ASA-CHANGが語る、20年聴き継がれる「花」に込めた思い 現代の日本語ポップスに対する問いかけも

ASA-CHANGが語る「花」に込めた思い

 2001年にリリースされて以降、驚き、癒し、恐怖ーー様々な感情を聴く者に与え、そして時代を経てもなお人々の話題に上がり続け、絶大な影響力を持ち続けてきたASA-CHANG&巡礼のクラシック「花」。同曲の20周年を記念した『花 -20周年記念集-』がリリースされた。2001年のオリジナルバージョンに加えて、2002年にリリースされたレイ・ハラカミによるリアレンジ版「あたらしい花」、アニメ『惡の華』のために2013年にリメイクされた「花 -a last flower-」、現在の巡礼メンバーで再録された「花(ヒア☆ナウ☆)」、さらに、長谷川白紙によるリミックスや、20周年企画として開催されたリミックスコンテストの入賞作など、様々な時代や視点によって命を与えられてきた色とりどりの「花」が、本作には咲き誇っている。

 「花」に向き合うこと、それはとても根源的な意味において、音楽に向き合うことであり、歌に向き合うことであり、日本語に向き合うことであり、そして、自分自身に向き合うことなのだと思う。今改めて、この日本語ポップスの深淵な謎に迫るべく、ASA-CHANGに話を聞いた。(天野史彬)

日本人は新しい日本語の音楽を作らなければダメだと思う

ーー「花」は2001年にリリースされたASA-CHANG&巡礼の代表曲ですが、この度、同曲の20周年を記念した『花 -20周年記念集-』がリリースされました。原曲から、この20年間に生まれたリアレンジやリミックスなど、全7曲が収録されます。ひとつの曲に対してこうして周年記念作品が作られるというのは、かなり異例ですよね。

ASA-CHANG:今の時代は特にそうですね。ここに収められた7トラックすべてが僕自身の手で作り上げたものではなくて、自分が2001年に発表した「花」という曲に対して、いろんな人が、いろんな時代で介在して、いじってもらったり、楽しんでもらったり、あるいは“楽しむ”とは別の感情もあったと思いますけど、それぞれがそれなりの覚悟でリアレンジやリミックスをしてくださっていて。中には亡くなられている方もいるし、悲喜こもごもですが、一言では言い表せないくらい深い感情がこの作品に対してはありますね。

ーー「花」に向き合う時に生まれる、“楽しむ”以外の感情というのは、どういったものですか?

ASA-CHANG:そもそも、これは巡礼以外でも僕がずっと言い続けていることですけど、漢字二文字で「音楽」と書くと非常にジョイフルなものと思われるかもしれないけど、英語の「Music」という言葉にジョイフルな意味はあまりないですよね。音楽というものは、鎮魂歌であったり、戦争を憂うものであったり……“社会的であれ”という意味ではないんですけど、本来的にはそういうものだったはずで。快楽のためだけに音楽が存在してしまっている今の日本の状況のほうが、歴史的に見れば不思議なことだと思うんです。プリミティブな話をすれば、人を呪うための音楽や、人を殺すための音楽だってあったわけですから。癒されるため、快感のためだけ……そんな、楽しいだけの音楽が優先される状況の方がおかしい。それはポップミュージックでも同じです。でも、日本で音楽の“楽しくない”部分を出すと、ゲテモノに映ってしまう。

ーー「花」という曲は、ある意味、そうした音楽の“楽しくない”部分にも触れている曲でもある。

ASA-CHANG:そのために「花」を作ったわけでもないんですけど、ただ、「人に聴いてもらいたい」とか「伝えたい」と強く思うと、耳から入るとか、目から入るとか、そういう表面的な話ではなくなるんです。本当の感情に触れたいと思うし、“楽しい”だけじゃない精神に訴えかけたいと思うし……そういう部分が「花」にはあると思います。それにやっぱり、僕はパーカショニストというところが音楽の窓口としてあるので、いろんな国の打楽器に触るんです。そうすると、儀式であったり、民族音楽的なものであったり、いろんな音楽の在り方に触れていく。なので、今言ったようなことは自分の中では当たり前にある感覚なんです。

ーーそもそも最初に「花」を作られたとき、そこにはどういった出発点があったのでしょうか?

ASA-CHANG:一番大きくあったのは、インドの古典音楽からの影響だと思います。インドの古典音楽の形態があまりにも、それまで自分がやっていたジャカジャカとコードを鳴らすロック音楽の作法と違っていたんですよ。「これはなんなんだろう?」と思って勉強したんです。そこで、太鼓を叩くのと同時に言葉を発することで、人に伝えたり、オーディエンスに聴かせたり、あるいは後世に伝えたりしていくという音楽の形に出会った。それが大きかったです。それ以前に東京スカパラダイスオーケストラでやっていたスカもジャマイカの民族音楽ですし、複雑すぎて簡単に触れられないリズム形態がインドの音楽にはあるということは遠巻きに知ってはいたんですけど、ただ、当時そういったものの深みにハマろうと思ったのは……おそらく時代もあると思います。当時はトライバルなテクノシーンもあったし、民族テイストのファッションを身に付けた女の子たちもいて、渋谷の駅の周りでたき火をしながらジャンベを叩いているような人たちもいましたからね、2000年代には。レイヴでやればいいようなことを、公園や駅でやって問題になっているような時代でした。

