藤井風、映像作品からも伝わるメッセージ 「帰ろう」「青春病」MVを紐解く

 さて、この「帰ろう」を聴いて「あ、これだ。こういう概念が必要だし、こういう考えで僕もいきたい」(※1)と思ったというのが、昨年末に発表された「青春病」で藤井風と初タッグを組んだ映像作家の山田智和である。

藤井 風(Fujii Kaze) - "青春病(Seishun Sick)" Official Video

 一見すると、このMVは倒錯的である。この曲によれば、青春病とは儚いものばかり求める病であり、青春はどどめ色(暗い紫色)であるという。そうした“サヨナラ”すべき青春を、このMVは美化し、カッコ良くてクールなものとして描いている。MV全体がまさに〈青春のきらめき〉で溢れているため、これでは観る者の青春病を悪化させてしまうのではないか。しかし、山田監督はこのMVのコンセプトについてこう語っている。

「今年(2020年)はコロナのせいで、みんながみんな青春できたわけじゃないですよね。そういうときに、みんなを何かひとつ青春の世界に連れていきたいというか、みんなの話の続きになりたいと思ったんです」「このMVは、過去を描いているようで、いまを生きている人に向けて、「それでいいんだぜ」って言いたかったんですよね」(※1)

 つまり、青春を謳歌したくてもできない人たちというのが今も大勢いる。このMVは、そういう人たちへ向けて架空の青春、あったはずの青春、本当なら体験できていたはずの青春を見せてあげようという作品なのだ。仲間たちと楽しそうに踊る様子をノスタルジックに撮った映像も、作れたはずの思い出を写真にして見せるエンドロールも、まるで彼らの叶わなかった思いを成仏させてあげているかのようだ。これから先、青春に固執しなくていいように、青春から解放させてあげるべく、いわば青春を“手放す”手助けをしている。その目的においては曲もMVも完全に合致するのである。

 実際、このMVが描いているのは青春の明るい部分だけではない。寂しさや苦しさも含んだ青春の薄暗い部分を暗に仄めかしている。青春は、皆が思うように確かに魅力的ではあるけれど、それでも永遠に追い求めるほどのものではないんだと。たとえ青春できなくとも「それでいいんだぜ」、なぜならそこに広がっているのは、どんよりとした鈍色の浜辺なのだからと。そう言ってくれているMVであり、歌なのだろう。

 “手放す”生き方を描いた「帰ろう」。青春の病を断ち切らんとする「青春病」。どちらのMVも楽曲の持つメッセージ性が鮮明に視覚化された2作品だと感じる。

<参照>
(※1)https://www.cinra.net/interview/202101-yamadatomokazu_ymmts

■荻原 梓
J-POPメインの音楽系フリーライター。クイックジャパン・リアルサウンド・ライブドアニュース・オトトイ・ケティックなどで記事を執筆。
Twitter(@az_ogi/https://twitter.com/az_ogi)

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