ヒトリエ、進化したソングライティングの手応え 明確になりつつある3人それぞれの役割
wowakaの死去という大きな悲しみを乗り越えて、3人での再出発を鮮やかに刻んでみせた前作『REAMP』から1年。ツアーやシングルの制作を通して、ヒトリエは「この3人」のロックバンドとしての形を見つけることができたのかもしれない。「ステレオジュブナイル」「風、花」というポップソング、「ゲノゲノゲ」や「Flight Simulator」のようなエッジの立ったロックチューン、そしてアルバムのフィナーレを飾る壮大な「Quit.」……3人のソングライター兼プレイヤーがそれぞれの個性を発揮した楽曲を生み出し、それをシノダ(Vo/Gt)がまとめ上げる。
そうしてでき上がった現体制2作目のアルバム『PHARMACY』は、そんなバンドの変化に加えてシノダの個人的な心の変化、さらにはコロナ禍をくぐり抜けて次のフェーズへと進みつつある時代の空気も織り込んで、とても力強いメッセージを伝えるものとなった。今作の制作はどのように進み、3人はその中で何を感じたのか。シノダ、イガラシ(Ba)、ゆーまお(Dr)にじっくり語ってもらった。(小川智宏)
この3人だからこそ成り立つ「バンドっぽさ」
――前作とはまた色合いの違うアルバムになりましたが、作り上げての手応えはどうですか?
シノダ:疲れましたね(笑)。疲れたんですけど、何かいいものができた手応えはやっぱりすごくあります。今回のレコーディングはとにかく、なるべくストレスのないように作ろうっていうのを大事にしていたんです。それもあって伸び伸びできたかなと。
――なぜストレスをなくそうと思ったんですか?
シノダ:なんかずっとよくないじゃないですか、世の中が。それが改善されるんだかされないんだかっていうのがウネウネとしている中で、自分の気持ちというか精神状態にこれ以上圧をかけたくないなっていうブレーキがどこかにあったんですよね。一番やっていて楽しいことって、やっぱり制作だったりライブだったり、音楽に触れてるときなんですよ。なので、せっかくだから楽しく作りたいよね、という感じです。
――具体的にはどうやってそういう環境を作っていったんですか?
シノダ:まあ、とりあえず、能率を上げるというか(笑)。スタジオから早く帰れるようにするとか、締め切りは守るとか、そういったことで物事がうまくいく流れを作れたらいいなと。だから曲のアレンジとかはレコーディング前に明確にしておいて、トントンとやれる状態にしておくとか。そんな感じでしたけど、お二方、そういう記憶あります?
イガラシ:はい、スムーズでした。そこをそんなに重視してると思ってなかったですけど、振り返ると本当にスムーズに録ってましたね。
ゆーまお:このアルバム用に何か新しい曲を考えようっていうのも当然あって、そこが一番遅れたんです。制作のど初めですね。みんなでわーっと作って、「この曲にしましょう」って決まってからはめちゃくちゃスムーズでした。
――アルバム全体でのイメージみたいなものは最初からあったんですか?
シノダ:「風、花」「3分29秒」「ステレオジュブナイル」が入るというのは確定していたので、そこに今ある曲のストック……3人で作ってきた曲のストックが結構あるので、そういうカードの山があって、そこからどういうデッキを組んだらいいアルバムになるかなっていう考え方でしたね。「ちょっと速い曲が多すぎるな」とか「もっと聴かせる曲があった方がいいよな」とか「もうちょいマニアックな要素もほしいよね」とか。最終的にはスッと聴けるアルバムになったと思うんですよ。でもスッと聴ける一方、内容の薄さみたいなものは感じさせないようにしようと。ただ、あまり心配はしなかったですね。やっぱりこの2人の演奏の密度がとにかく高いので、音楽的には絶対にそこは担保されている。あとは俺が頑張るだけだな、みたいな。
――アルバムを聴いて、まさにソングライティングの部分においてすごく進化しているなと感じたんですよね。
シノダ:『REAMP』を作って3人でツアーを回って、1回、3人でやれることが見えてきたんですよね。その今見えてる部分のレンジをキャッチして曲にしていったという感じかもしれないです。「風、花」ができたことがやっぱりデカかった。
――その「風、花」は本当にポップスというところにグッと踏み込んでる曲だと思いますし、他の曲ではまた違うところに踏み込んでいて。三者三様それぞれに、作る曲において遠慮がなくなっている感じはしますね。
イガラシ:うん、そうですね。
――イガラシさんが書いた「Quit.」もすごく壮大な、アルバムの中ではある種、異質な曲だと思うんです。でも最後にそれがあることによってアルバムとして形になる、重要な曲だと思います。
イガラシ:自分の作った曲が今回1曲しか収録されていないので、そのぶん長い曲にしようと思っていました。尺を使おうと思って……いや、冗談ですけど(笑)。
――前作の「イメージ」もそうでしたけど、できてくる曲がベーシストっぽくないですよね。
イガラシ:そうかもしれないですね。ベースで考えていないんで。
――ゆーまおさんの曲もドラムで考えてないですよね。
ゆーまお:メロディで考えてますね。曲作りの際はドラムのことはとりあえず置いておきます、いつも。
――シノダさんはギターで考えてる感じもちょっとありますけど。
シノダ:でも、基本的にはメロで考えてますね。ギターに合わせて作るっていうよりは、頭の中に生まれたメロディをどう落とし込んでいくか。
――「ゲノゲノゲ」「Flight Simulator」「3分29秒」など、今回のアルバムでいわゆるロック的な部分はシノダさんの曲が担っていると思うんですが、そのあたりは意識しながらやってたんですか?
