丘みどりが語る、15年の活動で得た経験とファンへの感謝 「人生に無駄なものは何もない」

丘みどり、15年の経験とファンへの感謝

 8月にデビュー15周年を迎えた歌手の丘みどりが、10月7日に初のベストアルバム『丘みどり 15周年ベストアルバム』をリリース。これまでにリリースしたシングル表題曲のほか、ファン投票によって結成した2曲を収録。15年の集大成と呼べる作品として話題を集めている。「ファンのみなさんといっしょに丘みどりを作ってきた」と話す彼女。15年のターニングポイントになった曲とエピソードを振り返ると共に、コロナ禍で活動を制限された中で彼女はどういう思いで過ごしてきたのか、今の思いを聞いた。(榑林史章)

捨て身で楽しんだことが転機に

ーー『丘みどり 15周年ベストアルバム』の中で、印象に残っている曲はありますか?

丘みどり(以下、丘):デビュー曲「おけさ渡り鳥」と、「何度も何度も~母への想い~」です。「おけさ渡り鳥」は、生まれて初めて自分の曲をいただいたという喜びが大きくて、レコーディングした時のことを今も鮮明に覚えています。バンドのオケ録りに立ち会わせていただいたのですが、みなさんが一斉に演奏を始めた瞬間すごく鳥肌が立ちました。「これが自分の曲になるんだ」と。それまで大先輩方の曲を歌って練習していたので、自分の曲というものを初めていただけた喜び、これからたくさん全国でこの曲を歌えるんだという喜びなど、いろいろな喜びの感情がありましたね。

ーーバンドのオケ録りから歌録りの本番まで、何日か練習する期間があったと思いますけど、その間はどういう気持ちでしたか?

丘:初めての自分の曲ということで、どれが正解なのかがまだわからず手探りで、作曲の四方章人先生に「これで合っていますか?」と何度も確認しながらレッスンをしていただきました。四方先生は「肩の力を抜いて、もっとみどりちゃんらしく自由に歌って良い」と言ってくださったのですが、自分らしさとは何なのか、その時はすごく考えました。その答えは今もまだ探している途中で、きっと歌い続けている限り、ずっと探し続けるものなのだと思います。

ーー「何度も何度も~母への想い~」は、どういう部分で印象に残っているんでしょうか。

丘:この曲は亡き母への思いを歌ったもので。カップリング曲だったのですが、こういう曲がどうしても歌いたいと申し出て作っていただいたので、そのぶん思い入れもすごくあります。それにちょうどデビュー10年で年齢も30歳という区切りの時でもあったので、この曲をリリースしてダメだったらもう諦めようと、心に決めてリリースしたんです。でもこれが転機になりました。これが最後の曲だから、よけいなことは考えずに思い切り楽しもうと思って活動したら、それが多くの方の目に止まることになって。最後だから楽しもうという思い、やっと天国のお母さんに向けてありがとうという気持ちを、歌に乗せて言えることができた喜びは、今も忘れていません。

ーー決意とか覚悟の1曲だったということですか?

丘:ある意味でそうだったと思います。10年間何かを背負っていたわけではないし、プレッシャーも何もなかったはずだったんですけど、やめると決めた瞬間に、何かのしかかっていたものが全部なくなって、すごく楽しい気持ちだけになったんです。それまではステージでのMCがすごく苦手だったんですけど、このステージが最後かもしれないと思ったら、何かちょっと面白いことでも言ってみようかな、もうちょっとしゃべってみようかなという気持ちが生まれて。ちょうどそのころに東京の番組や雑誌の取材のお声がかかるようになったんですけど、それはもう全部捨てると決めて楽しんだことが良かったのかなと思います。

ーーおしゃべりが苦手だったというのは、今の丘さんからは想像ができませんね。

丘:本当に何も話せなくて、1曲歌い終わったら「続いては何とかという曲です、お聴き下さい」と、すぐ次の曲紹介に入ってしまっていたんです。こう言ったらどう思われるかということばかり考えてしまって、上手く言えないなとか、楽しいお話ができないなとか、すごくコンプレックスがあって、「じゃあもうしゃべらんとこう」って。もともと学生時代からとりたてて目立つような子ではなかったし、クラスで手を挙げて発表するのがいちばん苦手で、どちらかと言うとおとなしい子どもでした。だから当時を知る地元の友達は、今の私を見てめちゃめちゃびっくりしています。失うものがない強さみたいな感じでしょうか。格好つけたって別に何もないし、どう思われたって良い。捨て身で楽しんだことが、今の私に繋がっています。

ーーまた、その1曲目の「おけさ渡り鳥」から7曲目の「何度も何度も~母への想い~」は、今作に収録するにあたって歌を新録したそうですね。

丘:はい。15周年のベストを出すにあたって、過去の曲も今の丘みどりの歌声で、あらためて聴いてもらいたいなと思ったので。基本的には原曲を忠実に歌いましたが、多少変わっているところはあります。そこは今の丘みどりが歌うからこそのニュアンスなので、そういう新しい良さも楽しみながら、15年の成長を感じてもらえたらうれしいですね。

ーー上京後、レコード会社を移籍しての1曲目が「霧の川」で、この曲がオリコン演歌・歌謡チャートで初1位を獲得しました。売れたわけですね。

丘:キャンペーンに次ぐキャンペーンの毎日で、売れたというよりも「売った」という感じです(笑)。

ーーこの当時はすごいオンボロのホテルに泊まりながら、全国をキャンペーンで回ったんですよね。

丘:しいたけのニオイのするオンボロホテル、ご存じないですか(笑)。山の中で、どうしてもそこしか泊まれるところがなくて。今となってはこうして話のネタになって笑って話せますけど、その時は本当にきつかったです。でも、ここを通らないとダメなんだと思いました。きっとそれまでの10年で、私に足りなかったものがこれなんじゃないかと。もちろんキャンペーンはいろいろ回っていましたけど、ここまで過密なスケジュールで、毎日お店やいろんなところで歌うという経験はありませんでした。マネージャーさんに「休みはいらないです」と自分から言ったものの、まさか47都道府県をくまなく行ったり来たりするとは思いませんでした。でも「これを乗り越えて紅白に絶対出るんだ」という、強い気持ちが芽生えました。

ーー大阪でも頑張っていたけど、まだ頑張りが足りなかったと。

丘:頑張っていましたけど、死ぬ気でやっていたかと言われたらそこまでではなかったのだと思います。「霧の川」の当時は本当に過酷な毎日でしたけど、その中でもうれしいことや楽しいこともいっぱいありました。キャンペーンで同じお店を3周くらいしたんですけど、1回目は30人くらい集まってくださっていたのが、次は100人になって、3回目にはもっとたくさん集まってくださって。そうやって目に見えて人が増えているのがわかったので、回り続けていることに意味があるんだと実感できましたし、オリコンで1位になった時も、「これくらいやらないと1位は獲れないんだな」って。いろんなことを足で、肌で感じて学んだ期間でした。

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