小説『モンパルナス1934~キャンティ前史~』エピソード9 万博と映画祭 1937-1939 村井邦彦・吉田俊宏 作

万博と映画祭 1937-1939 #2

パブロ・ピカソ「ゲルニカ」の切手(スペイン、1981年発行)

 1937年の暮れから38年夏まではあっと言う間に過ぎ去った。37年12月に南京を占領した日本は38年1月、中国に和平交渉の打ち切りを通告。同年4月1日には国家総動員法が公布されている。ヨーロッパでは3月にドイツがオーストリアを併合。ナチスの勢いはとどまるところを知らなかった。
 38年9月、紫郎は智恵子との挙式のため、マルセイユ港から横浜港に向かった。帝国ホテルで式を挙げ、目黒の長者丸に見つけた新居の整理が一段落したら、またパリに戻るつもりだ。一足先に帰国した従兄の小島威彦の後押しもあって国際文化振興会の「海外調査員」を拝命し、フランス映画の輸出と日本映画の輸入の仕事がますます忙しくなっていたからだ。
 紫郎が下船の準備をしていると、ボーイが「警察の方がロビーでお待ちです。数名いらっしゃいますよ」と名刺を差し出した。警視庁特別高等警察の警視という肩書だ。
「おチエ、君は先に下船してくれ。なに、心配することはない。小島さんも帰国した時、特高に尋問されたが、あっさり放免されたと手紙に書いてあった。きっと僕も同じだよ」
 紫郎が港のロビーに出向くと、男が3人も待っていた。まだ残暑が厳しい時期なのに、そろって暗い色の背広を着ている。最も背の高い年かさの男が口を開いた。
「お急ぎのところ申し訳ございません。警視庁の小野寺と申します。川添紫郎さんですね」
 唾液の量が多すぎるのか、舌が長いのか、言葉を発するたびに湿り気のある音を立てる。
「ええ、川添です。特高の偉い方が何か私にご用でしょうか」
「いや、少々お尋ねしたいことがございましてね」
 警視がねちゃりと音を立てて言った。
「何でしょうか」
「フランスの方々と座談会をされましたね」
「ああ、ずいぶん前の話ですね。ルイ・アラゴン、ポール・ニザンといった一流の人たちが出てきてくれました。日本側は毎日新聞パリ支局の城戸又一、文部省の研究所に所属している従兄の小島威彦、パリ万博の日本館を設計した建築家の坂倉準三、フランス文学者の丸山熊雄とか、まあ、そんなメンバーで話し合ったわけです」
「どんな話をされたのですか」
「新聞に載ったはずです。当然、あなたも目を通されているでしょう。あの通りですよ。何か問題になるような発言がありましたか」
 紫郎は警視の目を見て、挑むように言った。やたらと背は高いが、ネズミのような目をしているなと紫郎は思った。後ろに控えていた若そうな男が「この野郎、生意気な」と声を荒らげたが、警視が目で制した。
「出席者とフランス共産党との関係は?」
「さあね。あの座談会はフランスの一流の知識人を招くのが趣旨で、共産主義とは何のかかわりもありませんよ」
「ふふふ。さすが親戚同士というべきか、従兄と全く同じ答え方をされますね。さては小島さんから入れ知恵されましたか」
 警視がまた湿り気のある陰気な音をたてて、粘着質に言った。そうか、威彦さんを尋問したのもこの小野寺という警視か。
「とにかく、あなたは一度間違いを犯してパリに追放された身です。よく考えて行動していただきたいものですね」
「心得ています。もうよろしいですか」
「まだ終わっていません」
 きびすを返した紫郎の背中に、小野寺の鋭い声が突き刺さった。
「あなたは『大いなる幻影』というフランス映画を日本に送りましたね」
 警視の発する言葉の粘度がさらに上がった。これが本題だったか、と紫郎は悟った。わざわざマルセイユまで見送りにきた鮫島一郎が「あれはまずかった。気をつけた方がいい」と忠告してくれたばかりだった。
 「大いなる幻影」は印象派の画家オーギュスト・ルノワールの次男ジャン・ルノワール監督の作品だ。紫郎はルノワール監督と親しくなっていたこともあって、迷わずこの映画を買いつけた。世界大戦のドイツ捕虜収容所が舞台だ。脱走を繰り返すフランス人将校をジャン・ギャバン、収容所長をエリッヒ・フォン・シュトロハイムが演じている。シュトロハイムはオーストリア出身で、サイレント映画時代の伝説的な映画監督だ。
 鮫島が言っていた。
「川添君、ルノワール監督と親しいらしいが、あの監督はナチスの宣伝大臣ゲッベルスが『敵性映画人ナンバーワン』の烙印を押した相手だ。それは知っているだろう?」
 鮫島は自分を撃ったドイツ人の行方をひそかに追っていたから、以前にも増してナチスの動向に敏感だった。ドイツで「大いなる幻影」が上映禁止になったのも、ゲッベルスが「シュトロハイムの演じたドイツ将校は戯画にすぎない。ドイツ軍にあんな将校がいるわけがない」と宣言したからだという。
 紫郎は鮫島の忠告を反すうしながら、小野寺のネズミのような目をにらみ返した。
「良質なフランス映画を日本に紹介するのが私の仕事ですから」
「ふむ。良質な、とおっしゃいましたね。良い映画ならもちろん構いませんよ。『大いなる幻影』の輸入は恐らく許可されません。ドイツ大使館からも強い抗議が来ていますからね。今後、余計な動きをしない方が身のためですよ」
「それは脅しですか」
「ご忠告と申し上げておきます」
 小野寺はにやりと笑い、形だけ頭を下げて去っていった。

