筒美京平とジャニーズ、日本の大衆音楽に革新をもたらした功績 深い関係を築いてきた両者の関係性

 2020年10月7日に亡くなった作曲家・筒美京平。筒美ならではの海外ポップスの要素を加えた洗練されたサウンドと切なさを帯びたメロディは、現在における「J-POP」の基盤を作ったといえるだろう。数多くのアーティストを手掛けてきた筒美だが、とりわけ関係性が深かったのはジャニーズだ。初期ジャニーズグループの代表であるフォーリーブスや、郷ひろみ、近藤真彦、「J-POP」以降でいえばSMAP、TOKIO、タッキー&翼に楽曲提供していた。長きにわたり深い関係を築いてきたジャニーズと筒美京平。リアルサウンドでは、ジャニーズに精通している批評家・矢野利裕氏に、筒美の音楽性の魅力、また筒美がジャニーズに残した功績について話を聞いた。

筒美京平『筒美京平 Hitstory Ultimate Collection 1967~1997 2013Edition』

「筒美京平さんは、歌謡界の黄金期と言える70年代から80年代に数々のヒット曲を作り、当時のジャニーズにも大きく貢献していました。それまでは「洋楽」と「歌謡曲」はまだまだ二分化していたところがありましたが、筒美さんがその二つを上手く融合させ「和製ポップス」を生み出したんです。筒美さんは海外のディスコやソウルミュージックも積極的に取り入れていたのですが、ジャニーズもまたブラックミュージックの要素があり、両者ともに音楽性のあり方が合致していたように思います。ジャニーズ初期の楽曲でいうと、郷ひろみさんの「男の子女の子」はロックとソウルの間のような楽曲で、それはグループサウンズのようでした。音楽評論家の高護さんは「後期オックスのサウンドを引き継いでる」と興味深い指摘をされていましたが、確かに筒美京平さんが手掛けたオックスの「ダンシング・セブンティーン」などはロックとソウルの間のような楽曲で、そのサウンドは、郷ひろみさんの「君は特別」や「恋の弱味」に引き継がれていました。70年代のおけるロックとソウルを融合させた筒美さんの音楽性は、郷ひろみさんの楽曲に現れていたと思います」

 その後、80年代になるとジャニーズからは田原俊彦(1980年6月)や近藤真彦(1980年12月)など続々とデビュー。なかでも翌年デビューした少年隊の楽曲で、筒美は自身の音楽性を爆発させていく。

「近藤さんの楽曲は、「スニーカーぶる〜す」「ブルージーンズメモリー」などロックンロール路線が多かったのですが、その後「ギンギラギンにさりげなく」ではやはりディスコの要素が取り入れられていました。また、田原俊彦さんの楽曲でいえば「ラブ・シュプール」でフィリーソウルっぽいアレンジがされていました。ジャニーズ楽曲におけるソウルの要素の一部は、筒美京平さんが担っていたといえるでしょう。そして、80年代後半には少年隊が誕生し、筒美さんは持ち前の音楽性を発揮させていきます。「仮面舞踏会」、「バラードのように眠れ」、「stripe blue」、「ABC」などディスコティックな名曲を次々と生み出しました。筒美さん楽曲には特有の切なさがありますが、それはソウルやブルースのコード進行を取り入れているからかもしれません。明るいだけの気持ちよさだけでなく、ブルージーな要素も取り入れているところもまた魅力の一つでした」

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる