『藪の中のジンテーゼ』インタビュー
南條愛乃が明かす、理想の自分を引き寄せる日々の研鑽「その時の自分にしか歌えないものを作っていくのが理想」
南條愛乃の和装姿を見たい方がいるかもしれないし(笑)
ーー「藪の中のジンテーゼ」は歌詞も非常に独特なものになっています。南條さんとしてはどんなふうに解釈しましたか?
南條:そこも今回はすごく難しいところだったんですよね。いつもはだいたい自分なりに歌詞の解釈をした上でレコーディングをし、MVやアートワークの世界観を決めていく流れなんですけど、今回に関しては自分の解釈だけでは全然足りなかったというか(笑)。歌詞を書かれた方にしかわからない思いや表現がたくさん詰まった歌詞だと思ったので、作詞をされているイシイジロウさん(原作の世界観監修者)に歌詞の意図をお聞きしたんです。そこで、これは太宰治と芥川龍之介の2人のストーリーで、彼らが描いた小説の一節が含まれていたり、入水自殺することをほのめかすワードが込められていたりっていうことを細かく教えていただいたんですよね。私はそういう日本文学みたいなところにあまり触れてきていないので、イシイさんにお話を伺って良かったなって思いました。その後、自分なりに太宰と芥川の人生をちょっと勉強してみたりもしましたね。
ーータイトルになってる“ジンテーゼ”というワードに関しても説明を受けました? “矛盾の解決”、“統合”といった意味があるようですが。
南條:説明はしていただいたんですけど……難しいですよね(笑)。要は、太宰と芥川の2人の間にはいろいろあるけど、その答えは藪の中のジンテーゼにしかないっていう。言葉でうまく説明できないので伝わりにくいと思うんですけど(笑)。この曲における救いは“藪の中のジンテーゼ”にしかないんだろうなって私は解釈したので、そういう思いで歌っていったんですけどね。太宰と芥川の関係性を自分に置き換えてみると、自分にもやっぱり憧れを抱く対象はいるし、その人に対して近づきたいけど近づけないみたいな思いはあったりしますから。そうやって共感できる部分を意識しながら、この世界観を表現していった感じです。
ーー文豪同士の物語である一方で、この歌詞にはラブソング的なニュアンスもあるように感じたんですよね。そういった聴き方をしても楽しそうだなと。
南條:そうそう。「ラブソング的に聴こえてしまっても問題ないですよ」ってイシイさんにも言っていただきました。なので、聴く方ごとにいろんな受け取り方をしてもらえたらなって思いますね。
ーーこの曲のMVでは、南條さんが和装で登場しています。こちらも見逃せない仕上がりだなと。
南條:曲から連想する脳内イメージでは男性の文豪がメインで動いている映像だったので、女性である自分が登場する必要性を最初はまったく見い出せなかったんですよ。極端な話、男性の俳優さんに出演してもらって、美しい映像を撮っていただければいいかなって。
ーーファンからしたら南條さんの姿は見たいですよね、やっぱり。
南條:なので自分が出ることにしたわけですけど、どう映像の中に女性である自分を存在させるべきなのかっていう部分ではけっこう悩みました。最終的には物語の語り部的な立ち位置で存在するっていう落としどころを見つけたんですけど。
ーーMVのストーリーや映像のアイデアは、南條さんから細かく提示されるんですか?
南條:そうですね。最初に自分の中にあるイメージを監督に伝えて、そこから差し引きしてもらったり、細かい部分をブラッシュアップしてもらったりっていう感じで。今回、私から提示させてもらったのは、人物のビジュアルや、原作を連想させる猫や本などのモチーフ、ジメっとした空気感であったり、水を想起させる演出であったりですかね。それをいい具合にまとめてくださり、イメージ通りの仕上がりにしていただくことができました。
ーー和装を纏うイメージも最初から頭の中にあったんですか?
南條:実は、そこはけっこう紆余曲折があって。最初は太宰の意思や意識を持つ魂的な存在として、白いワンピースの私が書斎のような場所にいるっていう画を思い描いていたんですよね。ただ、アニメの世界観も和の雰囲気だし、そういう世界に寄り添った楽曲を出せることもなかなかない機会なので、せっかくだし和装も捨てがたいなと思っていて。ファンの方々の中には、南條愛乃の和装姿を見たい方がいるかもしれないし(笑)。和装とは言え現代的なアイテムもけっこう盛り込んではいるので、そこで感じる違和感によってストーリーテラーであることがわかってもらえたらいいなと。
ーー仕上がったMVには、白いワンピースの南條さんも登場していますよね。当初のアイデアも結果的に活かすことになったわけですよね。
南條:そうですね。太宰の意識っていう立ち位置は変わらず、水の底から訴えかける人というイメージで登場させることにしました。白いワンピースの南條が登場するシーンでは、水底へおちる水面の光をイメージした照明が使われていて。そこはもちごめ監督のアイデアだったんですけど、すごく素敵な仕上がりで気に入ってますね。
すべての曲の脳内ライブ映像がある
ーー南條さんは楽曲のみならず、MVに対しても強いこだわりを持っていますよね。そこには何か理由があるんですか?
南條:私の場合、何かを作るってなったときにはまず脳内に画のイメージが浮かんでくるんですよ。幼い頃から、好きなアーティストさんの曲を聴いて、頭の中で自分なりのMVを作ったりしてました(笑)。なので、今もその延長っていう感じなんです。で、MVに関しては個人的な好みもあって。私は曲の歌詞や中身にリンクしたものがすごく好きなんです。せつない曲なのに、MVだとみんな騒いでるみたいなものがあったりするじゃないですか。そういうのが子ども心に納得がいかなったんですよね(笑)。
ーーだから南條さんのMVは曲の内容に寄り添ったものになっているわけですね。
南條:そうですね。結局のところ、私が楽曲の中で重きを置くパーセンテージは、ほぼ歌詞が占めているんですよ。自分の中では歌詞の役割がすごく大事。だから歌詞と曲が一緒になってひとつの世界を紡いでいるものが当然好きだし、そうなるとやっぱりそこから派生するアートワークやMVも自然と歌詞に紐づいた世界観になっていきます。まったく切り離された違う世界観は考えられないんですよね。世の中には歌詞に耳がいかない人もいるとは思うんですけど、もしそういう人が私のMVを観てくれたときに、そこで描かれていることが視覚的に理解してもらえたりしたら、それはすごく嬉しいことだなって思いますね。
ーーちなみにカップリング曲やアルバム曲であっても、脳内MVは存在しているものなんですか?
南條:あります! 楽曲ごとに全部脳内MVはありますし、もっと言えばすべての曲の脳内ライブ映像もあるんですよ。ただ、脳内ライブ映像に関しては、そのまま現実で再現しようとすると自分の力量や予算感が全然足りないんですけどね。脳内ではとにかく完璧なので(笑)。だから今は勝手に頭の中で想像して、「めっちゃエモいわ、このライブ」って浸ってるだけの日々です(笑)。
ーーでも、理想が常にイメージできているのであれば、現実でもそこを目がけていけばいいわけですからね。いい指針にはなりそう。
南條:確かにそうですよね。で、いつかそのイメージがすべて再現できるときが来れば、それはもう全南條愛乃が感動ですよね。全南條愛乃が泣きますよ(笑)。