『Asteroid and Butterfly』インタビュー
矢野顕子×上妻宏光インタビュー “やのとあがつま”だからこそできた「民謡」を「ポップス」へ昇華する豊かな表現
やのとあがつま=矢野顕子と上妻宏光。ふたりの出会いは、2013年6月のニューヨークに遡る。アメリカ在住の和太鼓奏者と行った公演で、上妻が三味線の演奏と歌唱で熊本民謡の「田原坂」を披露。その公演後に、ステージを見ていて「上妻さんの“声”に惚れてしまった」という矢野顕子と「矢野さんの『JAPANESE GIRL』を聴いた時の、民謡をモチーフにしながらオリジナリティのあるアプローチをしている、あの衝撃が忘れられない」という上妻が言葉を交わしたのが最初だった。その後、2014年9月に「ジャパン・ソサエティ」主催の矢野顕子のニューヨーク公演に上妻宏光が招かれ、矢野と上妻のふたりによる音楽表現の試みがスタート。それ以降、日本でのコンサートや矢野顕子の2018年のアルバム『ふたりぼっちで行こう』への参加などで交流を深めてきた。その結実として誕生したのが、日本各地の民謡をふたりのフィルターを通してカバーした6曲と2曲の新曲を含む9曲を収録したアルバム『Asteroid and Butterfly』だ。(渡辺祐)
このふたりでレコーディングするなら、ポップスと呼べる新曲を作ろう
ーー出会いから現在まで育んできた「やのとあがつま」ワールドですが、あらためてこのレコーディングに至った経緯を教えてください。
上妻:今まで様々な方とも共演をさせていただきましたが、自分のベーシックである民謡を伝統的なことだけではない、何か新しいことを表現したいと思った時に、それこそが矢野さんとのコラボレーションで、ライブだけではなく、矢野さんと作品づくりをすることで新しい音楽が発信できるはずだと思い、僕から矢野さんにレコーディングをお願いしました。
矢野:最初に一緒にステージに立ったときから、私もいつかは音源化したいと思っていました。じゃあ、どういうアルバムにしたらいいのかと考えた時に、たとえば既存の音楽に民謡をのせましたとか、伝統楽器でポップスを奏でますとか、そういうアプローチにはしたくないじゃない(笑)。このふたりの歌とピアノと三味線で、どんな「音楽」を生み出すことができるのか、そこがポイントでしたね。
ーー今回カバーしている民謡の選曲は、どのように進んだのでしょうか。
上妻:僕は民謡の中でも津軽三味線がベースですし、矢野さんは青森のご出身ですから、まず青森の民謡から選んでいきました。そこからこういう曲をやったら面白いんじゃないかな、という全国の民謡に広げていった提案をさせてもらいました。民謡には独特のリズム、節回しがありますが、『JAPANESE GIRL』(1976年)では矢野さんワールドとして構築している。それを全国の民謡でもやってもらいたかった。海外も視野に入れて、日本のグルーヴやメロディを広く取り上げたかったんです。
矢野:実は、私自身は、民謡はそんなに聴いてきていないんです。生まれ育った青森にいた頃は、ねぶた祭りだけは日常としてありましたし、津軽じょんがら節のフレーズは知っていましたけれど、じゃあ民謡に興味があるかと言われると正直なところそんなになかったんです。なのでデビューアルバムを作る時に、たくさん学習しました。
上妻:でも、レコーディングを前に矢野さんが資料として聴いている音源を見たら、どれもセンスがいいんですよ。たとえば、有名な津軽三味線の高橋竹山と組んでいた歌手の成田雲竹とか、この人は津軽民謡に大きな功績があった人なんですけど、そういう名人を自然と選んで聴いている。才能の周波数っていうんですかね、そこが合ってくる。いやあ、さすがだなと。
矢野:そんなに多くを知らないだけかもしれませんが(笑)。上妻さんは民謡をベースにしながら、その世界に広がりを持たせる活動をされてきているわけですが、私と演るんだったら、上妻さんにとってもいままで演ってきたものとは違うもの、このふたりじゃなきゃできないものにしたかった。なので、選曲も「この曲をどういう風にアレンジできるのか」「このふたりにしか出せない味を出せる曲かどうか」ということは考えましたね。
