や記憶に刻まれ、特別な思いを持つ人も少なくない。また、時代を経てSNSや動画という新たなメディアパワーと結びつき現在進行形のヒット曲として甦る機会も増えている。

 そこで、リアルサウンドではライター田辺ユウキ氏による連載『みんなが聴いた平成ヒット曲』をスタート。平成元年(1989年)〜30年(2018年)のヒットチャートに登場した楽曲の中からランダムに1曲をピックアップし、楽曲ヒットの背景を当時の出来事もまじえながら論じていく。

 第2回となる今回は1998年(平成10年)6月のヒットチャートからセレクト(※1)。1位hide with Spread Beaver「ever free」、2位Coming Century「夏のかけら」、3位hide with Spread Beaver「ピンク スパイダー」、4位モーニング娘。「サマーナイトタウン」、5位BLACK BISCUITS「タイミング」というラインナップの中から2作がランクインしたhide with Spread Beaverに注目する。ロックアイコンとしても多くのリスナーに支持され、数々の伝説を残したhideの最後の作品となってしまった「ever free」について解説する。(編集部)

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hide with Spread Beaver「ever free」

 1998年5月13日。当時、南大阪の大学に通い始めたばかりの筆者は、自転車でCDショップを探しまわっていた。田んぼが多く、梅雨時はじんわりとした暑さが広がるその田舎町。引っ越して来たばかりで土地勘がなく、スマホで情報検索もできなかった時代。筆者は、歩道ですれ違った学生に「このあたりにCDショップはありませんか」と尋ねた。

 お目当てのCDは、hide with Spread Beaverのシングル『ピンク スパイダー』だった。5月2日にこの世を去ったhideの急逝直後にリリースされた同作。筆者が住んでいた田舎町の隣駅にCDショップが2店舗だけあったのだが、発売当日はすでに予約がいっぱいでどちらの店頭にも並ばなかった。そのうちの1店舗は演歌中心の店だったが、それまでhideやX JAPANとは無縁だったと思われる年配の店主も「あ、hideのCDね」とその存在を知っていた。そんな人のもとにも届くほどhideの死は衝撃をもって報道された。そして「ピンク スパイダー」の歌詞に絡めながら、謎の死についてさまざまな考察が飛び交った。

hide with Spread Beaver - ピンク スパイダー

 リリース日から1週間後、ようやく『ピンク スパイダー』を手に入れることができた。ひと通り聴いたあと、3曲目の存在に気づいた。5分27秒の無音ののちにまだ聴いたことがない曲が流れて来たのだ。この隠しトラックこそが、5月27日に発売となる「ever free」のサビだった。無音の時間とCDの発売日の数字が同じなのは、いかにもhideが好きそうな“遊び”である。

 なによりこの隠しトラックという仕掛けは以前からhideが好んでいたもので、デビューシングル『EYES LOVE YOU』にも3曲目から91曲目まで無音、92曲目に「EYES LOVE YOU(JUNK VERSION)」が収録されていた。これはアメリカのバンド、Nine Inch NailsのCDから着想を得ており、「(Nine Inch NailsのCDに)自分がビックリしたから、ファンの子にもこのビックリを分けてあげなくちゃ」(※2)というhideの演出だった。

 隠しトラックで予告された「ever free」は、自由について歌った楽曲だった。誰だって現実の厳しさを前に、今いる場所から動き出せないものである。その方が安全だからだ。この曲のなかでも〈何処へ行きたいのだろう?〉と自問自答している。それでもラストで、このようなメッセージが投げかけられる。

〈デタラメと呼ばれた君の自由の 翼はまだ閉じたままで眠ってる ever feeこの夜を突き抜けて 目覚めれば飛べるのか Freeに? ever free 何処にfree? ever free〉

 行き先は分からなくても、自由にいろんなところへ向かえば良いじゃないか。そう受け取れた。そしてこの「free」は、hideをあらわす上で重要なワードでもあった。彼自身、音楽性やファッションなどさまざまな面においてなにかに縛られることなく活動していた。1994年『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)に出演した際、檻を使用した過激なビジュアル演出が物議を醸した。一方で、その檻は「とらわれること」について表現しているようにも映った。

hide with Spread Beaver - ever free

私たちと「セカイ」の距離が縮まった1998年

 亡くなる前年の1997年、所属していたX JAPANが解散。もともといくつかのソロプロジェクトを進行させていたhideは、ワールドワイドに活躍する気配が漂っていた。

 折しも1998年6月は、日本が世界へ挑戦したタイミングだった。サッカーの日本代表が、フランスでおこなわれたワールドカップのピッチに初めて立ったのだ。アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカと対戦するグループHに入った日本。アルゼンチンは強豪国だが、ほか2国は日本と同じくワールドカップ初出場。そういった背景もあってか、「予選リーグは突破できる」「1勝1敗1分で決勝にいけるのでは」という声が意外と多かったことを記憶している。ただ、当然ながら現実は甘くなかった。結果は3戦全敗。それでも3戦目のジャマイカ戦で中山雅史が日本初のワールドカップでのゴールを決めたとき、遠かった世界がグッと近づいた気がした。それはサッカーという競技だけではなく、すべての面において「外に飛び出していけば、誰だってそこで戦える可能性がある」ということを、筆者を含む当時の若者に教えてくれるものだった。

 また同年7月にはマイクロソフトからコンピュータ用OS・Windows 98の日本版がリリース。Windows 95が販売されて「インターネット元年」と呼ばれたのが、1995年。ネットを通じてさまざまな場所の情報を手にいれることができるようになった。それから3年が経ち、「パソコン」「インターネット」が一部だけの熱狂ではなくなりはじめた頃、Windows 98は発売された。同OSはより多くの人たちの生活に浸透し、きわめてポピュラーなものになっていった。筆者もWindows 98で本格的にネットなどに触れたのだが、大げさでもなんでもなく「どんなことできる」と興奮した。

 私たちと「セカイ」の距離が縮まったことを実感させられた時期だった。もしhideが生きていたら、そんな時代をとことんまで“遊び”尽くしていたのではないだろうか。

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