みんなが聴いた平成ヒット曲 第2回:hide with Spread Beaver「ever free」

zilch結成、マリリン・マンソンとの交流……世界は目の前だった

 hideは1995年にzilchという多国籍バンドを結成しており、死後の7月に1stアルバム『3・2・1』がリリースされた。hideは、メンバーのレイ・マクヴェイ(Sex Pistolsのサポートなど)に「日本のなかにある洋楽と邦楽の壁をぶち壊したい」と話していたそうだ。明らかに世界を意識したバンドで、楽曲群はインダストリアル、パンク、テクノなど多彩。メンバーも固定させるのではなく、多方面からミュージシャンを呼び寄せて音楽を作っていこうというもの。まさになにものにも縛られない「free」な音楽を目指していたのだ。

 さらにアメリカの三大野外ロックフェス『ロラパルーザ』への出演を夢に見ていて、そんな同フェスへの憧れから、hideのレーベル・LEMONed主催のイベント『hide Indian Summer Special』(1996年/千葉マリンスタジアム)をひらいた。音楽ライブだけではなく、スケーターやBMXのショー、屋台、そのほかいろんな催しものを用意。さまざまな文化が入りまじったイベントだった。ちなみにまだ、日本にロックフェス文化が馴染む前である。

 ほかにもマリリン・マンソンとの交流など、hideは各所へ活発に飛び出して行っていた。それだけに、彼の多種多様かつ自由自在なクリエイションがあの時点で途絶えてしまったのは残念でならない。サッカーの日本代表、Windows98のように、hideもまた私たちと「セカイ」の距離を近づけてくれたかもしれないからだ。

 生前に出演した番組『BREAK OUT』(テレビ朝日系/1998年)のなかで、彼は自身のインディーズ時代についてこのように振り返っていた。

「マニュアルのないなかで、いろいろ探しながらやっていくのが楽しかった。前にある道をなぞってもワンアンドオンリーにはなれない」

 この言葉通り、hideは壁があれば打ち壊し、そして既存の枠組みにとらわれずに音楽を作っていた。最後まで「free」が似合うミュージシャンだった。

※1:オリコン週間シングルランキング1998年6月8日付
※2:書籍『Never ending dream-hide story-』(2018年/KADOKAWA)

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