ーー矢野さんにとっての民謡は、まず「音楽」としての興味、ということでしょうか。
矢野:自分として親近感を感じるのは、やっぱり津軽民謡なんですね。車の中で聴きながらハイウェイを走ったりします。でも、全国の民謡には興味が及んでいませんでしたし、知識もない。だから、まず上妻さんが提案してくれた曲を、とにかくよく聴く。いい曲だなと思ったときに、その曲の音楽としての良さをふたりでどう展開させられるか、その一点なんですね。「これが淡海節か、さて、どうしてやろうか」という(笑)。
ーー津軽民謡以外で、矢野さんは「青森出身」ということを意識することはありますか。
矢野:津軽じょんがら節のいくつかのバージョンを聴いて、こっちが好きかな、ということはありますけれど、それは感覚的なことというか、あくまで音楽的なことですね。でも、日々の中では、歳を重ねるにつれて意識することはありますね。私はニューヨークで猫と暮らしているわけですけど、そうするとけっこうテレビに向かってひとり言を言ったりしているんですよ。そのときに「まったくめんぐせいのう」とか、青森の言葉が出ると、すごく解放感がある。まあ、猫にはなかなか受け入れられていませんけど(笑)。
ーーでは、具体的に曲のお話をうかがいます。まずは「こきりこ節」(富山県民謡)。ピアノと三味線、そして矢野さんが「惚れた」という上妻さんの声と矢野さんの声、それがバランス良く入っているという意味でも象徴的なオープニングですね。
矢野:まず、誰でもが知っている曲ですし、メロディがいいですよね。「こきりこって何?」と思っても、誰もが親しんでしまう、入り込むことができる曲だと思う。
上妻:この1曲で、矢野さんが民謡をどう歌うのかが伝わってきますよね。その矢野さんならではの歌と、僕の伝統的な歌い方というふたつの面が混ざり合っている。そういう意味でも1曲目にふさわしいと思います。
ーー続いてはミュージックビデオも制作された「おてもやん」(熊本県民謡)。なんと2番の歌詞は矢野さんのオリジナル英語詞になりました。
矢野:この曲もみなさんが知っている曲ですし、もちろん歌詞の意味も調べたんです。さすがに古い歌なので、いまの時代にそぐわないところもあるのかなという思いもあって、思い切って2番は英語の歌詞にしてみました。
上妻:そういうところも矢野さん流ですし、そこが民謡そのものにはない面白さになっていると思います。そもそも「おてもやん」は熊本弁で何を歌っているのかわかりにくい部分があって、でも、そこに動きのあるリズムがあったりして、全国の人が聴いても面白みがある。そこが際立ちますよね。
矢野:ちなみに歌詞の中にアルバムタイトルが出てきますけど、これはアルバムのタイトルが先にあったので、ここに入れてしまおうと……まあ、アルバムのタイトルもかなりの思いつきなんですが(笑)。
上妻:そのアルバムタイトルにしても「民謡のアルバム」とは、とても思えないじゃないじゃないですか。ジャケット写真にしてもアーティスト写真にしても、すべて矢野さんらしく表現する、その姿勢がすみずみにまで行き届いていますよね。
ーーここで新曲「会いにゆく」が登場します。もう1曲の新曲は「いけるかも」。どちらもアルバムの流れの中でシーンが変わるような、照明が変わったような効果があるように感じました。
矢野:ニューヨークで共演したときに、上妻さんのインストゥルメンタルの曲に私が詞をつけたナンバーを作ったことがあったんですね。でも「会いにゆく」は、あえて私が先に歌詞を書いて、上妻さんに曲を作ってもらいました。せっかくこのふたりでレコーディングするならポップスと呼べる新曲を作ろうというのは決めていたんですが、上妻さんの話を聞いたら歌詞が先にあって曲を書いたことがないっておっしゃるので「じゃあ、やったことないことをやりましょう!」って(笑)。
上妻:詞が先にあるのは初めての経験でしたが、なるべくシンプルに、そしてあったかくて、どこかで和=日本の情緒を感じられるようにと思って書いた曲です。「いけるかも」は、三味線のフレーズがとても映える曲になっていますし、僕の三味線のスタイルを活かしてくれています。歌も含めて、ふたりの個性のいいところを引き出してくれている一曲です。