V系シーンに根付くパロディ/オマージュ文化 ゴールデンボンバー、仙台貨物らの例から考える

 2010年代付近には、ある程度キャリアを積んだバンドたちによるオマージュも目立った。2009年にthe GazettEが発表した「OGRE」(『DIM』収録)は、Slipknotの代表曲「People = Shit」を思わせるアンサンブルから始まり、急激に気怠くトーンダウンするような構造になっている。「いろんなものをドッキングさせて意味わかんないのをやっている」(引用:『CDでーた』2009年8月号)という彼ららしい曲だ。LUNA SEAが2013年に発表した「Metamorphosis」(『A WILL』収録)は、LUNA SEAならではの綿密さとアグレッシブさが聴ける曲だが、リフやシューゲイズなギター表現はCOALTAR OF THE DEEPERSの「My Speedy Sarah」を思わせることで話題に。作曲を手がけたSUGIZOはCOALTAR OF THE DEEPERSのフロントマン・NARASAKIと旧知の仲で、意図せずこうした表現を使うとは考えにくい。また、lynch.が2018年に発表した「JØKER」(『Xlll』収録)の中盤部分は、マリリン・マンソンに着想を得ていると葉月(Vo)が明かしている。実際、ギタープレイやシャッフルのノリが「The Beautiful People」にそっくりだ。過去にシャッフルビートの曲をやるときは「マリリン・マンソンだけにはならないように」(引用:TOWER RECORDS ONLINE)と発言していた彼が、時を経てマリリン・マンソン的な要素を積極的に取り入れていったわけだ。the GazettEにしろLUNA SEAにしろlynch.にしろ、対象へのリスペクトはもちろん、自分の表現にする自信と実力があるからこそのオマージュなのだろう。

 しかし、パロディ体質が悪い方向に働いたこともある。詳細は避けるが、実際の事件映像や、事件を思わせるアーティスト写真を使用したことがあった。いずれも必然性が感じられず、何より関係者への配慮に欠けていた。こうしたバンドを厳しく評価する自浄作用もまた、シーンを健全にするために必要だろう。

 音楽シーン(とりわけヴィジュアル系シーン)でオマージュやパロディが受け入れられるかどうかにおいては、以下の4つが重要なようだ。

(1)既存の価値を相対化して新たな価値を浮かび上がらせる批評性
(2)対象に対するリスペクト
(3)自らの表現に対する自信と実力
(4)オマージュ/パロディ表現を正しく評価するシーン(リスナー)の姿勢

 すでに30年以上の歴史をもつヴィジュアル系シーンには、これらの要素が根づいている。過去と結びつきながら、対象へのリスペクトと表現への自信をもって新たな価値を創造するバンドが、これからも生まれていくのだろう。

■エド
音楽ブログDecayed Sun Recordsの管理人でバンドマン。ヴィジュアル系とメタルをよく聴く。

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