秋山黄色、複雑な想いにケリをつけた地元 宇都宮公演 ツアーを経て確かめた観客との信頼
ライブ終盤。曲間を繋ぐのをバンドメンバーに任せ、秋山黄色が話し始めた。「みなさん、楽しんでますか! 非常に本当に、ベリーベリー謝々!」と、興奮したような挨拶に空気が和らぐのも束の間、一気に言葉を溢れさせる。「宇都宮が心の底から嫌いでした」という告白。高架下でウイスキーを飲みながらギターを弾いているだけでよかったのに、それすら許されなかった過去。どこにも属せなかった自分を受け入れてくれたライブハウスのこと。
大事なのは地域どうこうではなく一人ひとりとの関係性だ、と秋山。大嫌いな街の中での生きる場所となったライブハウスで、彼は今、笑い合いながら音楽を鳴らせるバンドメンバーとステージに立ち、秋山黄色という音楽を求めてやってきた観客一人ひとりを前に演奏している。地元に対する鬱屈とした気持ちが込められた「猿上がりシティーポップ」は、「栃木県宇都宮市出身、俺の名前は秋山黄色です!」という力強く宣言から始まった。〈「もう一度どこかで 会えたらいいな」って/何より愛したいんだ/居場所くらいは〉と歌いながら、秋山が自分の立つステージを指す。歌詞に託された願いが現実になった今、この曲が歌われる意味、その必然に震えた。
秋山黄色の初の全国ツアー『一鬼一遊TOUR Lv.2』のツアーファイナル、6月4日、HEAVEN’S ROCK Utsunomiya VJ-2公演。このご時世のため収容人数は抑えられている。こういうツアーの場合、Zeppのような大バコがツアーファイナルに設定されがちだが、そうでなかったのはなぜか。それは宇都宮が秋山の地元であり、HEAVEN’S ROCK Utsunomiya VJ-2が3ピース編成で初めてライブをしたゆかりの場所だからだ。
地元に凱旋と言うと何となくおめでたい感じに聞こえるが、秋山が抱える地元への想いは複雑だ。秋山の書く歌詞には“夢”という単語が頻出する。そしてその“夢”は、“それがなくては自分ではなくなってしまう”というほど当人にとって価値のあるもの(≒アイデンティティ)、かつ他の人からはどうでもいいとされているものとして描かれている。
〈不燃ゴミとかそういうのと一緒の類で/並べられたこの少しの夢〉(「ゴミステーションブルース」)
また、“檻”や“町”(街)という単語を使用しながら表現されているのは、育った場所を窮屈に思う気持ち、好きに生きたいのにそれが叶わない葛藤、息苦しさ。
〈羽をもぎ取られた/育ちの声〉〈檻の中/俺によく似た奴が笑う〉〈何黙ってんの?ここで/何もない町の底〉(「猿上がりシティーポップ」)
〈やりたい事を見つけてしまった/もう止めれないよ 呪いの様だよ/途端に街は姿を変えた/まるで何かから命令されたみたいに〉(「ゴミステーションブルース」)
〈思い出した 思い出した/流れる風景と それが好きなこと/この世界で出会えたこと/生きていいのに息苦しいこと〉(「アイデンティティ」)
しかしそれでも“夢”を手離さない、自分に嘘をつかないという意思が歌われている。
〈他の誰かには意味のない事でも/夢は今でも離せない/光の粒がここにある〉(「夢の礫」)
〈あなたも私もOFFにしたLIE/その先で守れたもの〉(「LIE on」)
切実な言葉の背景にあるのは、冒頭に引用したシーンで語られたような秋山自身の出自だ。あのように語られた感情が、他ならぬ宇都宮の地で湧き上がってくるのは必然で、1曲目「LIE on」の時点でステージから放たれる熱量は凄まじい。井手上誠(Gt)、神崎峻(Ba)、片山タカズミ(Dr)によるバンドサウンドは、一言で言うと革新的保守。洋楽ポップパンクバンドのように骨が太く、「音がでけえ!」と笑いたくなる音像は、今時の邦楽としては逆に珍しく新鮮だ。しかし腹の底から出される歌声にもバンドを従えるくらいの腕っぷしがあり、「歌はもっとでけえ!」ともう一笑いできるほど痛快。そのうえ秋山は歌いながらギターもしっかり弾いていて、少なくとも“ギターもう1人いるし任せておけばいっか”というテンションではない。初っ端からフルスロットルのサウンドは、倍テンになるアウトロでさらに勢いを増す。熱風を浴びたかの感覚に思わず一瞬後ずさりした。