アルバム『JIMSAKU BEYOND』インタビュー
JIMSAKUはなぜ活動再開に至ったのか 30周年プロジェクトの結実、アルバムに込めたユニットの今の音楽性
日本のクロスオーバーやフュージョンシーンを語るには絶対外せない重要グループ、JIMSAKUが活動を再開した。JIMSAKUとは、1980年代に日本だけでなくワールドワイドに人気を得たフュージョンバンド、カシオペアに在籍していた櫻井哲夫(Ba)と神保彰(Dr)によって、1990年に結成されたデュオユニットだ。リズムセクションが主役の珍しいプロジェクトだったが、ボーカリストやプレイヤーのゲストを多数巻き込み、主にラテンをキーワードにしたポップなサウンドを展開。しかし、1998年には8年間の活動を終え、惜しまれつつ解散した。
そんな彼らが、昨年復活の狼煙をあげた。結成30周年を銘打ち、YouTubeで新曲を発表して話題になったが、ついに24年ぶりのオリジナルアルバム『JIMSAKU BEYOND』を発表。なぜ彼らが今、音楽シーンに再び現れたのか。そして、今のJIMSAKUサウンドとはどういうものなのか。メンバー二人にじっくりと語ってもらった。(栗本斉)
今再びJIMSAKUをやるならどうすればいいのか
ーー若いファンの方は、そもそもどのようにしてJIMSAKUが始まったのかを知らない方も多いと思います。
櫻井哲夫(以下、櫻井):僕たち二人がカシオペアを脱退したので、何かやろうかってやり始めたのが最初です。 その時に、ラテンをテーマにしようっていうのだけはありました。だから最初はラテンユニットというイメージでした。
ーーそれまでカシオペアで演奏していたフュージョンとは、ひと味違うイメージがありました。
神保彰(以下、神保):実はカシオペアのときから、ラテン的な要素はあったのですが、JIMSAKUを立ち上げるにあたって、本格的にラテンをやろうと考えました。二人ともサルサなどのラテンが好きだったし、もっと突っ込んでやってもいいんじゃないかなっていう気持ちはありましたね。
ーー実際に1stアルバム『JIMSAKU』が出たのは1990年ですよね。そこからはわりとコンスタントに作品をリリースされています。
櫻井:そうですね。ライブアルバムなど含めれば、8年間で11枚リリースしました。カシオペアはもっとハイペースでしたけれど。
神保:JIMSAKUも絶え間なく活動していたという印象はありますね。サポートメンバーもある程度固定していましたから、バンドとしても精力的でした。
ーー最初はラテンがコンセプトでしたが、徐々に変化球も増えてきましたね。
櫻井:とくに角松敏生くんがプロデュースしてくれた『DISPENSATION』(1996年)はそうですよね。新しいものを求めて大幅にコンセプトを変えた大きな一歩でした。派手にボーカルものを作ってみようって。彼のアルバムに呼んでもらった経緯もあったので。
神保:きっかけはCDショップですごくいい感じの音楽がかかっていたのですが、どこかで聴いたことのある声だなと思って、店員さんに「これ誰ですか」って聴いたんです。そうしたら、角松さんがプロデュースした布施明さんのアルバムだったんですよ。次のアルバムでは、誰かプロデューサーを立てようと話していた時だったので、ピンと来たんです。すごいものができるんじゃないかと思って。
ーーでも、1997年に発表したアルバム『MEGA db』が最後のオリジナルアルバムになってしまいます。
櫻井:あれはすごく斬新な作品で、ピアノの塩谷哲くんと、ボーカルのMickyのゲスト参加はありますが、基本的には二人だけで仕上げました。当時の心境はあまり覚えていないのですが、この頃はラテンという当初のコンセプトから離れていて、アグレッシブに人間ドラムンベースに挑戦しようと思って作りました。
ーーそして、1998年に解散されるのですが、その後の20年は空白期間ですよね。
神保:その間のことは話せば長くなりますよ。 お互いにいろんな20年がありますから(笑)。
ーー20年経って、もう一度JIMSAKUをやろうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか。
神保:2019年の3月に僕の還暦ライブがあったんです。自分の音楽人生を振り返るという内容だったので、最初はソロ演奏、次にJIMSAKU、最後にカシオペアという三部構成にしました。その時に、久しぶりに櫻井さんに声をかけて一緒に演奏してみたのですが、すごく感触が良かったんです。
櫻井:お客さんもとても喜んでくれて、お互いもう一度やってもいいかなと思えたんですよね。
ーーそこから昨年の活動再開に至るまでは。
神保:キングレコードのプロデューサーから、「今年はJIMSAKUデビュー30周年ですよ」という話をいたいたんです。ちょうどコロナウイルスが蔓延してきたこともあって、じゃあ二人でなにか面白いことをやろうと。それが「JIMSAKU IN THE HOUSE」という曲です。“おうちでJIMSAKU”という意味ですね(笑)。星野源さんの「うちで踊ろう」みたいに、いろんなミュージシャンにコラボしてもらえるような曲にしたんです。
櫻井:あれは神保くんが15分くらいで作った曲なんですが、JIMSAKUらしい楽曲で、たくさんのミュージシャンの方がコラボしてくれましたね。
ーーまさに、コロナ禍によって再開したという感じですね。
神保:その後にキングレコードの関口台スタジオで、ダイレクトカッティングの生配信というイベントをやりました。二人のデュオの曲を、アナログのラッカー盤にダイレクトにカッティングして、その状況をYouTubeで生配信するというかなり無謀な企画をやったんです(笑)。これらが種まきになっていて、アルバムの核にもなっていったということですね。
櫻井:アルバム自体は、プロデューサーから30周年だという連絡をいただいた時点で構想だけはありました。だから、1年くらいYouTubeの企画などを行いながら、徐々に形になっていったといえます。
ーー実際にアルバムのレコーディングはいつから行われたのですか。
櫻井:去年の12月からデモのやり取りをし始めて、今年の1月にレコーディング。その後、じっくりミックスをしていったので、制作期間は半年くらいですね。
ーー24年ぶりのアルバムだとプレッシャーもあると思うのですが、どういうイメージのアルバムを作ろうと考えたのでしょうか。
櫻井:YouTubeでのコラボ企画やダイレクトカッティングで演奏したデュオ曲があるので、それらを軸にしつつ、あとはお互い曲を持ち寄ろうと。ボーカル曲を入れることだけ決めて、特にコンセプトは決めず、二人で話し合いをすることもなく(笑)、お互いのデモを聴き合って形になっていきました。
神保:お互いにイメージはあったと思うんですけれども、まったく打合せはしませんでしたね(笑)。ただ、『JIMSAKU BEYOND』というアルバムタイトルが象徴しているように、30年前を懐かしむのではなく、今再びJIMSAKUをやるならどうすればいいのか、ということを念頭において作っていきました。
櫻井:僕も神保くんと同じく、“今現在のJIMSAKU”というコンセプトは共通認識としてありました。