フランス映画「大いなる幻影」(ジャン・ルノワール監督、1937年)のポスター。日本では検閲で上演禁止となり、戦後の1949年にようやく公開された

 紫郎と智恵子は小島に連れられて、帝国ホテルの喫茶室で媒酌人の左近司政三夫妻に挨拶した。左近司は元海軍中将。ロンドン海軍軍縮会議で首席随行員を務めて条約締結に貢献したため、条約の内容に不満を持つ反対派主導の人事で予備役に回されていた。現在は国策会社、北樺太石油の社長の座におさまっている。
「義兄さん、ありがとうございます。では、式の際はよろしくお願いいたします」
 左近司は小島の姉の夫、つまり義理の兄にあたる。深々と頭を下げた小島を見て、紫郎と智恵子もあわててお辞儀をした。
「紫郎君、次は仲小路(なかしょうじ)さんに会っておこう。智恵子さんも一緒に来てくれるかな」
 小島が訊いた。
「はい、喜んで」

歴史哲学者の仲小路彰(「キャンティの30年」より)

 3人は数寄屋橋の戦争文化研究所に向かった。アブラゼミとツクツクボウシが覇を競うように鳴いている。ツクツクボウシの方が音楽的でいいと紫郎は思った。パリにはセミはいないし、毎夏通っているカンヌのセミはどうも味気ない声で鳴く。
「仲小路さん、川添紫郎君です。ご存じですよね。あちらが婚約者の智恵子さん」
「久しぶりですね、紫郎さん。港まで見送りにいきました。覚えていらっしゃいますか」
「もちろんです。ご無沙汰いたしております。その節はわざわざありがとうございました」
 奥の壁は床から天井まで書棚になっていて、分厚い本がずらりと並んでいる。半分以上が洋書だ。
「はじめまして、智恵子と申します」
「天才ピアニストの噂は聞いていますよ。さあ、そちらにおかけください」
 仲小路彰の父、仲小路廉は貴族院の出身で、農商務大臣や枢密顧問官などを歴任した名士だ。息子の彰は中学4年の時にキルケゴールをドイツ語で読んだという早熟の異才で、東京帝大哲学科在学中にマホメットの生涯を描いた長編戯曲「砂漠の光」を出して話題になったこともある。1日に3時間しか眠らず、後は執筆と読書に明け暮れ、すでに「図説 世界史話大成」をはじめ多くの著書を出している。
 今は全100巻に及ぶ「世界興廃大戦史」を刊行すべく、小島とともに設立した戦争文化研究所内に、世界創造社という出版社まで立ち上げていた。
 仲小路は1901年生まれというから、まだ37歳のはずだ。小島の2歳上、紫郎とも一回りしか違わないのに、長い髪はほとんど真っ白で、すっかり老成している。
「戦争文化研究所では、何を研究されているのでしょうか」
 紫郎は、仲小路のデスクの上に貼ってある畳1枚分ほどの世界地図を眺めながら訊いた。ドイツとソ連と英国が大きな赤丸で囲まれ、意味ありげな矢印で結ばれている。青く囲ってあるのは中国と米国、そして日本だ。
「文字通りの意味ですよ」
 仲小路は紫郎の問いに即答した。
「戦争文化の研究…ということですか」
 紫郎が戸惑っていると、横から智恵子が「せ、戦争文化って何ですか。あっ、ごめんなさい。初歩的な質問で」と言って、小さく縮こまった。
「いいえ、とても良い質問です。戦争と文化ではなく、あくまでも戦争文化なのです。世間一般には『戦争と平和』と同じように、戦争と文化は反対の概念と考えられていますが、ここで扱っている戦争文化は、そういう意味ではありません」
