ケンドリック・ラマーが新作で描いた物語とは? 混沌の世界で生まれた重要作を聴き解く
取り払うことについて
彼にとって成功することになんの意味があるのだろうか。「United In Grief」によると多くのものを手に入れたらしいが、ロレックスの時計は一度しかつけておらず、買ったインフィニティプールでは泳いだこともないらしい。高級品を所有していても、そこにはただそのこと自体の無意味さが漂っているように見える。
本作のジャケットに再び目を移してみる。「United In Grief」で想像されるリッチな光景とはかけ離れた部屋がそこにはある。物はほとんどなく、壁紙は剥がれかけ、ラマーの被っている王冠は輝かしいものではない。そこには成功という二文字から連想されるものがほとんど取り払われている。その中で唯一残っているもの。それは愛する家族の姿である。
ラマーは成功よりも愛を求める。その姿は4曲目「Die Hard」や9曲目「Purple Hearts」などのメロディアスな楽曲に顕著だろう。さらに2曲目「N95」では〈take off〉と連呼しながら、身に纏っているものを脱ぎ捨てろと迫ってくる。そう、彼は自分を取り繕っているもの、抑圧しているものを取り払い、自らのリアルな姿を晒そうとしているのだ。アルバムのジャケットに唯一具体的なものとして残る家族、つまりは愛こそが、現在の彼にとってのリアリティなのではないだろうか。
選ぶことについて
彼は様々な選択をしてきた。呪いよりもセラピーを選んだ。成功よりも愛を選んだ。そんな彼は、最終曲「Mirror」で〈I choose me〉と何度も繰り返す。
自分を選ぶ。様々なレッテルが貼られるラマーにとってこの言葉の意味は重い。
〈Sorry I didn’t save the world, my friend. I was too busy buildin’ mine again.(友よ、世界を救えなくて悪かったな。俺は自分を立て直すのに忙しかったんだ)〉”
14曲目「Savior」では、自分は誰かの救世主ではないと言う(フューチャーやJ. コール、レブロン・ジェームズも)。ロールモデル、オピニオンリーダー、キング……。ラマーはそういった先頭に立つ役割から降りようとしているらしい。地に足をつける彼は、崇高な存在になるのではなく、半径数メートルの人々に目を向け、一人の、決して完璧ではない複雑な、つまりリアルな人間であることを選んだのだ。
相変わらず内に向かうラマーに一貫性を感じないわけにはいかないが、自由意志を獲得し、長く纏わりつく重圧やカルマから解放される終幕の姿は、彼の音楽を、物語を聴いてきた我々にとって少し新鮮に映るだろう。
アルバムは音の“断絶”で幕を閉じる。その断絶が解放的な意味と余韻を残すのは、言うまでもない。