シノダ:そうですね。「Flight Simulator」とか、ロックっぽい曲って作るのが難しいんですよ。最近だと「ギターソロが飛ばされる」みたいな話も話題に上がったりしてますけど、そういう昨今の音楽の聴かれ方の中で、ギターのかっこよさをどうやったら提示できるかなっていう枠ですよね、「ゲノゲノゲ」とか「Flight Simulator」は。あと、こういう激しい曲がないとアルバムにならないというのはやっぱりある。「ゲノゲノゲ」は、頭の中にこのメロが出てきたときに、最初マジでどうしようかなと思いましたけどね。「この曲、大丈夫? ふざけすぎてない?」っていう。でも形にしてみたら意外と身内受けがよかったんで。
――一方で「strawberry」みたいな曲もありますけど、この曲でもいいギターソロを弾いてますよね。
シノダ:もう、オクターブファズ1本のソロ。
――そこにギターソロが入ってくることによって、「ギターを信じているんだな」っていうのがすごく伝わってくるし、シノダさんの曲がそこを担っている感じがするんですよね。
シノダ:やっぱり2人がプレーヤーとして素晴らしいので、そこにあぐらをかいてちゃダメだなと思いますよね。そこに並ぶぐらいのいいものを提示しないと。
――そこがまさに今回のアルバムのポイントだと思うんです。ちゃんと三角形になっているというか。曲のテイストという意味でも、演奏という部分でも、それぞれの場所でそれぞれの役割を果たして、美しい三角形を作り上げている。それは『REAMP』とはまた違うバランスだなと思うんですよね。
シノダ:やっぱり、作っていて「3人のバンドっぽくなってきたな」っていう感じはありますね。
――ゆーまおさんはそのあたり、どう思います?
ゆーまお:難しいなあ。というのも、自分の曲が先行してできていて、その時点では今の思いにまだたどり着いてない状態だったので。でも「電影回帰」とかは、俺の元ネタからめちゃくちゃ変わったんですよ。これからそういうものばかりになるということではないんですけど、今までだったら自分が元々作ったものを崩さずに2人が着色してくれるような感じだったのが、半分に割って自分の曲を半分くっつけるみたいなことができた感じもあって。
――「バンドっぽい」というのはそういうことなのかもしれないですね。
ゆーまお:ライブに関しても、そもそも止まったバンドを3人でもう一度イチから組み立て直して、「しんどい」とか「また最初からやるのか」って思いながらも走り始めて、今のところこの『PHARMACY』ができるまで走れているので。まだ先もある状態ですけど、何か見えてきたなっていう感じじゃないですかね。だからそこに対する好奇心と義務感が今はちゃんとある。そういう進歩がありますよね。
――エンジンに火をつけて走り始めて、だんだん回転数が安定してきた、みたいな。
ゆーまお:ああ、そうそう。エンジンあったまってきたなっていうのが、このアルバムができて感じる部分ですね。風景がちょっと具体化されてきた。
――ちなみに「電影回帰」は最初はどういう感じだったんですか?
ゆーまお:「ステレオジュブナイル」と「風、花」の2曲がアルバムに入ることがもう決定していたので、俺はアッパーなものを作る役目を果たしたと思っていたんですよ。なのでゆったりした曲を作ろうと思って。
シノダ:だから「電影回帰」は、Aメロみたいな部分がずっと続く曲だったんですけど、そこに俺の好みのフューチャーベース的な要素をぶっ込んだら、こうなった(笑)。
――なるほど。一般的には「Flight Simulator」みたいな曲のほうが「バンドやってるね」っていう感じだと思うんですけど、実は「電影回帰」の方が「このバンド」を表しているんだろうなとも思うんですよね。だってこの3人じゃなかったら、こうはならないわけじゃないですか。
シノダ:なるほど。それはそうだ。
ゆーまお:本当にベースもすごく弾いてもらったし、ドラムもすごく叩いたし、すごく編曲したんで。