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URU×TAKUYA、海外アーティストとのクリエイティブ アジア圏のマーケットの可能性と実情を語る
アメリカの野外音楽フェスティバル『Coachella Valley Music and Arts Festival』での“88rising’s HEAD IN THE CLOUDS FOREVER”のステージに象徴されるように、世界中から大きな注目を集めているアジアの音楽シーン。呉建豪(Van Ness Wu)や張惠妹(A-Mei)の楽曲などを手がけたURU、AARONのアルバム『Vacation』をプロデュースしたTAKUYAは、変化し続けるアジアのポップミュージックに精通しているクリエイターだ。
アーティストとしてスタートし、現在は作家/プロデューサーとして活躍する両者に、海外アーティストとのつながり、アジア圏のマーケットの可能性、これからクリエイターを目指す人たちへのアドバイスなどについて語ってもらった。(森朋之)
海外のライティングキャンプの実情と魅力
ーーURUさん、TAKUYAさんはアジアのアーティストへの楽曲提供、プロデュースを精力的に行っています。海外のアーティストとつながったきっかけは何だったんですか?
URU:1997年まで遡るんですが、Circleという韓国、日本、中国の混合アイドルの曲を作ることになり、初めて韓国に行ったのが最初ですね。当時は15日間しか滞在できなかったから、日本と韓国を行き来しながら約2カ月で制作したんですが、そのときに現地のミュージシャンと知り合って。当時、彼らは日本で仕事をしたがっていたんです。その後、韓国の会社と契約して、1999年から3年間、毎月のように曲を作りにソウルに行ってました。K-POPが日本に入ってくるだいぶ前の話ですね。
TAKUYA:僕は台湾の大スターのAARONの曲をプロデュースしたのがきっかけですね。もともとは僕の師匠にあたる佐久間正英さん(BOØWY、JUDY AND MARY、GLAYなどを手がけたプロデューサー。2014年没)が担当していたんですが、佐久間さんの体調が悪くなり、僕が引き継ぐことになって、『MOISTURIZING』(2015年)という日本盤のシングルを作りました。ちょうどその時期に、北京で行われたライティングキャンプに参加したんですよ。日本からは僕とURUさんが行って。
URU:アジアだけじゃなくて、アメリカ、ヨーロッパなど世界中の作家が集まっていましたね。
TAKUYA:機材はひどかったけどね(笑)。基本的に若い人が多かったんですけど、機材を使いこなしている人が少なかった。
URU:キャリアがあってもコライトに馴れてない人が多かったから、教えながら進めていたんですよね。けっこう大変でした(笑)。でも、ぜんぜん成果がなかったわけではないんですよ。TAKUYAさんはホァ・チェンユーに楽曲提供しましたからね。鳥の巣(北京国家体育場/中国最大級のスタジアム)でライブができるソロアーティストは3人くらいだと思いますが、ホァ・チェンユーはその一人なんです。
TAKUYA:「The Mask」という曲ですね。マリリン・マンソンみたいなテイストの曲なんですけど、そういう曲を作る人があまりいなかったんです。ロックもハードロックやヘビィメタルのような感じがメインで、僕のような(オルタナ的な)ギターを弾ける人は重宝されるんだと思います。
ーーTAKUYAさんはMUST(台湾の音楽著作権管理団体)主催のライティングキャンプにも参加してますね。
TAKUYA:僕が知ってる限り、最大人数のキャンプですね。100人くらいを25チームに分けて、それぞれ楽曲を制作するという。機材も充実していて、至れり尽くせりだったんですけど、やっぱり僕がいちばんキャリアがあって。
URU:台湾の若いクリエイターに経験を積ませる目的もあるんでしょうね。海外のクリエイターと一緒に制作することで、スキルを上げるというか。
TAKUYA:台湾は政府が音楽家にかなり援助していて、ライティングキャンプで知りあった人から「補助金が下りそうだから、TAKUYAにギターを弾いてほしい」と連絡が来たこともあるんですよ。羨ましいですよね。日本はそういうことに力を入れてくれないから。
URU:JETROのクールジャパン事業もそうですけど、ライブやイベントには協力してくれるけど、コンテンツ作りはなかなか認められないんですよね。結局、コンテンツの権利はどうするのか? という話になってしまうので。
TAKUYA:うん。海外のライティングキャンプは、自分たちにも意味があって。なかには才能のある若い人もいるから、そういう人たちとつながれるのはいいところだと思います。
URU:現地の有力なプロデューサーと知り合えることもあって。直でやり取りすることで、楽曲が採用される確率も上がるんですよ。
TAKUYA:そうだよね。知らない間に映画の音楽として使われてて、後からお金が振り込まれたこともあったけど(笑)。
ーーネットワークが広がる、と。
TAKUYA:そうですね。去年プロデュースしたAARONのアルバム(『Vacation』)も、いろんなところでつながった台湾や中国の作家とチームで制作しました。台湾の劉偉徳(ビクター・ラウ)というシンガーソングライターをAARONに紹介したのも、このプロジェクトが上手くいった要因だと思います。ビクターはプロデューサーでもあり、ボイトレもやれる人なんですけど、AARONの歌のレコーディングをビクターに任せたら、すごくいい感じにディレクションしてくれて。
ーーなるほど。『Vacation』は現在のグローバルポップの潮流を感じさせる作品です。URUさんは現在進行形のR&B、ヒップホップとリンクした楽曲を制作することが多いですが、アジア圏の音楽シーンも変化しているんでしょうか? 往年のチャイニーズバラードというか、切なくてスケールの大きいバラードはもう求められてないというか……。
TAKUYA:AARONもオーソドックスなバラードを歌ってますけど、そういう曲を作るのが上手い人は向こうにいくらでもいるし、僕たちがやることではないのかなと。ただ、バラードは今も聴かれてると思いますよ。
URU:たまに「徳永英明さんのような曲を作ってほしい」と言われることもありますね。
TAKUYA:徳永英明さん、玉置浩二さんはずっと人気だよね。中国のシンガーはめちゃくちゃ上手いから、歌い上げるバラードが似合うんですよ。
URU:そうだね。ちょっと上手なぐらいでは、デビューできないから。
TAKUYA:とにかく人口が多いから勝ち上がって来る人は全員すごいんです。歌のポテンシャルは、日本の歌手よりもはるかに上ですね。
ーー若いリスナーはどうでしょう? ヒップホップ、R&B、ダンスミュージックを求めてるんでしょうか?
TAKUYA:そこがすごく難しいところだと思っていて。僕らがイメージする台湾や中国って、おそらく台北とか北京、上海じゃないですか。でも、人数としてはそれ以外の地方の人のほうが多いんですよ。都会に住んでいる若い人たちはモダンな音楽を知ってるかもしれないけど、地方の人たちはチャイニーズバラードのほうが好きだったりするから。
URU:音楽情報の格差はかなりありますね。ストリーミングによってだいぶ変わってきてるとは思うけど、特に中国はYouTubeもFacebookも見られなくて、独自のプラットフォームがメインですから。若いアーティストと仕事をするときはヒップホップやR&Bを求められることが多いけど、事務所サイドから「そこまでやらなくていい」みたいなことを言われることもあって。
TAKUYA:その葛藤はかなりあると思いますね。中国のアーティストのアルバムって、ジャンルがめちゃくちゃなんですよ。
URU:バラードもあれば、EDMもある。1枚のアルバムのなかにいろんなテイストの曲が入ってるんです。