Mr.Children、30年間の変遷を歌詞から紐解く 時代ごとに浮かび上がる、桜井和寿の等身大な姿とは
1992年のメジャーデビューから今年で30周年を迎えるMr.Children。元号が平成から令和になっても、変わらず多くのリスナーに聴き継がれ、歌い継がれている彼らの楽曲は、人々の人生の様々な瞬間に寄り添ってきた。〈いつの日もこの胸に流れてるメロディー〉として、あるときには背中を押し、あるときはなぐさめ、あるときは元気をくれた名曲の数々を一つひとつ挙げ始めるときりがない。ひとくちに30年といっても、Mr.Childrenのデビューと同時に生まれた赤ちゃんがもう30代になったと思うと、彼らが歩んできた道の長さを身に沁みて感じる。
時の淘汰や流行の移り変わりに左右されず、Mr.Childrenがこれほどまでに長くたくさんのリスナーに愛され続けてきた理由はどこにあるのだろうか。キャッチーなメロディやライブでの素晴らしいパフォーマンスも大きな魅力のひとつだろう。しかしながら、Mr.Childrenの楽曲を特別な存在にしている最大の要素は、桜井和寿による歌詞にあるのではないだろうか。桜井によって紡ぎ出される言葉は、メジャーデビューから30周年を迎える今日まで常に変化し続け、Mr.Childrenの歴史と呼応しながら、様々な感情やメッセージを投げかけてきた。時代や環境によって作詞のテーマを変容させてきた桜井の裏表のない人間臭さこそ、彼の詩世界の深みであり、共感できるリアリティであり、いつの時代もリスナーの心を掴む所以なのかもしれない。今回は、そんな桜井和寿による作詞の変遷をMr.Childrenの30年の歴史を辿りながら紐解いていきたい。
デビュー以降、憂いのある言葉が深みを増していく90年代
1992年にアルバム『EVERYTHING』でメジャーデビューしたMr.Childrenは、バンドブームの残り香が漂う音楽シーンに爽やかなポップバンドとして登場した。同年の1stシングル『君がいた夏』や2ndシングル『抱きしめたい』から見て取れるように、その詩世界は主に青春と恋がテーマ。この青春ラブソング路線は、4thシングル『CROSS ROAD』(1993年)が初のオリコン週間シングルランキングトップ10にランクインし、最終的にミリオンセラーとなるなど、徐々にMr.Childrenのパブリックイメージになっていく。そんななか、このあとのキャリアで大きく花開く精神的で内省的な詩世界の萌芽が2ndアルバム『Kind of Love』(1992年)に収録されている「All by myself」から垣間見えてくる。例えば〈飛び出したいよ 違う世界に/だから今こそ Be calm, Be cool/明日になれば そのからくりも 僕の瞳でとらえる/はじけそうな 夜明けの前の時 今ここへ〉というラインを見ると、甘酸っぱいラブソングとは距離を置いた陰鬱さや憂いの要素が読み取れるだろう。プロデューサーである小林武史と共同作詞した楽曲ではあるものの、この時点でデビュー当初のミスチルらしさから一歩飛び出す助走が始まっていたことに気づかされる。
『CROSS ROAD』で一躍人気アーティストの仲間入りをした彼らが、次のシングルに選んだのは『innocent world』である。1994年度のオリコン年間シングルチャート1位を獲得し、表題曲「innocent world」は日本レコード大賞を受賞するなど、名実ともにMr.Childrenが広く評価されるきっかけとなった記念碑的な楽曲であるだけでなく、桜井の詩世界にとっても大きなターニングポイントとなった。プロデューサー 小林武史からの「桜井の中の道化の部分も含め、桜井じゃなきゃ書けないものを」「桜井和寿が歌うからこそ意味があるような詞でないと駄目なんじゃないのか?」(※1)といったアドバイスのなかで、より個人的な感情をそのまま作詞に落とし込んで完成したのが「innocent world」。〈窓に反射する(うつる) 哀れな自分(おとこ)が/愛(いとお)しくもある この頃では〉〈近頃じゃ夕食の 話題でさえ仕事に 汚染(よご)されていて/様々な角度から 物事を見ていたら 自分を見失ってた〉のように赤裸々な感情を吐露したラインから見えてくるのは、これまでのシングル曲とは一線を画した風刺的でメッセージ性の高い詩世界だ。アルバムの実験的な1曲としてではなく、CMタイアップが決まっているブレイクスルーをかけたシングル曲でこのような作詞アプローチを採用した彼らの判断は、相当の覚悟が必要だったのではないかと想像してしまう。
そして、青春ラブソング路線を極めた「CROSS ROAD」と、内省的詩世界への誘いとなる「innocent world」、どちらも収録した4thアルバム『Atomic Heart』(1994年)がまさに分水嶺となり、以降Mr.Childrenはさらに自己内省の深い海に潜っていくことになる。深く潜ったその先で生まれ落ちたのが、当初2枚組でのリリースも検討された5thアルバム『深海』(1996年)と6thアルバム『BOLERO』(1997年)。特に『深海』は、文学性の高いコンセプチュアルな作品に仕上がっており、いわゆる「ミスチル現象」と呼ばれるようなアイドル的な人気の加熱や、急激な環境の変化によって精神的にも肉体的にも疲弊しきった桜井の陰鬱とした状態が表出されている。「名もなき詩」での〈苛立つような街並みに立ったって/感情さえもリアルに持てなくなりそうだけど/こんな不調和な生活の中で/たまに情緒不安定になるだろう?〉〈あるがままの心で生きられぬ弱さを/誰かのせいにして過ごしている〉のような自らの悩みや葛藤をより深く、切実に省みる作詞から、「So Let's Get Truth」での〈駄目な日本の情勢を/社会派は問う/短命すぎた首相を/嘆くTV BLUES/みんな苦笑してる苦笑してる苦笑したりしてる〉といった痛烈に社会を風刺した作詞まで、その詩世界の領域を押し広げ、さらに重厚なものにさせたのが『深海』だ。そのリリース翌年、『BOLERO』の発表直後に人気絶頂のままMr.Childrenは活動休止期間に入るわけだが、この時期の今にも崩れそうな危うさやヒリヒリするような緊張感を孕んだ桜井の作詞は、彼自身が溜め込んだ極度のフラストレーションと不可分であり、その苦渋に満ちた思いが作品として昇華されたのが『深海』と『BOLERO』である。