『LOVE MORE』インタビュー

ザ・プロディジー マキシムが語る、ソロ新作に込めたポジティブなエネルギー「キースの死があったからこそアルバムが仕上がった」

 The Prodigyのフロントマン、マキシムの14年ぶりのソロ3作目『LOVE MORE』が素晴らしい。彼のルーツであるレゲエと、トラップ、ダブステップ、ドラムンベースなど最新のベース〜ビートミュージックが融合した独自の世界を作り上げているところが最高だ。

 また同時に本作は、The Prodigyでともにフロントマンを務めながら、今年4月に急逝したキース・フリントに捧げたアルバムでもある。最悪なときだからこそ、音楽はポジティブなエネルギーに満ちたものでなくてはならない……そんな思いがアルバムタイトルに込められているのである。

 プロモーションのため来日したマキシムは、噂通り物静かで穏やかな人だったが、内面には熱いものを秘めているという印象だった。アルバムリリースに伴うツアーなどは考えていないようだが、DJなどでの単独来日もぜひ期待したいところだ。(小野島大)

音楽の原体験はレゲエやブルービート

マキシム

ーーとても素晴らしいアルバムで、今の音楽の潮流をしっかり捉えながらも、同時にあなた自身のレゲエルーツも見えてくる、大変興味深い作品でした。今作の構想はいつごろ、どういう形で始まったんでしょう

マキシム:最初は2年前だね。ちょうどそのころ<トロージャン・レコード>の50周年かなんかでいろいろやっていて、それにインスピレーションを受けてアルバムを出したいと思ったんだ。でもバンドをやっていると、ツアーが終わってアルバムを作りたいなんてまったく思わないんだよね。ツアーが終わったら即座に家族のもとに帰ってリラックスしたいから。でもその時は、自分のルーツであるレゲエを踏まえたアルバムを作りたいと思ったんだ。なのでツアーの合間を縫ってちょこちょこ作り始めていたんだけど、今年になっていろいろあって、逆にそれに背中を押される形で集中して作品を仕上げることができたんだ。

ーーあなたは英国のピーターバラでジャマイカ人のご両親の元に生まれ育ったということですが、やはりレゲエとかそういうジャマイカの音楽が日常的に流れている環境だったんですか。

マキシム:うん、そうだね。両親がジャマイカ出身で、レゲエなど西インド諸島の音楽が日常的に流れている環境だった。両親がジャマイカで聞いてたのはレゲエというよりブルービート系だったけどね。だからブルービートとか、レゲエの影響下にあるような音楽をよくうちで聴いていた。イギリスのジャマイカ出身の家族ではよくあるんだけど、叔母さんとかが週末になると一家全員集合するようなホームパーティーを開くわけ。一部屋は大人たちがレゲエとか西インド諸島の音楽を聴いて踊って、もうひとつの部屋はみんなのコートが押し込まれていて、その上で子どもたちは大人たちが聴いている音楽を聴きながら寝る、みたいな。それがジャマイカ出身の移民の週末の過ごし方だったんだ。

 そういう風にごく自然にレゲエやブルービートの影響を受けて育ったんだよ。結局50〜60年代のイギリスは働き手が少なかったから、労働力として西インド諸島の人たちを呼んだわけだ。でもいざ来てみたら大変だった。まずジャマイカという非常に暑くて雪も見たこともないような人たちが、イギリスという非常に寒い国に住まなければならなかった。乞われて来たのに、実際に働いてみたらさほど労働条件も良くないから経済的にも厳しい。イギリス社会にも完全に受け入れられているわけでもないから、気軽にクラブとかで遊ぶこともできない。なので、家族単位やコミュニティ単位で小規模に開催するホームパーティー的なものが盛んだったわけ。”ブルーパーティー”って言われてたけどね。家族とその友人たちが集まって、自分たちの音楽を聴いて楽しむ、という。

ーーなるほど。

マキシム:それが俺の子どものころの音楽体験だったんだけど、学校に行くようになると、周りは白人ばかりでひとりだけ黒人、みたいな感じだったんだ。子どもってなるべくその環境に順応しようとするだろ。そこで新たな音楽も聴くようになるんだ。それで一番最初に影響を受けたのはスカだった。The Specials、The BeatとかThe Selecterとかね。彼らは僕より5歳ぐらい上なのかな。世代的にはちょっと上だけど、でも肌の色なんか関係なく、黒人も白人も一緒に音楽を楽しもうというムーヴメントだったから、とても楽しんでいたよ。自分のとっての最初の本格的音楽体験といえば、やはりスカ・ムーヴメントなんじゃないかな。

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