嵐、米津玄師提供曲「カイト」は応援ソングとしてイビツな構造に? 強い普遍性と“今の嵐”が歌うことで生まれる感動
この曲を“今の嵐”が歌うこと
さて、ここまでを簡単に振り返ると、
① 未来を夢見た幼い頃(Aメロ)
② そんな自分に影響を与えてきたすべて(Bメロ)
③ そして今君へ向けて歌っている(Cメロ/サビ)
ざっとこのように、①から③へと展開していく本曲。丁寧な日本語で紡がれた歌詞や、オーケストラサウンドに加えて、上述したような壮大な世界観が、この曲により強い普遍性を与えている。しかしこの曲は、終盤に登場するDメロで、この曲を“今の嵐が歌うこと”にまで意味を与えるのだ。
(Dメロ)
嵐の中をかき分けていく小さなカイトよ
悲しみを越えてどこまでも行こう
そして帰ろう その糸の繋がった先まで
1999年のデビューからこれまで、日本最大の芸能プロダクションであるジャニーズ事務所のもとで、偉大な先達の背中を追って奮闘してきた嵐。先日放送された『関ジャム 完全燃SHOW ゴールデン2時間SP』にて松本潤が「ジャニー喜多川がいたから僕がいる」と話していたが、名実ともに国民的グループへと成長した彼らが、自身に流れる“血”や“原点”を意識する姿は、この曲に込められた思いにも重なる。
もしこの曲が、一般的な応援歌であれば、あえて彼らが歌う必要もなかっただろう。連綿と受け継がれてきた伝統を守り、未来を担う若手たちを後輩に持つ嵐だからこそ、この曲を歌う価値があるのだ。
そして、このDメロがあることで、やがて彼らに予定されている“悲しみ”もなんとなくその先への淡い期待へと変わるという、我々に未来への希望を抱かせてくれる“応援歌”がこの「カイト」なのだと思う。
■荻原梓
J-POPメインの音楽系フリーライター。クイックジャパン・リアルサウンド・ライブドアニュース・オトトイ・ケティックなどで記事を執筆。
Twitter(@az_ogi)