 さっきまで隠居した老人のような顔をしていた仲小路の目が急にらんらんと輝き、よどみなく言った。
「私が言いたいのは、社会の矛盾や混乱を超克する最も先鋭なる歴史的行動が戦争だということです。民族や信仰の全生命をかけた、革命の最大の歴史的実践とでもいうべきものです。歴史の躍動期をみれば、必ず民族や文化の激突と交流があります。ある断面を見れば悲惨に満ちていますが、他の断面を見れば新たな文化の誕生がある。そういう歴史文化の構造が見えてくる。その構造を戦争文化と呼んでいます。これから相次いで刊行していく『世界興廃大戦史』の主眼もそこにあります」
 仲小路は100巻分の原稿をすでにほぼ書き上げ、後は印刷を待つばかりだという。にわかには信じがたい話だと紫郎は眉に唾をつけていたのだが、この話しぶりを聞いていると、嘘ではあるまいと思えてきた。従兄の小島も秀才中の秀才だが、世の中には秀才を超える天才がいるものだ。
「つまり仲小路さんは、新しい文化が生まれるには、戦争が不可欠とお考えなのですか」
 紫郎が切り込んだ。
「紫郎さん、あなたも船でフランスまで行かれたのですから、アジアやアフリカの寄港地で現地の様子をご覧になったでしょう。今の世界を考えてみてください。何が必要でしょうか。お分かりですね。植民地の解放、各民族の独立です」
 仲小路は自分の後ろに貼ってある世界地図を示しながら言った。
「確かに。それは同感です。そのためには戦争が必要という意味でしょうか」
 紫郎は仲小路の鋭い眼光を正面から受け止め、即座に質問で返した。
「必要とは言いません。しかし、避けられぬ運命にあります」
 仲小路がきっぱりと言った。紫郎は自分の体が震えているのに気づいた。
「いやだ、怖い。あ、あら、ごめんなさい」
 智恵子は自分の口を手で押さえた。張りつめていた緊張が解け、紫郎はプッと吹きだした。智恵子は聡明な女性だから、意識的に間の抜けたことを口走って、婚約者に助け舟を出してくれたのかもしれない。
「智恵子さん、あなたはショパン国際ピアノコンクールで大変な評判を得たとうかがいました」
 仲小路が話題を変えた。
「はい、ありがとうございます」
「私は音楽が大好きでしてね。作詞と作曲も手掛けております」
 仲小路は書きかけの原稿用紙が散乱している机の引き出しから1枚の紙片を取り出して「昨日作ったのがこれです。いかがでしょうか」と智恵子に手渡した。
「あら、すてき。美しい旋律をお書きになりますね。ヨーロッパ調の中に、どこか日本的な要素が入っていて、とても格調が高いと思います」
 智恵子は譜面を素早く目で追い、ピアノを弾くように指を動かしながら言った。
「あなたのような一流のピアニストに褒められるとうれしさも格別ですね。いずれソプラノの三浦環さんに歌っていただくつもりです。あなたが伴奏をつけてくれたらありがたいのですが」
「はい、喜んで。三浦先生の伴奏なんて、とても光栄です」
 この日以来、紫郎と智恵子が仲小路に会うと、話題の大半が音楽になった。

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