「LIke I do」インタビュー
新時代のSSW 川口レイジが語る、ギターとの“運命的な出会い”からLAでのコライトまで
シンガーソングライターの川口レイジが、デジタルシングル「LIke I do」を6月19日に世界同時リリースした。
この曲は、2018年5月に配信リリースした「R.O.C.K.M.E. ft. Marty James」と同様、ルイス・フォンシとダディー・ヤンキーによる「Despacito」 にソングライトで参加し、世界的なヒットを後押ししたマーティ・ジェームスとのコーライティングによるもの。洗練されたラテンビートの上をたゆたう哀愁のメロディを、透き通るようなハイトーンボイスで情感たっぷりに歌い上げている。過去への執着と断念の間で揺れ動く歌詞世界を、美しくもどこか不穏な心象風景に落とし込んだMVも印象的だ。
亡き父の遺品だったクラシックギターと“運命的な出会い”を果たし、音楽にのめり込んでいった川口。その後、紆余曲折を経てロサンゼルスでのコーライティングにより、彼が掴み取った音楽性とは?(黒田隆憲)
父との別れが、ギターと出会うきっかけだった
ーーもともと野球や剣道に没頭していた川口さんは、高校生の頃にギターと“運命的な出会い”をしたそうですね。
川口:16歳の頃に事故で父を亡くして、遺品整理をしていた時に屋根裏で“ギターらしきもの”を発見したんです。実際はクラシックギターだったのですが、自分が思い描いていたギターとはちょっと形が違ったので、最初は何だか分からなくて。
ーーその頃の川口さんにとって、ギターといえばエレキギターの認識だった?
川口:そうだと思います。しかもそのギター、ネックも思いきり反っているし、弦もすっかり傷んでしまっていたんですよね。もちろん当時の僕には「チューニング」という概念もなかったので、まともに音も出せないし、「ギターってめちゃめちゃ難しいんだな」と思ってその時はそのままにしていたんです。でも、高校の授業でギターやマンドリンを使って三重奏の演奏することがあって。くじ引きでギター担当になり、そこで初めてチューニングを教えてもらって家で再トライしたら「あ、意外といけるかも」って思ったんですよね。
ただ、学校の授業の課題曲が「ドナドナ」とかだったので、「もうちょっとかっこいい曲を弾きたいな」と思って(笑)。独学でコードなどを覚えていきました。「練習」という意識も特になかったんですが、好きなJ-POPの楽曲をカバーしていましたね。
ーーその頃はどんな音楽が好きだったのですか?
川口:その頃に好きだった子が聴いていた椿屋四重奏の中田裕二さんが、玉置浩二さんの「しあわせのランプ」をカバーしていて。玉置さんの原曲を聴いてみたらものすごいパワーを感じました。当時の自分には父のことで心の穴があったんですが、それを玉置さんの包容力のある歌声で埋めてもらった気持ちがしたんですよね。そこからしばらくは、玉置浩二さんばかり聴いていました。
ーー玉置浩二さんに、お父さんを重ね合わせていたのですね。
川口:当時、進路などで迷うことも多かったんです。それまでは全て父親に全て決められていたというか……とにかく家の中では父親が絶対的な存在だったんですよね。その父が急に亡くなってしまったことで、「これからは全部自分で決めなきゃならない」と思っていた時に、道を指し示してくれたのが玉置さんの歌詞のメッセージだった気がします。
ーー本格的に音楽活動を行うようになったのは?
川口:高校卒業後、当時住んでいた岡山で路上ライブを始めました。その頃ストリートミュージシャンがすごく流行っていて、ライブをすれば聴く人が集まってくれる状態だった上に自分が若かったというのもあって、皆さんが温かく見守ってくれていたのだと思います。
元々僕は1人でいることが多いタイプだったんです。特に野球を怪我で辞めてからは、一匹狼というほどでもないけれど友達とつるんだりすることもなく。基本的には1人でご飯も食べて1人で帰る日々だったので、ギターを持って外で歌っている時に通りすがりの人が声をかけてくれたり、熱心に聴いてくれたりするのが自分にとってはすごく新鮮でした。人がワッと周りに集まってくる体験が今まで全然なかったし、生まれ変わったみたいな感じでしたね。
ーー曲作りもその頃からされていたのですか?
川口:今ほど本格的ではないのですが、路上でカバーを歌っていると「自分の曲はないの?」と聞かれることも多くなってきて。それをきっかけに曲を作ってみようと思いました。でも、音楽を本気でやろうと思ったのはツイキャスを配信するようになってからなんです。路上ライブで、ある程度集客はできるようにもなったんですが、冬になると外で演奏するのは寒いし指も動かないし(笑)、皆さんに来てもらうのが申し訳ないなと思ってツイキャスを始めたら、そこでさらに広がっていったんですよね。
ーーそうした活動がソニーの目に留まり、育成期間に入るわけですね。
川口:突然メールが送られてきたのですが、最初は絶対ニセモノだと思って返信もしませんでした(笑)。でも、担当の方がライブを観に来てくださって「あ、本物だったのですね!」とご挨拶をして。その縁もあって21歳の頃に上京してきたんです。そこからは自分主催のイベントをやったり、ブッキングライブに出させてもらったりしながら、表現方法を試行錯誤していました。