――ただ、「花」がそうした時代の空気感の中で消費されるものではなく、20年という時を経て聴き継がれていく曲になった、その由縁のひとつには、この音楽に“言葉”があったということが大きいと思うんです。

ASA-CHANG:そうですね、意味が出てきますから。そこに対しては、自分でも説明しようがない部分なんですけど。ただ、これは英語だったらできなかったんですよ。英語は、こんなふうには切れないので。日本語という音節の短い言葉だったというのは大きかったと思います。

ASA-CHANG&巡礼 - 花 (Original Music Video)

ーー現在に至るまで、ASA-CHANGの活動には“日本語”を音楽の中でどうやって響かせていくかということのトライアルが常にあるように感じます。

ASA-CHANG:そこは大きくあります。やっぱり、日本語って難しいですよ。はっぴいえんどは、そんなに解決していないんですよね。はっぴいえんどを源流に置いた日本のポップミュージックの文脈は、ちょっと無理があると僕は思っていて。その文脈で日本のポップミュージックを語るのは片手落ちだと思うんです。そういう意味でも、日本人は新しい日本語の音楽を作らなければダメだと思いますね。まだまだ余地はあると思います。日本語ってビートに乗っかるような言葉ではないんだけど、とてもいい言葉でもあるので、すごくもったいないんですよ。日本語で駆動するような音楽のエンジンを作るべきですね。僕が今までそれを上手くやれたとは思わないけど、でも、常に新しいエンジン、新しい方法論を作ろうとはしていると思います。例えば江戸時代以前の日本語の響きを面白がったり、そうでないと、自分の第一言語がポップスに乗りにくい言葉であると思うと嫌ですし。

ーー巡礼が活動を開始した1998年頃というと、例えばHi-STANDARDのような英語で歌われるメロディックパンクのバンドも人気だったわけですよね。

ASA-CHANG:そうですね。でも、やり方は違うけど、ハイスタ大好きですよ。仲間だと思ってる。実は巡礼と(活動していく)スピードは似ているとも思うし、競争できると思う。レギュレーションは違うけど(笑)。

ーーASA-CHANGにとって、音楽の中で言葉が大事なものであり、問うべきものになっているというのは、民族音楽との出会い以外に理由はあると思いますか?

ASA-CHANG:ひとつ言えるのは、自分は言葉でのコミュニケーションが凄く苦手なんですよ。「ASA-CHANG、何言ってんだかわからない」って言われることも多くて。あと、僕は東北人で、それがいきなり原宿のど真ん中で仕事をし始めたんですけど、上京して最初の半年くらいは訛りを隠すためにほとんど喋っていないと思うんです。その怖さって未だにあるんですよね。吃音という訳ではないんだけど、方言という部分で、言葉に対してのコンプレックスがあった。

ーーなるほど。吃音や訛りという要因だけでなくても、日常的に「上手く喋れない」と感じている人はきっと多いと思うんです。

ASA-CHANG:うん、多いと思う。

ーー僕もまさにそうで。僕が2000年代の初め頃、10代で「花」を初めて聴いたとき、すごくしっくりきたし、どこか穏やかな気持ちになれたんです。それは、自分自身の精神や体の歪さに接着してくる感じがあると思って。それは「花」という曲が、自由かつ孤独なフォルムを持っているからなんだろうなと。

ASA-CHANG:音楽って、そもそも形態として何をしてもいいはずなんです。掟なんてないのに、なぜみんな音楽を閉じ込めるのか。あまりにもマニュアルを追って音楽を作りすぎると、仕上がりが同じになっちゃうのは当然ですよね。日本の音楽はひとつのページしかめくれていない感じがする。めくるのは苦しみもあるので、それが嫌な人も多いんでしょうね。

ーーページをめくることの苦しみに耐えられないというのは、あると思います。

ASA-CHANG:ちょっと話は飛びますけど、「花」が『惡の華』のエンディングに起用されて、民放で流れたときに感じたのは、音楽界隈の人よりも、アニメや漫画界隈の人のほうが受け手として開けているんだなっていうことだったんですよ。正直、最初に「アニメのエンディングにしたい」と話をもらったとき、ちょっとイヤだったんです。そのときは押見(修造)先生のことも知らなかったので、「ええ? アニメ?」という感じだったんですけど、強いリクエストをいただいたので実際にやってみたら、ニコ生やニコ動も含めて、「花」をものすごく深く好きになったり、嫌いになったりしてくれる人が多かったし、この曲で遊んでくれる人たちが多かったんです。

ーーいわゆる“音楽ファン”とは違う場所に開かれたときに、実はすごく受け皿があったんですね。

ASA-CHANG:そう。今の話の流れで言うと、去年も月ノ美兎さんに曲提供しました。「巡礼がいい」と言って声をかけてくださって。これまで考えていた“音楽マニア”的な人たちに比べると、極めてニュートラルに音楽に向き合ってくれる人たちが、そっちの方面には多いなと思います。

【ED】惡の華「花 -a last flower-」

ーー『惡の華』原作者の押見さんは、今作のジャケットも描かれていますし、その後もASA-CHANGとは深い付き合いになっていますよね。

ASA-CHANG:そうですね。勝手に押見先生の漫画のセリフから曲を作ったり(2016年の『まほう』表題曲は、押見の漫画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』のセリフが歌詞に使われている)。僕は好きになったら、許可も取らずに勝手にやっちゃうんです。

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