宇多田ヒカルにただただ心を揺さぶられた 静寂の中に“希望”見た『Laughter in the Dark』ツアー

宇多田『Laughter in the Dark』ツアー最終日

 なんて苦しそうに歌うのだろう。なんて悲しそうに歌うのだろう。宇多田ヒカルってこんなに辛そうに歌う歌手だっただろうか。

 月並みな表現になってしまうが、胸が張り裂けそうになるとはまさにこのことだ。ライブを見ていてこんなにも心が苦しくなるのは初めてである。曲を終えたあと至る所から鼻をすする音が聞こえ、近くにいた恰幅のよい男性も目頭を指で押さえていた。終演後には「めっちゃ泣いたー!」と気持ち良さそうに喋り合う女性の声がちらほら。ちょっとしたリフレッシュ作用すらあるかもしれない。それくらい今の彼女には人びとの心を揺さぶる何かがある。

 たとえば、今年最も日本でヒットした曲が人の死をテーマにした米津玄師の「Lemon」だった(実際に制作中に祖父を亡くしたという)ことを考えれば、同じように母の死を乗り越えてステージに立っている彼女の勇姿に我々が惹き付けられるのも必然なのかもしれない。だが、そうした時代の空気を差し引いたとしても、彼女が舞台に立ち、ひと言発するそれだけで何処となく漂うほの暗いイメージ、あるいは自然と匂い立つアートの香りは、それだけで人びとの視線を釘付けにさせられる持って生まれた天性の素質といっていいだろう。そして、そんな彼女が全身漆黒のドレスを身に纏い、黒で囲まれた会場で〈黒い服は死者に祈る時にだけ着るの〉と歌っているのだから何とも異様な光景である。

 “Laughter in the Dark”と題された今回のツアー。直訳すれば“暗闇の中の笑い声”、そしてツアーのテーマを彼女は「絶望の中の希望」とした。幕間映像でピース又吉が「宇多田さんの描き出す希望には共感できる」と語っていたように、彼女が歌う希望や光には、必ずその背後に深い悲しみや絶望感が横たわっているように感じる。〈暗闇に光を撃て〉とはまさしくそんな彼女の佇まいに他ならないだろう。

 まず、開演前のBGMがない。完全な静寂からライブは始まったのだ。最終日には1万4000人が詰め寄ったという大きな幕張メッセ国際展示場9〜11ホールが一斉に静まり返るとさすがにただならぬ雰囲気となる。すると、彼女のひとつひとつの言葉に緊張感が宿り、歌声の一音一音に耳が研ぎ澄まされる。なるほどこの静寂でさえライブ演出の一部なのだろう。

 ライブ前半は「traveling」「COLORS」「SAKURAドロップス」「光」といった昔のヒットソングを軸に駆け出す。バンドマスターを務めるジョディ・ミリナーはサム・スミスやアリシア・キーズ、ジェイムス・ベイらのレコーディングに参加した経歴を持つ、活動再開後の宇多田ヒカルを支える最重要ミュージシャンのひとりだ。他にもアール・ハーヴィン、ベン・パーカー、ヴィンセント・タウレル、ヘンリー・バウアーズ=ブロードベンドと海外から集まったバンドメンバーは腕利きのミュージシャンばかり。それに加えて8人の弦編成による豪華なバンド編成は、彼女の作品の持つサウンド面の魅力も存分に活かしていた。90年代後半にJ-POPのリズムのレベルを一気に押し上げたと言われている彼女の海外譲りのグルーヴ感覚は、こうした編成による生演奏でこそ発揮されるだろう。

 また、彼女の歌声に変化を感じ取ることができた。20年前と比べて低い声には迫力が増し、中域はふくよかに、胸を締め付けるような高音の歌声はさらに訴求力を持ったことで発売当時の聞こえ方とはまた少し違って聞こえてくる。それが感慨深くもあり、同時に切なくもあったりする。ステージのカラーもさまざまで、ダンサーを迎えて「ともだち」「Too Proud」を披露し優雅なステージングで観客を魅了したかと思えば、センターステージへ移って「誓い」「真夏の通り雨」「花束を君に」を歌い上げ、どこか悲壮感と希望の入り混じった不思議な空間を演出。色々と会場のムードを変えながらも、彼女の作品に通底してある深い陶酔感のようなものがライブが進むに連れて増していくようだった。

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