ケンドリック・ラマーが新作で描いた物語とは? 混沌の世界で生まれた重要作を聴き解く
ケンドリック・ラマーのニューアルバム『Mr. Morale & The Big Steppers』が複雑な作品であることは明らかだが、果たして彼が複雑でなかったことが今まであっただろうか。
コンプトンの詩人ラマーは常に複雑な作品を作りながら、物事の“複雑さ”について歌っていたとも言える。それは、社会とコミュニティが人々のアイデンティティと感情に影響を与えることの複雑さ。大きく言えば人間が生きることの複雑さである。
一方で彼の表現は常に内省に向かう。それは多くのラップミュージックが、いくつかの作品を皮切りに、内省表現を高めようとしていたゼロ年代の終わり。2010年にミックステープ『Overly Dedicated』をリリースしたラマーも例外ではなかった。『To Pimp A Butterfly』では、Black Lives Matterr運動の渦中で、コミュニティの一人ひとりが内側に向き合うことの重要性を説いた。彼は、外的な要因に敏感になりながら、内面についての表現を、つまりは人間の心についての表現をやめなかった。そんな彼の特性はリアリストで、複雑なドラマチストでもあるところだろう。
5月13日にリリースされた5年ぶりのアルバム『Mr. Morale & The Big Steppers』が2枚組であること、つまり二面性を持った形式であることは象徴的である。人間の、物事の多面性を描く彼の作品は、過去作同様多くのコンテクストとモチーフを湛え、アルバムは一面だけでは収まらない。
本作の歌詞の展開から、様々な物語が読めるだろう。例えば、ジャケットを見てみると、彼とパートナーのホイットニー・アルフォード、そして2人の子供という、家族の姿がそこにはある。このビジュアルに寄り添って、本作をホームドラマとして読み解こうか。もしくはラマーのトランスジェンダーの親戚について歌った「Auntie Diaries」を聴いて、2018年のライブで歌詞内のNワードを歌った白人のファンをステージで止めたラマーの記憶と絡めて、彼の言葉への意識について考察もできるだろう。
一方で、こうも読み取れるのではないだろうか。混沌の世界で一人の男が自由意志を掴み、呪いから解放される物語とも。
巡ることについて
その男、つまりラマーは“正しくなさ”を抱えた男として登場する。2曲目「N95」で、「キャンセルカルチャーってなんのことだ?」とも言っているが、作品内で度々行われる彼の女性への振る舞いは、今にもソーシャルメディアでキャンセルされそうなものである(彼はそこでBワードを連発する)。
そういう点で、そんな彼と、テイラー・ペイジが演じるパートナーの女性との口論を収めた8曲目「We Cry Together」は興味深い曲である。ここでは、パートナーの女性が、この世界が男社会であることはあなたのような人間のせいであると、現実世界の有害な男たち(ドナルド・トランプ、ハーヴェイ・ワインスタイン)の名前を出して、彼に叫んでいる(ちなみにこのFワードだらけの激しい口喧嘩は、恐らくラマーが度々オマージュを捧げる映画『ポエティック・ジャスティス/愛するということ』の再演でもある)。
一方で、彼は自らの有害性に向き合う姿を度々見せている。5曲目「Father Time ft. Sampha」は自身の父親への愛憎が浮かび上がる曲である。ラマーは自らが抱える有害な男性性がどのように上の世代から植え付けられたのかを回想する。「男は感情を出すな」「繊細さは何にもならない」。これらの言葉は、全ての息子たちを抑圧し、“本物の男”でいることを取り繕わせる。
父親、と来れば当然母親の記憶ともなるが(改めてこれは家族のレコードでもある)、そこで語られるトラウマは、母親自身の、あまりにも重い記憶である。メランコリックなムードを醸す17曲目「Mother I Sober ft. Beth Gibbons of Portishead」では、母親が過去に家庭内で受けた性的暴行の経験を告白し、黒人家庭を、世代を超えて苦しめる呪いについて踏み込む。同時に彼は、欲望に負けパートナーを裏切ったことを告白し、自らの行動を母親のトラウマの問題と並べて思考しながら、自身の加害性に向き合う。
ラマーはこれまでも負のサイクルから逃れられないでいた。『good kid, m.A.A.d city』はアルバム全体がラストで再び最初の場面に戻るような、円環の構造を持っていたし、『DAMN.』でもいくつかの逃れられないカルマについて綴っていた。今作の3曲目「Worldwide Steppers」では、人の問題を指摘しては排斥し、その人間もまた次の排斥する獲物を探す現代社会の負のサイクルを、死んでは蘇るゾンビに喩えて綴っている。
人に傷つけられたものが、誰かを傷つける。過去の問題が現在に引き継がれる。巡り巡ってくるもの、その悪循環から逃れられないというテーマは、いかにもラマー的であるが、今回の彼はそこからなんとか脱出を試みる。
彼は1曲目「United In Grief」でセラピストを雇ったと言っていた。度々言及されるセラピーの存在はこの作品において重要である。ラマーを取り巻く家族と彼自身の記憶、そして多くの告白に溢れたこの作品自体がセラピー的でもあるのだ。ラマーは逃れられない呪いに屈することではなく、自らの内面と記憶に真摯に向き合い、断ち切ることを選んだ。