忌野清志郎の音楽はなぜ今も時代に刺さるのか デビュー50周年を機に、ロックで“メッセージ”を伝え続けた軌跡を辿る
社会に関わること、投票に行くことをまっすぐ歌った
RCサクセションが大ブレイクしたのが、1980年の「雨あがりの夜空に」。翌年には、初の武道館ライブを開催。そこで「こんなに小さなライブハウスは初めてだぜ!」と素敵な名言を口にした。1982年には「い・け・な・いルージュマジック」がチャートで1位を獲得。1980年代の幕開けとともに、清志郎は加速した。
1988年、全曲洋楽カバーアルバム『COVERS』をリリース。反戦、反核、反原発をテーマにした同作は、東芝EMIの親会社である東芝が原発の機器開発メーカーだったことから圧力がかかったとされ、発売中止。「素晴らしすぎて発売できません」という新聞広告が出されるなど騒然となり、清志郎を語る上でも欠かせない出来事になった。
なぜ清志郎は『COVERS』を出そうとしたのか。その要因のひとつに、無力的なムードが漂っていた音楽シーンへの怒りがあったのではないか。清志郎は「日本のロックとか言うんじゃなくて、歌の世界にさ。あまりに内容がないような気がしちゃってさ。(中略)その辺の苛立ちみたいなのはすごくありましたね」(『ROCKIN’ON JAPAN 特別号 忌野清志郎 1951-2009』)と語っている。物足りない楽曲が、若者の間で盛り上がっていることへの歯がゆさ。ここで芽生えた苛立ちが、清志郎のその後の活動のより大きな源流となった。
また、1980年代の若者たちの様相も影響があったのではないか。当時、「しらけ世代」という言葉があった。16歳から30歳くらいの若者を指し、政治をはじめいろんな物事に対して無関心、無気力であるといわれた。しらけた若者たちを、社会に向き合わせるにはどうしたら良いか。『COVERS』然り、清志郎は音楽という形で、声を上げることの重要さを若者たちに投げかけた。彼自身、諸問題について自分で調べて(当然、インターネットもない時代だ)、理解を深めていったという。でも単に「自分なりに分かった」では済ませない。何かしらアクションを起こすことを大切にした。
清志郎は、「別にそんな思想的な背景とかなくてもさ、政治理論を持ってなくても、うたっちゃった奴は勝ちだよね(笑)。うたって世間に出しちゃったんだからさ、勝ちだよこれは。何と言われようと(笑)」(『ROCKIN’ON JAPAN 特別号 忌野清志郎 1951-2009』)と話していた。軽いニュアンスに聞こえるが、このコメントは、彼が音楽をやっていた理由の本質部分に思える。雑誌『宝島』の1988年8月号のインタビューでは、「ロックはメッセージだと思うよ。ロックでメッセージを伝えるのはダサイなんて言ってる奴はロックをわかってないと思うな」と強い言葉を発している。
20世紀末は、まさに清志郎のそういった意思があふれていた。まず、忌野清志郎 Little Screaming Revueで発表した「君が代」(1999年)のパンクバージョンのリリースだ。同曲は、この年の「日の丸と『君が代』を国旗・国歌とする」という法律(通称「国旗・国歌法」)に対するものである。
清志郎は、書籍『忌野清志郎 デビュー40周年記念号』にも収録されている筑紫哲也、坂本龍一との対談で「若い人やサラリーマンがそのことに全然興味ないように見えたんです。『勝手にやってくれ』みたいな。それはいかがなものかな、とちょっと思ったんですね。だったら、ロックで『君が代』をやれば、僕のファンの若い人も10人、20人ぐらいは(笑)、興味を持つかもしれないな、というのがあったんです」と物議を醸した同曲の制作意図を明かしている。
2000年には清志郎は、社会に関わるための第一歩でもある選挙と投票を題材に歌った。ラフィータフィー「目覚まし時計は歌う(選挙ソング)」だ。同曲は〈起きろよベイベー今日はいい天気だ〉といういかにも清志郎らしい呼びかけではじまり、〈君の一票を託してみないか〉とダイレクトかつ清々しく歌い、一方で〈無能な政治家 TVでまた笑う/呆れる位人々は能天気だ〉と毒っ気も交えている。回りくどさはまったくない。若者に「お前ら、この曲を聴きながら投票所へ向かえ」と言っているようである。
「世界を変える」ではなく、「世界を考える」
2005年発表「JUMP」のミュージックビデオは、まさに選挙をテーマにした映像作品となっている。清志郎が、東京・中野6区から出馬した無所属の立候補者になりきり、若者が行き交う竹下通りを練り歩いたり、ちびっこや老人たちに握手をして回ったりしている。
そんな“忌野清志郎候補”が掲げるキャッチフレーズが、「世界を考えるニューウェーブ」。ここで重要なのは、「世界を変える」ではなく、「世界を考える」という点。2019年5月10日の毎日新聞でも、芥川賞作家・町田康が、清志郎について「世界を変革する意図ではなく、どこまでいっても一人の人間として実感したことを歌っただけ」と語っている。
たしかに清志郎は、音楽で問題提起をたくさんしてきた。でも、声高に「変えていこう」ではなく、まず考えること、知ることの大切さを訴えてきたように思える。自分がまさにそうだったように。選挙をパロッたとっつきやすい内容のなかに、世界中の貧困や紛争の映像をはさみこんでいる。どんな状況であっても目を背けてはいけない現実があることを、この作品は教えてくれる。それを踏まえて「世界を考える」としたところに、いかにも清志郎らしさがあるのだ。
これは余談だが劇中、清志郎がギターを手に歌いながら選挙演説をする場面がある。背景には、警察官や機動隊員を輸送する青と白のストライプの大型バス。清志郎のパフォーマンスがあまりに目立っていたためか、閉め切られていたバスのカーテンがフッと開く瞬間が映っている。偶然の名場面である。そういえばラフィータフィーに、「警察に行ったのに」(2000年)という曲がある。桶川女子大生ストーカー事件を題材にしたとされる同曲は、警察に助けてもらいたかったのに取り合ってもらえず、軽くあしらわれる人の姿が描かれている。警察への不信感が露わにされた内容だ。「JUMP」のミュージックビデオで、清志郎のことが気になって見る警察。彼の歌声はどのように車両内に響いていたのだろうか…...。